温暖化の兆し

 早いもので、11月も今日で終わりである。

 私が大学時代のときは、京大の11月祭が行われる、勤労感謝の日前後には、農学部・理学部のある北部キャンパスの銀杏は、ほぼ散っていたように思う。夜にバイクに乗ろうものなら、相当の寒さを覚悟しなければならなかった。

 特に私が入学した年の11月末か12月初頭に、大雪が降ったことは鮮明に覚えている。あまりの降雪に当時京大教養部のE号館で授業を受けていた私は、降りしきる雪が気になって授業に集中できないほどだった。外に出てみると、道だけではなく自転車にもバイクにも一面に雪が降り積もり、一体誰の自転車かバイクか分からない状況になっていた。

 京都の底冷え恐るべし、と思い、親に援助を求めて慌てて電気ごたつを生協に買いに行ったような記憶がある。学生にとっての京都の冬は、「こたつ」と「どてら」が必需品だった。こたつに入り、どてらを着込んで丸くなるのが、冬の定番だった。それでも、勉強していると手が悴んだものだった。

 ところが、今、御堂筋の銀杏並木を見ても、確かに散り始めている銀杏はあるが、まだ緑色を残した銀杏も散見される。

 11月は霜月と呼ばれてきたが、現実には霜が降りない霜月になりかかっている。

 そういえば、子供の頃あれだけあった霜柱も、社会人になってから見ていないような気がする。霜柱の立った地面を力一杯踏みつけ、自分の足形を作る遊びや、どれだけ厚い霜柱を見つけられるか競争する遊びなど、私の田舎でも、もうないのかもしれない。

 季節は緩やかだが確実に、暖かい方にシフトしているようだ。

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