いまだにもったいないと思う事

 15年以上も前の話である。

 京都に下宿して、司法試験をめざしていたS受験生は怒っていた。

 学生街という宿命か、それとも◎ホバの証人の集会所が近くにあったせいか、自宅で勉強している時に、いろんな宗教の勧誘がしょっちゅうやってくるからである。

 奴らは無遠慮にブザーをブーブー鳴らし、住人が根負けしてドアを開けるまで鳴らし続ける。つまり、S受験生の勉強を容赦なく邪魔をするのである。

 そして、S受験生が怒りに燃えてドアを開けると、わざとらしい笑顔を見せつけて様々な勧誘文句を言うのである。

 「悩みはありませんか、楽になれる方法があります。」

「今すぐ司法試験に合格させろ、そしたら最大の悩みは解決じゃ!」(S受験生の心の叫び)

 「貴方の健康を祈らせて下さい、血がキレイになりますよ。」

 「何で病院でやらんのや!」 (S受験生の心の叫び)

 「聖書に興味ありますか」

 「そしたら聞くけど、あんた、司法試験六法に興味あるんかい!」(S受験生の心の叫び)

 とにかく、勉強を中断されては、宗教への勧誘を撃退する日々が続いていた。

 そんなある日、東京から高校の友人がやってきた。彼の話によれば、何でも、××寺とかいうお寺の「幸福御守」がいろんなことに絶大な効果があるという。彼の先輩もその御守りで公認会計士試験に合格したという。宗教勧誘と戦い続け、荒んでいた受験生の心には、その話がいかなる宗教の勧誘よりも魅力的に思えた。

 そんなに効果があるのなら、 買ってみようと思い立ってもS受験生の罪ではあるまい。

 S受験生は、友人と××寺に向かいその幸福御守りを手に入れた(買った)。けったいな事に幸福御守一つにつき、お願い事は一つだけなのだそうだ。しかも願いがかなったらお礼にくるようにとまで書かれていたような記憶がある。また、××寺の境内にはわらじを履かせた、そんなに古そうには見えない地蔵菩薩がまつってあった。説明書きによると、このお地蔵様が、歩いて家までやって来て、幸福を授けてくれるのだそうだ。昔の人は変わったことを思いつくものである。

 まあいいや、とにかく御守りを買ったのだから。気休めくらいにはなるだろう。S受験生は自宅にもどり、いつものように勉強を再開した。

 しかしである。

 その夜遅く、S受験生が勉強しているとまた、下宿のブザーがブーブーと鳴る。

 「こんな遅くにどいつや!」と思って、ドアを開けると、そこにはまた笑顔の人影が。どう見ても、宗教関係者の出で立ちである。

 「宗教の勧誘なら結構です!」と冷たく言い放って、ドアを閉めようとするS受験生の意識に若干の違和感があった。「このままドアを閉じてはいけない」と何かが叫んでいるが、「宗教の勧誘=ドアを閉める」と条件反射的に凝り固まったS受験生の行動は急には止められない。

 ドアは閉まった。

 「しまった!なんて事を!」 慌ててドアを開けたが、もう人影はいなかった。

 笑顔の人影は地蔵菩薩だった。

 それが違和感を感じた原因だった。

 S受験生は、せっかく幸福を届けに来た(かもしれない)、お地蔵様を門前払いしてしまったのである。

 というところで目が覚めた。

 その夢を見てから、合格まで更に何年か要した事は言うまでもない。

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