猫の挑発?

 S弁護士は、犬派か猫派かと聞かれると、断然犬派である。

 S弁護士は、犬の、嬉しいときは嬉しい、悲しいときは悲しい、楽しいときは楽しい、というストレートな感情表現、主人に一途、裏表がないところ等が大好きなのである。

 一方、猫に関していえば、何を考えているのか分からない・主人はむしろ自分だと思っていそうである・爪でひっかく・春になると、さかりがついて妙な鳴き声を上げる等という点があまり気にくわない。自分が怖がっているくせに妙に余裕を見せようとするあたりが特にS弁護士の気にくわない点である。

 さて、ある週末の深夜のことである。S弁護士は自動車で行きつけのラーメン屋に行き、夜食のラーメンを食べていた。相手方の弁護士から、矛盾一杯かつ失礼な内容の書面が届いていたので、反論を考えていた。食べながら反論を考えていると、ついつい、あまりの失礼な内容に腹が立ってくる。明日は休日なので事務所に出ないが、反論のことを考えると、どうも気分がよくない。

 弁護士であれば誰しも経験するところであるが、悪意に満ちた文章を読むと心が荒む。その文章に対して反論を考えていると、なおさら心が荒むものだ。心なしかラーメンもいつもより美味くないようである。せっかくの夜食ではあったが、S弁護士はため息をつきながらラーメン屋を出ることになった。

 S弁護士は、心が晴れないまま、下宿近くの駐車場に車を置き、下宿に帰ろうとしていた。すると何かがやってくる。猫だ。全身白い猫だ。

 深夜にもかかわらず白い野良猫が堂々と道の真ん中を、とっとこ・とっとこ駆け足でこちらへ走ってくる。大体1.5車線くらいしかない路地である。こっちはもし車が来たらと思って道の端を歩いているのに、堂々と真ん中を駆け足している。

 欧米では黒猫に前を横切られると縁起が悪いということで、とにかく視野に入る黒猫を追い払う人もいると聞いたことがある。だが、今、こっちへ向かってくるのは白猫だ。縁起の問題は関係ない。

 しかし、普段はそんなことは滅多にないのだが、やはり心は荒んでいたのかもしれない。S弁護士は、ちょっとした、悪戯心で、さっと通せんぼするふりをしてみた。すると、猫も本心ではビクビクもんだったのだろう、一瞬で身を翻し全力疾走で走り去り、近くの駐車場に猫は駆け込んでいった。

 ふっ、チョロイもんだぜ、所詮は猫、通りの真ん中なんか歩くんじゃねえ。これからは、もっと猫らしく端を歩くモンだ。と荒んだ心で猫に毒づきながら、S弁護士は猫の逃げ込んだ駐車場を何の気なしに覗いてみた。

 すると、猫がいた。まごう事なきさっきの白猫である。顔は横を向いており、こっちを無視しているようである。

 腹が立つことに、駐車場のど真ん中に堂々と寝そべっている。わずか5秒ほど前に全力で逃げ去った猫である。それが寝そべる必要もないのに、30分も前から暇つぶしをしていたかのように、手足を大きく伸ばして寝そべっている。しかもこちら横目で見ながら、挑発するかのごとく尻尾で地面をビタン・ビタンと叩いておるではないか。

 そのとき、S弁護士には、聞き耳頭巾もないのに、猫の次のような声が聞こえたという。

 「おや、今頃、通らはるんですか。大分長いことかかりますなぁ。あんさんみたいに、中年太りで足の遅いお方、ちっとも怖いことおまへんで。」

 白猫が余裕を見せたがっているのは分かっている。ポーズだけ余裕を見せても奴は今でも、内心ビクビクしているはずだ。常に横目でこちらを見ていることからも分かる。多分、駐車場に向かって走り出す構えを見せただけで猫は、すっ飛んで逃げるだろう。

