動物園

 小さい頃にはそうでもなかった施設が、年齢を重ねることによって面白く感じられるようになることがあります。

 私の場合、動物園は、そのような施設の一つです。

 小さい頃は田舎に住んでいましたから、滅多にない都会に出た機会などに親に連れて行ってもらうことがたまにあったくらいです。しかも、動物園を観たあとで遊園地の方が良かったなどとわがままを言ったりしたこともあるようです。

 ところが、今では結構、動物園が楽しいのです。動物園もいろいろ工夫しはじめていることもあるのでしょうが、動物たちを見るのが楽しくて仕方ありません。あまり長時間いると疲れてくるのですが、それさえなければ、一日過ごしても十分楽しめる自信があります。子供の頃、何も考えずに観ていた動物に対しても、「おっ、今のは機嫌が悪いってサインかな」「突然騒ぎ出したのは動物園の係員が通ったからか」等と、いろいろ考えながら見ることができます。

 こんな面白いものを子供連れだけに、占拠させておくのはもったいないくらいです。

 私の現在のお気に入りは、シロクマ(ホッキョクグマ)とオオカミです。展示の仕方にもよりますが、結構長時間観ていても見飽きません。

 海外旅行に行く機会があっても、時間がとれれば動物園を覗いてみます。ベルリン、バーゼル、ブダペスト、プラハ、レイキャビクなどの動物園をこれまで観ました。

 それぞれの動物園の印象はそのうち書く機会があると思います。

エスカレーター

 ブダペストやプラハの地下鉄は、地上から相当深いところを走っています。駅のホームと改札口は大抵、長~いエスカレーターで結ばれています。列車が到着すると、乗客が一団となって長いエスカレーターを登ってくるので、何となく修学旅行を見ているようで面白いものです。

 ところが、そのエスカレーターの角度が急で、しかもかなりのスピードで動くので、初めて乗るときは結構勇気が要ります。お年寄りには少し大変かもしれません。しかも、写真に撮ったように、広告が斜めに貼り付けられている駅が多く、広告を見ながら下りのエスカレーターに乗っていると、次第に自分の体が前に倒れていくような不思議な感覚に襲われます。

 ちなみに、エスカレーターが4本設置してあっても、動いているのは大抵両端の2本だけという駅がほとんどで、地球温暖化対策が実施されているのかもしれません。ただし、停止して階段の状態になっているエスカレーターを歩いている人は、一人も見ませんでしたので、メタボリック対策はまだまだこれからなのでしょうね。

 それでも、数日間そのエスカレーターを利用していると、何の違和感もなく使えてしまうから不思議です。帰国した関西空港のエスカレーターが実に遅く思えてしまい、それだけでイライラしそうになってしまいました。慣れとは恐ろしいものですね。

 あと余談ですが、急いでいる人のためにエスカレーターでは、関西地方は左側を開けますが、関東地方は右側を開けているようです。ブダペストでもプラハでも、皆さん左側を開けていましたので、関西方式がインターナショナルやん、と少し嬉しくなりました。

オーバーブッキング

 航空会社では、当日のキャンセルなどに備えて、飛行機に搭乗できる定員以上に予約を受け付けること(オーバーブッキング)をやっているそうです。ところが、予想に反して当日キャンセルが出なかったりすると、予約したお客さんを全員乗せることができなくなります。

 そこで、エコノミーのお客さんをビジネスクラスに乗せたり、ビジネスクラスのお客さんをファーストクラスに乗せたりする場合があります。これをアップグレードといい、エコノミー料金でありながら、ビジネスクラスの座席とサービスを得ることができてしまったりするのです。 逆に差額を返却するのでファーストクラスのお客さんをビジネスクラスに乗せることもあるそうで、私は見たことはありませんが、これをダウングレードというそうです。

 どういうお客さんをアップグレードしてあげるのかは、航空会社によって違うらしく、身なりのいい人を乗せているのではないかという説まであります。しかし、まず間違いないのは、その航空会社のマイレージカードを持っており、しかもそのカードのグレードの高い人が優先される可能性が高いということです。

 昨年末から今年初めにかけて、中欧を旅行した私は、帰りの飛行機で全く同じ席の搭乗券を持っている方が現れ、オーバーブッキングに遭遇しました。私はその航空会社のマイレージ会員でしたので、私の方がアップグレードして頂く幸運に恵まれました。

 私と同じ席の搭乗券を持っていた人にもアップグレードのチャンスがあったのに、私がアップグレードしていただいたので、何となく申し訳ない気持ちになり、席を替わる際に「すみません」と言って、ビジネスクラスの方に移らせてもらいました。

 ところが、私が「すみません」というと、その方は、「良かったですね」と笑顔で言葉を返して下さったのです。

 素敵な方だと思いました。

 他人の幸運を素直に喜んであげることは簡単なようでなかなかできることではありません。特に幸運に恵まれるチャンスが同じようにあり、自分ではなく他人が幸運を得た場合には、相手の幸運を喜んであげることは更に難しいことだと思います。自分がチャンスを得られなかったという残念な気持ちがどうしても出てくるからです。

