日弁連はもっと文句を言うべきだ(その4)

 さらに、自由競争により弁護士が使いやすくなるのではないかという指摘について述べる。

 仮に自由競争によって弁護士が安く使いやすくなるのであれば、弁護士があふれかえっているアメリカでは、自由競争により非常に安い値段で弁護士が利用できていなければおかしいはずである。しかし、アメリカにおけるリーガルコストは、日本と比較して非常に高いと指摘されており、自由競争により弁護士が安く使えるという状況が実現するかは、実際には大いに疑わしいと考えるべきである。

 この点、アメリカでは確かに企業の使う一部の弁護士の費用は高騰しているが、一般国民の利用する弁護士の費用はそうではない可能性があるではないか、との批判も考えられる。しかし、企業が負担する高額の弁護士費用は、製品・サービス等の値段に転嫁されて最終的には消費者(一般国民)の負担になる。つまり、弁護士費用分を上乗せされた製品を消費者は買わざるを得なくなるということだ。一般国民の方が直接弁護士に依頼する場合に、仮に安くなったとしても、それ以上に、日常の買い物の中でリーガルコストを負担させられていくことになるだろう。
 つまり、弁護士を多数生み出し、自由競争させた結果、高額のリーガルコストが必要になっているアメリカでは、結局国民全体で、多額のリーガルコスト負担をしなければならない状況に陥っているといってもおかしくはないだろう。これでも、自由競争により弁護士が安く使える状況が到来すると言えるのだろうか。

 また、仮に、万一、自由競争により弁護士が使いやすくなるとしても、それは、自分だけが使いやすくなるのではなく、相手方も使いやすくなるということである。これまでは当事者同士の話し合いで済んでいた話が、相手が弁護士を立てて来た場合、法的知識の不足する一般の方としては、やはり弁護士に依頼せざるを得ないだろう。
 今は、まだ(少なくとも私の知る)日本の弁護士は、訴訟しても実質的に回収が困難である場合などには訴訟を勧めることはないが、今後自由競争になり少しでも実入りが必要になれば、実質的に依頼者の利益になるかどうかをさておき、とにかく、訴訟を勧める弁護士が出てこないとも限らない。実際にアメリカでは、すぐに訴訟沙汰になることも少なくないと聞いている。

 仕事にあぶれて食うに困って弁護士が軒先をうろうろしている、一旦もめ事が起こればすぐに弁護士が飛んできて訴訟にしようと勧める、そのような社会を本当に国民の方々は望んでいるのだろうか。

 私の6月19日のブログにも書いたが、ニューズウイーク日本語版の記載からすると、自由競争にさらされてきた現在のアメリカの弁護士の状況は、決して望ましいものではないようにアメリカ国民に受け取られているように読める。

 だから、日弁連も、弁護士を大量増員して自由競争させるべきだという主張に対しては、弁護士業の自由競争化は、社会的強者にとっては有り難いが、一般国民の方に迷惑を掛ける可能性が高い。現に自由競争をしているアメリカの例が成功していると言えるのか、などと毅然と反論して論破して頂きたい。

 これまで弁護士達は、司法修習への協力、国選弁護や当番弁護など、相当多くの赤字の仕事を、その職務に鑑み引き受けてきた。

 完全自由競争にするというのであれば、赤字の仕事はすべてやらない、後進の育成も商売敵を育てることになるからやらない、となってしまっても自由競争だからおかしくはないのである。自由競争を主張する論者が、弁護士達が自腹を切ってこなしてきた仕事の費用負担をしてくれるのであれば、そうでなくても財源の手当をしてくれるのであれば、別であるが、そこのところは完全に無視されたまま話は進んでいるように見える。

 日弁連は、これまでの実績をきちんと説明し、弁護士業務に自由競争を持ち込む発想が、如何に問題が大きいのか、もっと声を大にして主張してもらいたい。

 日弁連はもっと文句を言うべきなのだ。

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