 ここで白猫を無視するのは相手の余裕を認めてしまったようで悔しい。しかし、追いかける構えを見せることは、実は、猫の挑発に乗せられたことになるのではないか。

 S弁護士の頭の中で一瞬思考が交錯する。

・・・・・しかし、挑発は乗ってしまった方の負けである。

 ええい、ここは無視してやる。ありがたく思えよ。

 結局S弁護士は、そう思って、その場を歩き去ったのである。しかし後で考えてみると、白猫はそこまで予測してあのような態度を取っていたのではないかとも思えてきた。

 猫の仕掛けた心理的わなに、S弁護士は、まんまと引っかかってしまったようである。

 S弁護士が猫派の人の気持ちが分かるのは、まだ遠い先のことのようである。

時代劇の悪役

 S弁護士の父親は、S弁護士から見ても、あきれるくらい時代劇が好きである。

 NHK大河ドラマは当然として、定番の水戸黄門、遠山の金さん、暴れん坊将軍、ちょっとテーマ曲が寂しい感じの大岡越前、お~と~こだった~らの銭形平次、死して屍(しかばね)拾う者なしの大江戸捜査網などなど、まあよく見ていた。今も年末やお盆に実家に帰ると、年末特集の白虎隊やら何やらよく見ている。

 時代劇は、話としては単純である。

 大抵の時代劇は、善良な商人(茶屋の娘の場合もあり)が悪代官(悪徳商人の場合もあり)にひどい目に遭わされ、「神も仏もあるものか・・・・・」と悲嘆にくれる。しかも、悪役は悪役面の俳優さんが必ずと言っていいほど演じており、一目で悪い奴かどうか分かる仕組みになっていて、番組の途中から見ても、どっちが悪役かすぐ分かるようになっている。

 そして、悪代官と悪徳商人が

「そちも、相当の悪よのう。○○屋」、

「いえいえ△△様にはかないませぬ。これで△△様も××様のあとを襲うてお奉行様に・・・」、

「これ滅多なことを言うでない。」

「いえいえ、もうお奉行様になられたも同然。これはそのときのお支度にお使い頂きたいと思うて、お持ちいたしました山吹色の菓子でございます。なに、ほんのお口汚しに・・・・」

「困るな、○○屋。まあしかし、菓子をくさらせるのももったいない。預かっておこう。」

「△△様、これで二人は同じ穴のむじな。今後とも、どうぞよしなに・・・・」

「うっしゃっしゃっしゃ・・・・」「ほほほほほ・・・・」

・・・・・・・てな具合で、悪役達が自らの首尾に酔いしれているところを、主人公やその仲間(水戸黄門の場合は風車の弥七)が目撃する。そして、弥七役のご注進を受けた主人公が真相を解明し、印籠やら桜吹雪を駆使して悪役を成敗し、めでたしめでたしである。

 大抵の悪役は、それまでに助さん・格さんや吉宗のみねうちや、平次の銭投げで痛めつけられているので、決めの印籠やら桜吹雪にめっぽう弱い。(最初から勝負は付いているのだが)印籠や桜吹雪が出た時点で「勝負あり!」である。

 つまり、時代劇は、どうしても代えようのないワンパターンであり、決して悪が勝つことはないお約束である。だからこそ安心してみていられるという面もある。

 ところが、これが、遺伝のせいかどうか分からないが、悔しいことに、S弁護士にも心地良いのである。仕事の関係で、そんなに早く家に戻らないので滅多に見ることはないが、TV番組で見かけると、結論が分かっていながらついつい見てしまうことがある。

 しかし、S弁護士の楽しみはそのワンパターンに乗った安心感だけではない。本当に希ではあるが、ワンパターンにおまけが付くことがある。

 散々痛い目に遭わされた上に、印籠を示され、いつもならへへーっとなり、命乞いする悪役が、ごく希に

 「ええい、こんなくそじじいが黄門様であるはずがない。切れっ!切ってしまえ!」

 「ええい、かくなるうえは・・・・・・」

 などと開き直って、襲いかかってくることがあるのだ。いつもなら印籠だけで勝負が付くので、開き直られて主人公が慌てれば面白いのだが、大抵はそんな反撃も想定の範囲内とばかりに、主人公達によって、あっさり悪役はやられてしまう。

 しかし、印籠という絶対に逆らえない正義を示された途端、直ちにこれまで行ってきた悪逆非道な行動を忘れたかのように命乞いをする悪代官より、実力でも権力でも、そして正義の面でも絶対に勝てないことを知りつつも最後まで悪役に徹しきる悪代官の方が、筋が通っているような気がして、なぜだかS弁護士は少しばかり好きなのである(悪人が好きというわけではないので念のため)。

