追悼

F・K 様

前略

 お手紙拝見致しました。

 確か、以前の私のブログで、ヨーロッパの街灯の話を書いたときにEメールを頂いて以来だと思います。

 ご主人様のこと、心よりお悔やみ申しあげます。

 プラハのあのお店でお会いした際には、お二人とも本当にお元気で、また仲良くされておられましたね。毎年のように長期間の訪欧をなさることをお聞きして、羨ましいご夫婦でいらっしゃると感じておりました。
 もう一度お会いできれば、人生の先輩でいらっしゃるK・K様に、きっといろいろ教えて頂けるはずだったのに、と思うと残念でなりません。

 いつもそうですが、人は過ぎ去って取り返しがつかなくならないと気がつかないことが余りにも多い、不便な生き物だと感じます。

 先日、「千年女優」というアニメーション映画を見ました。そこでは、引退した女優が主人公なのですが、ある人から「一番大切なものを開ける」鍵を預かり、その鍵をいつか返そうと願いつつ暮らしていくというストーリーを中心にしていました。映画の最後の方で、主人公は、その「一番大切なもの」とは、「自分のその人への想い出」であったということに気付きます。

 ある人への想い出を一番大切なものにして生きるということは、おそらく、私達、不便な生き物である人間がいつも感じてしまう、取り返しのつかないことへの後悔に、わずかながらでも対抗するために、神様がくれた手段の一つではないかと思います。

 私も、プラハの片隅の本当に小さなアンティックショップでお会いした際の、K・K様・F・K様の本当にお幸せそうな姿を一つの想い出として大事にさせて頂こうと思っております。

 いろいろ大変でいらっしゃるでしょうが、お手伝いできることがございましたら、ご連絡下さいませ。
 

ps K・K様が生前私のブログを読んで下さり、「熱血弁護士で男らしくて、いい青年だ」と誉めてくださったそうですが、私は、もう青年というより十分中年の真ん中くらいにさしかかっております。この点だけは、K・K様に訂正して頂けますようお伝えしておいて頂ければ助かります。

                                                                  草々

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