0.03点の向こう側

私の手元に、平成8年度の私の司法試験の成績表がある。

平成7年度司法試験、753人が合格した論文試験で、総合成績A(1000番以内)で惜敗した私は、今度こそという思いで、平成8年度の司法試験に臨んだ記憶がある。

平成8年度の成績表には次のように書かれている。

論文試験の合否   不合格
論文試験の総合得点 145.47
論文試験の総合順位 544

 平成8年度の司法試験出願者は25395名、司法試験論文式試験の合格者は768名、単純合格率は3.02%である。私は、この768名が合格した同じ論文式試験で成績は544位(上位2.14%)でありながら不合格とされた。
 これは以前もブログに書いたことがあるが、検察官志望者の減少と司法試験合格者の高齢化から導入された、丙案(論文式試験合格者を、概ね5/7を成績順に決定し、残りの概ね2/7を受験回数3回以内のものから選抜する方式)という、不公平きわまりない合格者決定方式が施行された最初の年であったからだ。

 当時の司法試験は5月に行われる短答式試験(競争率約5倍)に合格して初めて、7月の論文式試験(競争率約7倍)を受験できた。そして、論文式試験合格者は10月の口述試験を受験できるが、口述試験の合格率は95%以上だったはずなので、7月の論文式試験が司法試験のまさに天王山だった。
 受験生は、その天王山に向けて真剣に努力を重ね、実力を身につけていく。そして、3日間の論文式試験で合格に必要な実力を発揮できたものが合格できたのだ。ところが、丙案では違った。私の積み上げた実力は、受験回数が多いということで否定され、私より成績の低い受験回数の少ない受験者が少なくとも220名くらいは合格したのだ。

 ちなみに、司法試験委員会が発表した、合格最低点は、平成8年度論文式試験で次の通りだった。

 無制限 145.50点以上
 制限枠 141.50点以上

 私の得点と、無制限受験者の合格点の差はわずか0.03点であった。私より約4点も点数の低い者が受験回数が少ないという理由で合格し、私は不合格だった。

 また、論文式試験の合格者768名の5/7の順位は、548.57位であり、私の順位は544位であるから、厳格に5/7を適用してもらえば、合格していなければおかしい。しかし、あくまで、比率は概ね5/7となっているので、ぎりぎりで切り捨てられたのであろう。

 おそらく、平成8年度論文式試験の不合格者の中では最高点を私は取っていたのではないかと思う。

 0.03点の向こう側とこちら側。決定的な違いであった。

 向こう側は司法修習生として、弁護士・裁判官・検察官への道が開かれ、こちら側は何もない。むしろ周囲の冷たい目と、どれだけ努力すれば合格するのか分からない精神的な徒労感、来年受験するために必要な経済的負担の問題、合格できなかった場合の将来の不安感など、精神的・経済的荒野が広がっているだけである。

 その2年後、私は、合格できたからまだ良かった。しかし、丙案の実施により、本当に多くの人間が人生を狂わされたことも事実である。

 法科大学院制度と新司法試験、合格者の激増により、今の受験生は私達のときより10倍以上合格しやすくなった。

 しかし、試験制度の変更に対して、受験生は何時の時代でも弱い立場である。

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