 たまに時代劇を見ると、悪役が最後まで悪役で踏ん張らないかなぁ、とS弁護士はいつも少しだけ「おまけ」を期待しているという。

魔女の一撃~後日談

 ギックリ腰を患って分かったこと。

 ・歩行者、自転車が怖いこと。

 とにかく、歩くのが精一杯なくらい痛い場合があるので、急な進路変更、体重移動はできません。また、すれ違うときに肩が当たるくらいでも激痛必至なので、とにかく、他の歩行者・自転車に近寄らないよう、十分警戒して歩く必要があります。また、歩行スピードがかなり落ちるので、歩行者用信号が点滅し始めると、もう道路を渡ることは出来ません。急いで渡ろうとする人がすぐ近くを走りすぎると、ドキッとします。

 ・階段の手すりが有り難いこと。

 階段を昇降する際には、結構腰に負担がかかるため、あらゆる階段で手すりが有り難く感じます。そうはいっても、階段の手すりは、通常通路の両はしにあるため、私がヨチヨチと階段を下りている際に、階段の端っこを上ってきて、進路を譲ろうとしない若造とは一瞬鉢合わせ状態になってしまいます。そのときには若造の「何や、このオヤジは!」という無言の圧力にさらされます。 また、階段の手すりが思ったより汚れている場合も多く、これは考える必要があるかもしれないと思いました。

 ・満員電車は痛いこと。

 満員でなくても、電車の中で長時間立つことは苦行になります。腰の負担を軽減するため、周囲に分からないように、できるだけつり革にぶら下がり、腰に重量がかからないようにするのです。しかし、降車する人が後ろを通過するたびに、身体が少し当たりますので、その際には、腰に相当な痛みが走ります。

 ・やっぱり痛み(辛さ)は見えないこと。

 周囲から見れば、全く痛みのない行動が、私にとっては痛みを伴う行動となるので、私が痛がっていることが不思議に思われるようです。この魔女の一撃がどれだけ痛いかについては、体験してみて下さいとしか言えません。特にやっちまった初日は、四つんばいで這うことすら大変な状態でした。

 考えてみると、上記の各点は、いずれも健康なときには気付かないことであって、人間は、やはり相手の立場に立って考えることは難しいものなんだ、と改めて感じさせられました。

強烈!魔女の一撃!~その2

 キッチンで寝るはめになったと簡単には書いたが、S弁護士も簡単に寝たわけではない。

 まず、薬箱に、幸い、肩こり・腰痛に効くという漢方の痛み止めがあった。それを服用したのだ。

 成分表には、他の成分に混じって地竜エキスと書いてある。地竜とはミミズのことだ。初めてそのことを知ったとき、もう漢方なんて飲まないと思ったものだ。だがこの非常時にミミズだろうが何だろうが、なりふり構っちゃいられない。

 ところが、薬を飲むために顔を上に向けようとすると、またもレベル7~8の痛打がくる。顔を上に向けるためにさえ腰を使っているなんて初めて知った。それでも頑張って、顔を僅かに上に向けることができた。痛みに耐えてなんとか水を少し口に含み、漢方の痛み止めを一気に流し込む。

 頼む!少しでも効いてくれ!

 しかし、次の瞬間S弁護士に聞こえたのは、「う」という自分の声だった。

 漢方薬は、粉末ではあったが、水に溶けるものではなかった。しかも、今さら悔やんでも遅いが、痛みに妥協して口に含んだ水の量が少なすぎた。その結果、全ての粉末を流し込めなかった。つまり、漢方薬の一部がノドの奥に張り付いてしまったのだ。

 咳をすれば激痛必至だ。「止めろ止めるんだ!」頭の中で必死に身体に指令を送る。

 ・・・しかし、人間の身体とは馬鹿なものである。どれだけ脳が咳を止めよと命じようが、現に痛みを感じていようが、しなくても良い咳と、いま目の前にある腰痛のどっちが大事か判断がつけられないほどの大馬鹿野郎である。

咳が、腰も使った全身運動の一つであることだけは、痛いほどよく分かった。

(続く・・・かも)

強烈!魔女の一撃!~その1

 S弁護士は、首を痛めていた。受験生時代に交通事故の被害に遭ってから痛めていた首が肩こりから再発したのだ。近くの整骨院で診てもらい、結構ひどいので動かさないようにと、首に治療用のカラーをはめられ、ロボットのようになって帰宅した。

