私が好きな漫画の一つに、かわぐちかいじさんの、「沈黙の艦隊」という長編漫画があります。
連載期間が8年以上にもわたったという大部でありかつ骨太の漫画で、これはもう是非読んでいただきたい(特に男性に読んでいただきたい)漫画だと勝手に思っています。
主人公は天才的操鑑技術を持つ海江田四郎という人物ですが、最終盤で彼は凶弾により倒され、脳死状態に陥ります。
その彼が、盟友に残した最後の手紙の中に記されていたのが「独立せよ!」という言葉です。彼の最後の武器は言葉でした。より正確に言えば言葉が呼び覚ます、人間の中に眠る(眠らされている)善意や強さだったのだと思います。
人は必ずと言っていいほど、何かに縛られています。誰が何に縛られているのか分かりません。自分でも縛られていることを意識できていない場合すらあるでしょう。
しかし、本当に真剣に、真剣に考えた末に、やはり正しいと心の底から思えるのであれば、その縛られていることから独立して歩き出さなければならないときがあるのかもしれません。
今、弁護士会・日弁連はその舵取り役を選ぶ選挙の真っ最中です。長年の悪癖で、選挙は情実選挙の典型です。A弁護士が頭の上がらないのはB弁護士だから、B弁護士からA弁護士を説得してしまえとか、C弁護士はD弁護士に雇われているから、D弁護士に命令させればいいとか、およそ正しいとは思えないことが横行しています。
権力から独立していなければならないはずの弁護士が、場合によれば人権のために権力と真っ向から戦わなければならないかもしれない弁護士が、その未来の方針を選ぶときに、情実にとらわれていて良いのでしょうか。 情実で牙を抜かれて良いのでしょうか。例え、情実にがんじがらめにされた状態でも、本当に正しいことを見極め、正しければ胸を張って進むべきなのではないでしょうか。
こういうときだからこそ、私には、海江田四郎の「独立せよ!」という言葉が重く感じられます。