本日の朝日新聞朝刊の伊藤教授のご意見は・・・ その1

 本日の朝日新聞朝刊、「私の視点、ワイド」欄に、早稲田大学法科大学院客員教授である、伊藤真さんの投稿が載っていました。

 法曹人口毎年3000人の増加を見直す動きについて憂慮していると、大きな題目が書かれていましたが、とても現実を見ていない机上の空論を振りまわしておられるなぁ、とあきれてしまいました。

 伊藤教授のご意見は簡単にまとめると、

前提 法科大学院は質の高い法律家を数多く養成するために発足した制度である。

①弁護士という職業も競争原理の中で競わせるべきだ、

②需要が飽和状態というのは疑問である、

③訴訟社会の到来は杞憂である、

④法曹の数の増加が質の低下を意味してはならない。国民は少数のエリートではなく、豊かな人間性を持った多くの法律家の誕生を望んでいる。過疎地域で教え子が弁護士として頑張っていることからも、そう思う。

というもののようです。

 まず、前提ですが、確かに目的は伊藤教授の仰るとおりでした。しかし現実は失敗に終わっています。法科大学院で最も優秀な生徒が集まったとされる第1期生ですら、司法研修所教官や実務修習先の裁判官から、基礎的知識の不足を指摘されていることは、既に何度もブログで指摘したとおりです。

 つまり、優秀な製品を多く生み出す目的で新工場を造り、確かに大量生産はできるようになったけれども、大量生産した製品の中には従来生産していた優秀な製品の他に不良品が多く混じるようになってしまったということです。

 ところが、法科大学院側は、その事実を素直に認めようとしていません。関西の某有名国立大学・法科大学院教授の先生も、「表だっては言えないが法科大学院は失敗だ。従来の司法試験の方がよっぽど良かった。」と述べておられましたし、現に関西の某有名私立法科大学院で教えている、私の知人も「とても法律家として認めるべきではない程、レベルが下がってしまっている。」と述べています。

 このように、まず、法科大学院制度により質の下がった法律家がどんどん世に送り出されていることをまず、法科大学院は認識して発言すべきです。目的が正しかったんだから結果が正しいとは限らないのです。この点だけでも、伊藤教授は現実を見据えていないことが明白です。

 次に①のお話ですが、果たして弁護士の仕事もラーメン店のように、競争させるべき仕事でしょうか。確かにラーメン店であれば、美味しくないお店には二度と行かなければいいだけですし、美味しいお店に何度も通えばいいのですから、競争させればさせるだけ美味しいラーメンを食べる可能性が増えますね。これは競争すれば良い仕事が増える、競争原理が良い方に働く場合です。

 しかし、弁護士の仕事はどうでしょうか。弁護士さんにお願いする事件というのは、たいていの人にとって見れば一生に一度のことです。その方に弁護士の仕事の善し悪しが分かるのでしょうか。私は疑問だと思います。東京の某大手事務所で、ほとんど意味のない判例をたくさん引用して大部の書面を作り、法的主張は貧弱ながら、形だけは立派な書面を作成しているのを見たことがあります。しかし、そのような仕事が悪い仕事だと判断できる一般の方がどれだけいるのでしょうか。ここがラーメン店と違うところです。ラーメンなら一般の方でも善し悪しがすぐ分かります。まずいラーメン店には行かなければ良いだけで、被害は出ません。しかし、弁護士の仕事はその善し悪しが一般の方にはとても分かりにくいのです。

 このように、一般の方にとって、よい弁護士、悪い弁護士の判断が非常につけにくいわけですから、いざ弁護士に依頼するときに能力のない弁護士にあたっても、分からないのです。知らないあいだに藪医者にかかって殺されていたということになりかねません。しかも、弁護士に依頼する事件は一生に一度くらいの大事件がほとんどですから、ひどい弁護士にあたると、その人の人生をめちゃめちゃにしてしまう危険すらあります。

 弁護士という仕事に競争原理を持ち込むべきだという理屈は、医者に例えれば、知識不足でもいい、能力がなくてもいい、藪医者でもいいから、大量に医師資格を与えて競争させれば良いではないか、というのと同じです。確かに長期間経過すれば藪医者はつぶれていくでしょう。しかしそれまで藪医者にかかって殺されてしまうかもしれない人は途方もない数になるはずです。

 こんな簡単なことが、どうして有名な学者さんに分からないのか、理解に苦しみます。伊藤教授ご自身が弁護士は「国民の社会生活上の医師」であるべきだと述べておられるのですから、なおさら伊藤教授のお考えが理解できません。

(続く)

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