 その夜のことである。
 S弁護士は、風呂から上がって、下に落ちているものを拾おうとしていた。首が痛いので、首に負担をかけないように腰でかがんだのがまずかった。

「?!」

 腰に電気が走った。一瞬背筋が反射的に伸び、直立の姿勢にもどった。別にその姿勢では痛みもないし、どうやら何もなさそうである。

 思えばこの僅か1秒足らずの間に事態の深刻さに気付いていればよかったのだ。だが、悲しいかなS弁護士は、あまりにも経験がなさ過ぎた。

 S弁護士は再度腰でかがもうとした。その瞬間、腰を起点に大激痛が走った。もはや、一瞬も身体を動かせない。動かそうとすると更に激痛が走る。既に今の姿勢を維持するだけが、せめて痛みに耐える最良の方法になっていた。

 やられた。
 これが、ギックリ腰ってやつだ。

 しかも相当痛い。S弁護士はこれまで人間の3大痛みの一つといわれる、尿路結石を3度経験している。そのときの痛みの強さをレベル9とすれば、確かに痛みの強さレベルは7.8~8.0くらいだと思う。しかし、腰椎全体から響く、その痛みの大きさが、結石とは違って、大きい。

  ドイツでは、ギックリ腰のことを魔女の一撃というそうだ。それだけ聞くと、年老いた魔女がよろよろと杖をふるっている姿が想像されるが、そんな可愛いモンではない。まだまだ体力の有り余る太っちょの魔女が、固く乾燥した杖を使って繰り出す、全力をふるっての一撃である。その後、僅かでも身体を動かそうとすると、追い打ちをかけるかのように魔女がレベル7~8の痛打を連打してくれる。しかも腹が立つことに、今から思うと、魔女は笑っていたような気さえするのである。

つまり、その、ギックリ腰というやつの実態は、結構強烈である。

「ちきしょー、痛いぜ、ギックリ腰なんてユーモラスな名前つけやがって、そんなん、実態と合わんじゃないか!伴激痛性腰部挫傷くらいの名前にしてもらわんと、割にあわねえ・・・・。」と見当違いのイチャモンを痛みに向けながら、結局その日、S弁護士は、階段を上ることすら到底出来ず、キッチンで寝るはめになった。

(続く)

いまだにもったいないと思う事

 15年以上も前の話である。

 京都に下宿して、司法試験をめざしていたS受験生は怒っていた。

 学生街という宿命か、それとも◎ホバの証人の集会所が近くにあったせいか、自宅で勉強している時に、いろんな宗教の勧誘がしょっちゅうやってくるからである。

 奴らは無遠慮にブザーをブーブー鳴らし、住人が根負けしてドアを開けるまで鳴らし続ける。つまり、S受験生の勉強を容赦なく邪魔をするのである。

 そして、S受験生が怒りに燃えてドアを開けると、わざとらしい笑顔を見せつけて様々な勧誘文句を言うのである。

 「悩みはありませんか、楽になれる方法があります。」

「今すぐ司法試験に合格させろ、そしたら最大の悩みは解決じゃ!」(S受験生の心の叫び)

 「貴方の健康を祈らせて下さい、血がキレイになりますよ。」

 「何で病院でやらんのや!」 (S受験生の心の叫び)

 「聖書に興味ありますか」

 「そしたら聞くけど、あんた、司法試験六法に興味あるんかい!」(S受験生の心の叫び)

 とにかく、勉強を中断されては、宗教への勧誘を撃退する日々が続いていた。

 そんなある日、東京から高校の友人がやってきた。彼の話によれば、何でも、××寺とかいうお寺の「幸福御守」がいろんなことに絶大な効果があるという。彼の先輩もその御守りで公認会計士試験に合格したという。宗教勧誘と戦い続け、荒んでいた受験生の心には、その話がいかなる宗教の勧誘よりも魅力的に思えた。

 そんなに効果があるのなら、 買ってみようと思い立ってもS受験生の罪ではあるまい。

 S受験生は、友人と××寺に向かいその幸福御守りを手に入れた(買った)。けったいな事に幸福御守一つにつき、お願い事は一つだけなのだそうだ。しかも願いがかなったらお礼にくるようにとまで書かれていたような記憶がある。また、××寺の境内にはわらじを履かせた、そんなに古そうには見えない地蔵菩薩がまつってあった。説明書きによると、このお地蔵様が、歩いて家までやって来て、幸福を授けてくれるのだそうだ。昔の人は変わったことを思いつくものである。