 私もその人のように、素直に相手の幸運を喜んであげられる人になりたいと思いつつ、機内の時間を過ごしました。

弁護士過疎をなくすには・・・

 大阪弁護士会では、今回会長選に3名の弁護士の方が立候補されているようです。弁護士会の会長選挙は、ほとんど知られてはいませんが、とても民主的とは言えないウルトラ・スーパー情実選挙です。

 ある意味面白いので、またの機会に、その内幕を少し、お話しできると思います。

 それはさておき、私はこのブログで、弁護士の数が既に多すぎることを指摘してきました。しかし、未だに弁護士が不足しているという声もあり、その最も大きな理由が弁護士過疎地域が存在するという事実です。この問題についても、会長選挙の一論点になっており、どう解消するのかについて各候補が様々な提案をするはずです。

 ただ、思うのですが、弁護士過疎問題を最も簡単に解決するには、日弁連か各弁護士会の会長・副会長を務めた(若しくはこれから努める)弁護士はゼロワン地域で数年間勤務することを義務づけるというのが一番だと思います。
 なぜなら、自ら弁護士会の執行部にいた間に弁護士過疎の問題を解決できなかったわけですし、もともと自分の名誉ではなく弁護士および日弁連・弁護士会のために働きたい人たちなんでしょうから、当然それくらいの覚悟をお持ちだと思うからです。逆にそれができない人であれば、結局弁護士会よりも自分の名誉が主な立候補動機と推定されるので、弁護士会の執行部にはいない方がいい人達ではないでしょうか。
 過疎地域でも、会長等を努めた(立派な?)弁護士が来てくれるのであれば大歓迎でしょう。

 妙案だと思うんですけど、誰一人候補者は賛成してくれないようです。

 ということは、その方々の立候補の動機は・・・・・・・?

新年にあたり

 皆様、新年あけましておめでとうございます。 2008年が皆様にとって良き年になりますよう、またイデア綜合法律事務所が皆様の幸せに寄与できますよう、祈念しております。

 さて、2008年を迎えて、当事務所に新戦力が加わりました。

 太井徹(たいとおる)弁護士です。

 当事務所初のアソシエイト弁護士となります。

 大阪弁護士会会員の方には、近日中にご挨拶を配布いたしますが、そうではない方にも早めに知っておいて頂きたく、ブログに記載させて頂きました。

 これで、当事務所の陣営はパートナー弁護士5名、客員弁護士1名、アソシエイト弁護士1名の合計、弁護士7名になりました。

 皆様には、これまで以上に充実したリーガルサービスをお届けできますよう、更に精進する所存ですので、今後とも、イデア綜合法律事務所をよろしくお願いいたします。

J・Sバッハ「管弦楽組曲第3番よりair」

 先だって、受験時代のH君との話とカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲のことを書きましたが、その際に私が候補にあげた曲の一つがJ・Sバッハ「管弦楽組曲第3番の「air」楽章」です。いわゆるG線上のアリアとして有名な曲ですから、ご存じの方も多いでしょう。いろいろな楽器で演奏されますが、やはりオーケストラによるものが一番しっくりきます。

 私がこの曲からうける印象は次のようなものでした。

 既に私はこの世での生を終えています。天上に向かう途中のようです。冥界の使者なのか天使なのかは分かりませんが、ある存在が、ゆるやかに、私に立ち止まって振り返るように身振りで伝えます。

 私は何の疑問もなく、そうするのが当たり前であるかのように、振り返ります。私の動きは水中であるかのように、ゆっくりです。人々が生活し、暮らしている、しかし、私のいなくなった地球を眺めながら、自分の人生を静かに想い起していきます。楽しかったこと、悲しかったこと、どうしようもなく切ない思いに暮れたことなど、自分が人生で体験した光景が、既に記憶の底にしまい込み思い出すことさえなかったことまで含めて、ゆっくりと目の前を流れていきます。しかし不思議と話声や音は聞こえません。

 心はもはや何物にも乱されることはありません。感情から解き放たれ、ひたすらに静かに穏やかなだけです。ただ、私が体験してきた全てのことに、やはり意味があったのだという想いだけは間違いなく感じられるようです。

 ここまでで、私がこの曲から受ける印象のおよそ半分くらいです。これ以上は私の言葉で表現することはできません。あとは、実際に曲を聴いて感じて頂くしかないようです。私の個人的な印象ですが、この曲は、もはや、人の領域を超えて神の領域までをも表現した曲であり、神の領域を人間の言葉で表現することは不可能であるからです。

 おそらく、この曲を作曲したときのバッハの魂は、完全に浄化され、あらゆる色を拒絶して純白に輝きながら結晶化しており、既にこの世ではなく、天上に存在していたにちがいありません。

 わずか5分程度の小曲ですが、その曲に含まれた世界は広大です。忙しい師走ではありますが、少しだけその広い世界を覗いてみられてはいかがでしょうか。

 今年のブログは、これで終わります。今年6月からはじめた、読みにくいブログを読んで下さった方々、有り難うございました。皆様が、良き年をお迎えになることを願っております。

 なお、当事務所は新年は1月7日より始業いたします。ブログも更新していく予定です。

 今後ともイデア綜合法律事務所をよろしくお願いいたします。

何時も紳士ではいられない?

