冗談ではない。こちらはまだ仏ではない。極楽はどんなに素敵なところなのか知らないし、漁船に乗っている誰かが仏様や先祖の霊にどんなに愛されているのかも、学生Sは知らない。しかし、どんなにエライ仏様やご先祖様であっても、向こうさんの勝手な都合で、一緒に連れて行かれるのはゴメンである。
エンジンをかけることあきらめたオッチャンが仕切って、若い衆が両舷に配置され、水をかいて、岸を目指すよう指示が出た。水をかけといわれても、オールがあるならばともかく、そのような便利なものが漁船に装備されているはずがない。だから手のひらで水をかくしかない。しかし他に方法もない。
学生Sを含めた数人が両方の船端につき、手で水をかき始めた。水をかくことに集中するせいか、船をまた沈黙が支配する。誰かの話し声がしていないと、また聞こえてくるのが、チャプチャプという仏船を叩く波の音である。仏船は自らの意思を持ったかのように揺らいでいる。不気味だ。
学生Sは、空元気をだして、「まあ、こんな経験、滅多に出来ひんわ。あとで話の種になるわ。なあ、H兄ちゃん。」と話しかけたが、H兄ちゃんは答えてくれない。見てみると、前を睨み必死のパッチで水をかいている。話しかけた声も聞こえていないようである。真っ正面を向いて、ひたすら水をかいている。そういえばH兄ちゃんは新婚だった。後から考えれば必死になるのは無理もない。
ところが、大の男が6~7人乗った漁船である。いくら小さな漁船とはいえ、数人が手で水をかくくらいでは、引き潮に逆らって、岸に戻れるわけはない。
漁船は、多少方向を変えたものの、一向に陸地は近くならない。むしろ引き潮に乗って、さらに沖合へと流され始めた。もちろん極楽丸も一緒である。
「こりゃ駄目だ。しょうがない、誰かが泳いで助けを求めに行った方が早い。」と若い衆が言い始め、「いいや、この潮では危ない。」とオッチャンが止める。そうこうしているうちに、船外機を取り外して船の上に引き上げ、点検していた漁船の持ち主が、エンジンストップの原因を突き止めた。
「ペラ(スクリュー)に縄が噛んどる。誰ぞ、カッターかドライバーかなんぞ持ってへんか。」。誰かが海に捨てた縄が漁船のスクリューに絡んで堅く食い込んでいたのだ。原因は分かった。その縄をスクリューからはずせば、エンジンはかかるのだ。岸に帰れる。しかし、先祖の霊を、カッターナイフやドライバーを懐にしのばせて見送ろうとする不届き者がどこの世界にいるだろう。一瞬の光明は敢えなく消えそうになった。
しかし追い込まれれば人間、知恵が出るものでもある。試行錯誤をしているうちに、誰かの発案で、縄の食い込んだスクリューを逆に回して、縄の食い込みをゆるめようということになった。大の男が何人かで力を合わせて、相当苦労はしたものの、縄の絡んだスクリューを、なんとか人力で逆方向に回転させることに成功した。その結果、堅く絡んだ縄をゆるめ、スクリューからはずすことが出来たのだ。
エンジンがかかってしまえば、岸へ帰り着くことは拍子抜けするくらい簡単だった。どうやら、港の方でも漁船が帰ってこないことで騒ぎになっていたらしく、あと10分遅かったら消防に連絡して捜索してもらうところだったと、伯父から聞かされた。伯父の本当にホッとしたような表情が印象的だった。
後に町長を務め、名町長と謳われたその伯父も、今年鬼籍に入り初盆を迎えた。
S弁護士は、今年の8月16日、京都五山の送り火を眺めつつ先祖の霊を送りながら、ふと極楽丸事件を思い出したのだった。