 まあいいや、とにかく御守りを買ったのだから。気休めくらいにはなるだろう。S受験生は自宅にもどり、いつものように勉強を再開した。

 しかしである。

 その夜遅く、S受験生が勉強しているとまた、下宿のブザーがブーブーと鳴る。

 「こんな遅くにどいつや!」と思って、ドアを開けると、そこにはまた笑顔の人影が。どう見ても、宗教関係者の出で立ちである。

 「宗教の勧誘なら結構です!」と冷たく言い放って、ドアを閉めようとするS受験生の意識に若干の違和感があった。「このままドアを閉じてはいけない」と何かが叫んでいるが、「宗教の勧誘=ドアを閉める」と条件反射的に凝り固まったS受験生の行動は急には止められない。

 ドアは閉まった。

 「しまった!なんて事を!」 慌ててドアを開けたが、もう人影はいなかった。

 笑顔の人影は地蔵菩薩だった。

 それが違和感を感じた原因だった。

 S受験生は、せっかく幸福を届けに来た(かもしれない)、お地蔵様を門前払いしてしまったのである。

 というところで目が覚めた。

 その夢を見てから、合格まで更に何年か要した事は言うまでもない。

どっちが良いのか・・・・?

 ある日、S弁護士は京阪電車の駅を出て、自宅に向かっていた。

 時刻は22:40を過ぎており、雨がそぼ降る晩だった。何となくお腹の調子も良くないので、急ぎ足で横断歩道を渡るS弁護士の視界に、地図を片手に辺りを見回す外国人がいた。迷っているかもしれないな、とS弁護士は直感した。

 S弁護士は、これまでなぜか人に道を聞かれることが多かった。海外で外国人から道を聞かれてしまったこともあるくらいである。しかし、いまは駄目だ。お腹の具合もあるので、できれば早く帰宅したかった。「頼む、俺に聞かないでくれ。後ろから来ている学生風の女性の方が絶対、英語通じるぞ!俺なんかに聞くなぁ-・・・・!」と祈りつつ横断歩道を渡った。

 「アノー、スミマセン、バスストップドコデスカ?」

 苦しいときの神頼みは駄目だった。後ろをさっと通り過ぎる学生風の女性。もう助け船は来ない。ここで、外国人を無視することも、途を知らないふりをすることも、日本語が分からないふりをすることさえもできた。しかし、やはりS弁護士は弱かった。

「バス停ですか・・・・。あっちにあるんですけど。」とバス停のある方向を指さすS弁護士。しかし、たまたまそこは京阪電車の地上出口が視界を塞ぎ、バス停はこちらからは直接見えない。首をかしげる外国人。

 溺れる者は藁をもつかむというが、おぼれている人は、藁と分かっていてもその藁を簡単には手放さないのだろう。その外国人もS弁護士を容易に解放しない。

 「ヨンバンノバス、カミガモジンジャ、イキタイノデスガ」

 バス停の場所を聞くよりも要求がエスカレートして来ている。このままではまずい。お腹の調子からしてタイムリミットはそう長くはないはずである。

 「そんなん、わからへんわ。大体、俺は市バスをほとんど使わへんのやから。分かるわけないやろ!」と心の中でぼやきつつ、S弁護士の口から出る言葉は、S弁護士の心の中を裏切る。

 「しょうがないですね。バス停まで行ってみましょうか。」

 こんなときに限って信号は赤である。いつもより長く感じる赤信号が変わるのを待ち、のんびり歩く外国人の先を導くように早足で、バス停に向かうS弁護士。果たして、バス停には市バス4系統の表示があった。

 「ほら、ここでいいでしょ。」

 「オー、ヨンバン、ヨンバン、アリマス」

 よかった、これで解放される・・・・・。と思いつつバス停のバス接近表示板をみると、赤い表示が。

 赤い表示には「終了」と書いてある。市バス4系統は既に終了していたのだった。市バス4系統が止まるバス停を、S弁護士は確かに教えてあげた。相手の要望には応えたはずだ。だが、このまま放っておけば、この外国人は帰れない。

 「あ~、残念ですけど、市バス4番はもう終わっていますね。アウトオブサービスです。」

 通じるかどうか分からないが、相手の日本語能力がそこそこあることに期待して、日本語で答える。もちろん、アウトオブサービスで正しいのかも分からない。しかし、思ったよりも日本語が達者な外国人であったようで、すぐに意味を理解したようだ。

 「オワッテル?マア、ドウシマショウ?」

とこちらを振り返る外国人。

 「そんなん聞かれても、知らんがな」(S弁護士の心の叫び)

