ダッハウ強制収容所

 司法試験合格後、司法修習が開始されるまでの間の冬に、ヨーロッパ旅行ができたことについては、8月31日のブログでも書きましたが、 その旅行でミュンヘンを経由した際に、訪れたのがダッハウ強制収容所です。

 その旅行では、ミュンヘンであまり時間がとれなかったことから、見たいと思っていた、ミヒャエルエンデのお墓orダッハウ強制収容所のいずれかを選択しなければなりませんでした。

 私は、後者を選択しました。エンデのお墓であれば、年を取って再訪する機会があれば見ることができましょう。しかし、ダッハウについては、出来るだけ早い時期に見ておかなければならないような気がしたのです。

 ミュンヘンから近郊電車でダッハウの駅まで。そこからバスで強制収容所跡に向かいました。非常に寒い日で、粉雪が舞っていたことを覚えています。2月のしかも非常に寒い日でしたので、訪れる人はそう多くはありませんでした。また、訪れる人も、敷地内を歩いてまわる人は少なく、博物館の中に足早に向かって行く人が多くいました。

 ダッハウ強制収容所ではガス室での殺戮はなかったとのことのようでしたが、シャワー室は残っており、まるで虚無が口を開けたかのようなそのたたずまいは、記録はどうであれ、真の事実はどうであったのか、それを見る者が考えることすら拒絶しているかのようでした。

 非常に強い寒気にふるえつつ、雪煙が上がる中を、歩いてみて私が感じたのは、「なにもない。本当になにもない。」という感覚でした。収容所の建物やその跡は残っています。木々も見えます。普通であれば、昔の収容所の様子を想像してもおかしくないシチュエーションです。しかし、なぜだか分かりませんが、「なにもない。」としか私には感じられませんでした。 上手く説明が出来ないのが残念ですが、何かが次第に滅びていって結果的になにもなくなってしまったというのとは少し違い、何かを全て奪い去った後で更になにもなかったように塗り固めたような空々しい空っぽの印象がそこに横たわっている、そんな感じでした。

 本来そこにあるべき生命、生命感が、まるで誰かに無理矢理そぎ落とされてしまったような、無地の何かに覆われてしまったかのような、空っぽの、感覚しかそこに感じることが出来ませんでした。

 強制された無。

 誤解を恐れずに一言で言うならば、そのように感じられました。

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