ボルトはスーパードッグである。白く美しい身体には、スーパードッグの証である稲妻の紋章が浮かび上がっている。鋭い眼光は鉄をも溶かし、スーパーボイスで敵の軍隊を吹き飛ばす。ボルトは、大好きな飼い主のペニーと一緒に、ペニーの父親をさらった「緑の目の男」と戦い続けている。
・・・・・・・という自らが出演するハリウッドのTVドラマを、真実だと信じ込んで育った犬の物語が、この映画「ボルト」だ。
ボルトの知っている世界はドラマのセットの中だけであり、ボルトが自らをスーパードッグだと信じ込んでいるため、主演のボルトによる迫真の演技(ボルトにとっては演技ではなく現実)が視聴者を釘付けにしている、人気番組だった。
ある日、飼い主のペニーがさらわれたと誤解したボルトは、セットを飛び出してしまい、宅配便で、ニューヨークまで送られてしまう。
ボルトは、なんとかして愛するペニーの下へ帰ろうとするが、人間に辛い目に遭わされた過去を持つ猫のミトンズは、人間なんて信じるな、ペニーは演技をしているだけなのだとボルトを諭すことになる。途中でハムスターのライノも合流し、ハリウッドを目指しての3匹のアメリカ横断珍道中がはじまる。一方、ボルトが失踪しても高視聴率ドラマを作り続けたい会社側は、ボルトそっくりの犬を連れてきてペニーと競演させようと目論んでいた・・・・・。
まず、誰もが映画冒頭のボルトの大活躍に目を奪われるだろう。素晴らしいCGアニメーションが息つく暇もなく展開される。ものすごいクオリティであり、これなら、犬が自分がスーパードッグであると信じてもおかしくないや、と映像の力だけで説得されてしまう。
まだ見てない方のために詳しい内容はこれ以上触れないが、ボルトは道中、自分がスーパードッグではないことに気付いていく。しかし、全てが仕組まれたものだと分かっても、ボルトはペニーと自分の絆だけは嘘ではないと信じて、ハリウッドを目指す。このあたりが私のような犬好きにはたまらない。もちろん、斜に構えていながらボルトに現実を教えていく猫のミトンズ、いつも前向きなハムスターのライノ、いずれも魅力的であり、猫好き・ハムスター好きの方でも十二分に楽しめる映画であることは間違いないと思う。
だが、私には、ボルトが単なる子供向けの映画に止まらず、大人に対しても何かを伝えようとしているようにも思われた。
上手く言えそうにもないので恐縮なのだが、私はこんなことを考えた。
私達は、生まれてから赤ん坊の時代、幼少の時代は、普通、親に守られて育つ。そこでは、歩いただけで誉められ、笑っただけで誉められる、泣けば面倒を見てもらえる、いわば万能の時代である。逆に言えば自分は家庭の中で王様の扱いを受けて育つと言っても良い。それが、幼稚園(保育園)からはじまる集団生活の中で次第に自分は王様などではなく、みなと同じ一人の人間であることに気付いていく。
人は人であるというだけで価値があるが、それは自分だけに価値があるのではなく、相手も同じであり、全ての人に価値がある。そして、社会の中では、自分の価値だけが大事にされなければならないものではないし、仮に自分が今ここで死んでも、世界は何事もなかったように動いていくのだ、ということに、大人になる頃にようやく気付く。
人間として個々に不可侵の価値がありながら、社会の中ではあくまで社会の一員にすぎないという、矛盾をはらんだ存在が人間である、ということに気付いていくのが、大人になるということの一つではないかと私は思う。
ところが、現実はどうだろうか。みんなは俺を評価してくれない、私の実力はこんなものではない、もっとみんな(社会)は僕を大事にしてくれないとおかしい、自分は絶対正しい、世間が間違っている、などと自分の価値だけに着目した視点だけを声高に述べる大人が多すぎるのではないだろうか。そのような大人は、自分をスーパードッグだと勘違いしていたときのボルトと同じである。
確かに、自分に不可侵の価値がありながら、社会の中では自分だけが大事にされなければならないというわけではない、と自覚することは、なかなか大変であるし、私自身も自覚できていると断言まではできない。自らがスーパードッグではないことを自覚していくボルトのように、自覚に至る過程で自らの価値を見失いかねない危機にも遭遇する人もいるだろう。けれども、苦しくても自らの個としての存在・社会の一員としての存在の、双方を自覚をしていかないと、人間社会が成り立つはずもない。
ただ、その苦しい大人への道の途中にあって、自分の価値に疑問を抱く場面に遭遇しても、本当に信ずべき絆があるのだ、その信ずべき絆を信じて進めばよいのだ、ということを「ボルト」は表現したかったのではないだろうか。
私は、吹き替え・3D版を見たが、吹き替え版でも違和感を感じなかった。特にミトンズ役の江角まき子は、ぴったりはまっていたように思う。3D版も少しお値段は高くなるが、現在の3D映画のすごさを味わうことができるので、3D眼鏡に抵抗がなければ、一度体験されても損ではないと思う。
是非映画館で、ご覧になることをお薦めします。