 さすがに、お腹のタイムリミットが近いS弁護士にも時間的限界が来ていた。

「そうですね、バスがないならタクシーを使うしかないのではないですか。上賀茂神社までは結構距離がありますから。」

と言って、向こうに見えるタクシー乗り場方向を指し示す。そして、「(今思うと、何も悪くはないと思うが)悪いけど、もう帰らせて」と心の中で言って、その外国人と別方向に向かい、早足で自宅に急ぐことになった。

 その後、自宅にたどり着き、ようやく落ち着きを取り戻したときに、S弁護士はつい、考えてしまった。

 あの外国人大丈夫やったかな、バス停に行く前にタクシー乗り場の近くにいたんやから、本当はお金がなかったのかもしれないな、もしそうやったら、どうしたんやろ。

 外国人に声をかけられたときに、分からないふりをして素通りしておけば、そんな心配までしなくてすんだのかもしれない。しかし、バス停まで案内した今の方が心配になってしまう。こんなことなら、聞かれたときに分からないふりをした方が、こんな心配しなくてすんだだけ楽だったのかもしれない。

 どっちが良かったのだろうか・・・・・。

初めての遠近両用眼鏡~その1

 先日、ためしてガッテンだったかで緑内障は怖いという番組を見た。その後、どうにも左目がかすむような気がしてきた。気にすれば気にするだけ、かすみがあるような気がしてきた。こいつは不安だ、と思ったので、眼科で診察を受けてみた。

 眼圧検査の他、暗闇の中で赤い点を見つめさせられて、目玉を調べられる検査などを受けた。結果的には、眼圧などの異常はなかったようで、特に病気を指摘されることはなかった。

それはそれで良かったのだが、その際に、S弁護士は眼鏡の度数が合っていないことを指摘された。

そういえば、ずいぶん前に作った度数のまま、変更してなかったので、「それなら新しい眼鏡をつくります」、と答えたところ、眼科の先生から遠近両用眼鏡を勧められてしまった。

遠近両用眼鏡といえば、眼鏡のレンズの下半分に凸レンズがくっついているイメージ。しかも、S弁護士の勝手な、遠近両用の眼鏡をかけている人の印象ときたら、他人とお話しする際には、眼鏡が下側にずり落ちていて、眼鏡のレンズを通さずフレームの上端越しに見られているような、妙な感じ。なんとなく、頑固で意固地な古本屋の親父がかけていて、ときおり客をじろっと睨んでいそうな雰囲気しか記憶にない。

は~、ついに老眼鏡を兼ねた眼鏡か~。

認めたくないけれども、老いぼれてきてるんだなぁ~、とため息をつきながらも、S弁護士は勝ち目のない最後の抵抗を試みる。

S弁護士 「あのう、今までの近眼用の眼鏡だとダメでしょうかね・・・」

先生 「あのね、どっちにしても老眼は40歳半ばから進行してるの。今から慣れておかないと将来、急に遠近両用に変えたって、慣れるのが大変なんだから!階段踏み外すよ~!!あたしだって、ちゃんと遠近両用の眼鏡持ってるし。」

ちゃきちゃきとした眼科の女医さんに、早口でまくし立てられ、バッサリと斬られた。

「いや、でも、先生、持ってはるってゆうても、眼鏡、かけてはらへんやないですか・・・・」と切り捨てられながらも、混ぜっ返したいところをぐっとこらえるS弁護士。

餅は餅屋。訴訟は弁護士。基本はその道の専門家に任せた方が良いのだ。

極度のド近眼のS弁護士は、相当対象に近づかないとピントが合わないため、あまり近くが見にくいということはない気がするのだが、それはあくまで本人がそう思っているだけなのだそうで、老眼は確実に進行しているらしいのだ。

眼科医院の中で、レンズを何枚か差し込める、見た目がかなり間抜けな、マッドサイエンティストがかけていてもおかしくない眼鏡を装着され、レンズをとっかえひっかえし、気分が悪くないか、近くや遠くは見えるか、等と散々質問を受けたあげくに、ようやく処方箋を頂けた。

もう腹は決まった。どんなにアンチエイジングに狂っている人でも、結局は寿命が来る。つまりどうあがいたところで、結局、加齢による老化には勝てないのだ。しかも処方箋までもらっちまった。どうせ人間は生まれながらに老いていく存在なのだ。それなら、年相応に遠近両用眼鏡にトライしてやろうじゃないの。今までどおり、運動するときは使い捨てコンタクトを使えば良いんだし。

たかが眼鏡を作ることを決めただけで、勝手に盛り上がるS弁護士であった。

さて、次は眼鏡の注文だ。

(続く)