 仕事柄、電話の応対が多いのですが、時折けんか腰の方や、非常に失礼な方からの電話もあります。中にはイチャモンをつけているとしか思えない電話もかかってくる場合もあります。

 その際には、こちらも、通常の応対よりもきつい電話応対をすることもあります。つまり、こちらも相手に敬意を払わない態度で応対することもあるということです。

 私の場合も、相手方から何らかの失礼な物言いを重ねてされたとか、ケンカを売られるような態度で話された場合に限りますが、きつい対応を行うことはあります。何時も紳士ではいられない場合もあるということですね。

 ただ、電話応対で本気で怒ったことは弁護士になってからは、まだないように思います。

 できれば本気で怒るような事態がおきることなく、仕事をしていきたいものです。

クリスマスと新年

 私の数少ない趣味の一つが、旅行です。特に年末はまとまった休みが取りやすいので、海外旅行に出かけるチャンスがある時期です。国内旅行だと何時、携帯電話で仕事関係の連絡があるかも分かりませんので、完全に仕事を忘れることができるのは、海外旅行くらいなのです。

 何度か、年末に海外に出かけたことがあるのですが、何時もクリスマスの飾り付けがされていて、驚きます。大体早くても12月28日に出発するので、日本ではもう、お正月向けてクリスマスの飾り付けは取り払われています。門松の準備がされているところすらあっても良い時期です。

 ところが12月28日にこちらを出発しても、向こうでは、結構クリスマスの飾り付けが残っていて、クリスマスが続いているようなのです。オレンジのナトリウム燈がともされた街灯に浮かび上がる、街角の小さな窓にクリスマスを祝う飾りが控えめにぶら下がっているのを見るのは、なぜだか、大通りの派手な電飾を見るよりはるかに風情があります。

 日本ではクリスマスは25日で終わり、改めてお正月がやってくる感じですが、(私の出かけたことのある)海外では、クリスマスの延長としてニューイヤーがあるように思われます。

 クリスマスはクリスマスで終わらせて新たな気持ちで新年を迎える日本と、クリスマスの延長として新年がやってくる(と私には思われる)海外と、微妙な感覚のズレがあるようで、面白いところです。

「カチカチ山」 太宰治著

 「カチカチ山」って、あの狸とウサギの物語でしょ。日本昔話じゃないの?

・・・・と思われる方がほとんどだと思いますが、私が紹介するのは太宰治が自分流の解釈を加えて再構成した「カチカチ山」です。

 太宰は、「カチカチ山」に登場する狸を愚鈍大食の醜男37歳、うさぎをアルテミス型美少女16歳になぞらえ、「狸はウサギに惚れていた」として話を進めます。その発想自体が常人では不可能なものであり、太宰の天才たるゆえんでもあると思うのです。

 非常に面白い話なので、詳しくは実際に読んで頂くとして、太宰の結論は、「女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。」というものです。

 この太宰の結論には、女性は賛同されないかもしれませんが、おそらく大多数の男性は苦笑しながらも頷かざるを得ないのではないでしょうか。

 この作品は、手に入りやすい所では、新潮文庫の「お伽草紙」に所収されています。「お伽草紙」には、他にも「吉野山」・「女賊」(特に女賊の前半の面白さは秀逸です!)など、読んでいてとても面白い作品が含まれており、お薦めの一冊です。

カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲

 一番美しいと思うクラシック音楽は何だろうと、司法試験受験時代に受験仲間だったH君と話し合ったとき、H君が推したのが、このカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲です。

 映画ゴッドファーザーパート3でも効果的に使われていましたし、TVCMにも何度も登場しているので、耳にすれば「ああ、この曲なのか」と思われる方も多いでしょう。

 静かな、霧に包まれた牧場の夜明けを思わせるような導入部から、この曲は始まります。

 そして、次第に朝の光が増していきます。誰にも汚されていない清澄な空気が立ちこめ、あたりは霧でボーっと明るいようです。その中で一人、しっとりと湿った大きな樹に背中を預けながら、甘美であったが決して結実することのなかった、かつて過ごした夢のような時間へと、自分一人で戻っていきます。
 しかし、そこはあくまでかつて過ごした夢の時間であって、取り戻すことも、今後もう一度経験することも、もはやできません。

 そして、過ぎ去った美しい時間(とき)の記憶に後ろ髪を引かれつつも、人は、今の現実へと帰ってこなければならないのです。どうしても・・・・・。

 わずか3~4分程度の曲ですが、そのような情景を、初めて聞いたときに思い浮かべてしまいました。

 昔の時間の中に何か忘れ物をしてきてしまったような気がするときには、この曲が良いかもしれませんね。