沈丁花

 先日家庭裁判所の、中庭で、ふと良い香りを感じました。沈丁花の香りです。

 名前こそ沈丁花(ジンチョウゲ)ですが、皆さんご存じのとおり、とても良い香りがします。キンモクセイの香りと並んで私の好きな香りの一つです。しかも、沈丁花は、全く予期していないときに不意打ちのように香ってくることが殆どですので、いつもいい匂いだなと思いながらも、「やられた。」という気にさせられます。

 なぜだか、沈丁花の香りに逢うと、少年の頃まだ寒い中、私の実家の裏にあるちいさな川で、友達とプラモデルの戦艦・モーターボートを走らせて遊んだ記憶がかなり鮮明に、よみがえります。他にも、沈丁花の香りと共にたくさんの経験があったはずなのに、きまって先ほどの記憶が勝ります。沈丁花の香りを初めて良い香りだと思ったときの記憶なのだと思いますが、相当印象が強かったのでしょう。

  音楽もそうなのですが、匂いも、ある記憶と結びつくと一体化してしまってなかなか分離できない場合が私にはあります。そのような記憶は他愛のない記憶であっても、なぜか懐かしい感じを受けてしまいます。その記憶が例え辛い記憶だったとしても、それでも、その頃の自分は幸せだったのだと、理由もなくそう感じてしまったりします。

 今は、その川も治水工事のために拡幅され、常に枯れた状態の川になってしまいました。もう、私達が遊んでいた頃の川の面影は、全くありません。でも、多分、来年も沈丁花の香りに触れると、昔の川の様子や川での遊びを、再び鮮やかに思い出すことができるに違いありません。

F1開幕

 今年も自動車レースの最高峰、F1グランプリが開幕しました。私は、キミ・ライコネン選手のファンですが日本人ドライバー(佐藤琢磨・中島一貴の両選手)にも注目しています。

 今年の話題は、なんといっても中島悟氏の息子である、中島一貴選手のF1デビューだと思います。

 中島悟氏は、日本初のF1レギュラードライバーとして、日本人のF1挑戦のパイオニアとも言える存在です。私も、学生時代に、中島悟氏がロータス・ホンダで鈴鹿サーキットに初めて凱旋したとき、友人と二人で車中泊しながらF1GPを観戦しました。当然指定席など買える余裕もなく、自由席しか買えませんでした。朝早くから場所をとり、交代でトイレに行きながらレース時間まで待ち、レース中もずっと立ち見で応援したことを覚えています。

中島悟氏の息子さんがF1参戦する程の年齢になったこと考えると、時の流れの速さを実感します。中島一貴選手はデビュー戦でいきなり入賞しポイントを上げるなど、非凡な才能を発揮しつつあります。中島選手に頑張って欲しい反面、私は、資金難に苦しむチームであるにも関わらず、性能の劣るマシンで全力で戦い続ける佐藤琢磨選手にも頑張って欲しいと思っています。

父親の涙

 人身保護申立に関する、期日がありました。

 事案は、子供を認知していた父親が、監護権者である母親の監護に不安を覚えて、保護したという事案でした。母親からは、無断で我が子を連れ去られた事案と捉えられていると思います。

 このような事案では、父親には監護権がないため、母親から人身保護手続を申し立てられた場合には、よほどの事情がない限り父親の監護は相当と認めてもらえません。監護権者指定審判申立、審判前の仮処分申立など、手を尽くしたものの、結局家庭裁判所には監護権者を父親に指定してもらうことはできず、人身保護手続の期日になりました。

 父親は、父親から離れたがらない子供を、どうしても裁判所に連れてくることができませんでした。

 父親に、法的には監護権はありませんので、散々手を尽くした結果であれ、人身保護手続き上は、圧倒的に不利な(ほぼ確実に負ける)状況にありました。私としても父親に嘘を言うわけにはいかないので、その見通しを伝えていましたが、父親を慕う子供の様子を聞かされると、父親を慕う子供とその子供を守ろうとする親子の情が、法に優先してはなぜいけないのか、という気持ちが心の中で湧き出てくるのを抑えることができませんでした。

 父親は、期日の席上で、自分が保護して、ようやく落ち着いた生活ができるようになった我が子を、返さなければならなくなる、自分で守ってやれなかった、という自責の念で、涙が止まりません。裁判長も非常によい方で、情理を尽くして説明をしてくれましたが、法的な観点からみても結論を変えることはほぼ無理であり、その事実を知る父親の涙を止めることは、最後まで、できなかったのです。

 席上で父親が「どうやって〇〇(子供の名前)に謝ったらええんやろ」と、小さくつぶやいたその押し殺した声は、おそらくしばらくは忘れられないだろうと思います。

 もちろん母親には母親の言い分があるのでしょうが、本件に限っていえば、私個人には、客観的に見ても、父親の愛情の方が勝っているように思われました。しかし、だからといって誰もが、自分の方が愛情に勝っていると主張して自由に子供を奪い合えば、社会は混乱し、社会秩序も失われます。何よりも奪い合いにさらされる子供のためにならないでしょう。本当は子供の意思で決められればいいのですが、子供が小さい場合には限界があります。裁判所に争いが持ち込まれている以上、どこかで判断が下されなければなりません。 

 本件の父親の行為は、監護権もなく子供を保護したという点、期日に子供を連れて来るという裁判所との約束を守らない点では問題です。しかし、それだけの理由で父親だけを責めることができないのではないか、という気がしてなりませんでした。結局、本件では、父親が任意に子供を返す代わりに、養育状況を報告する、母親がきちんと養育する旨確約するなどの条件で和解することになりました。

 法律の限界、社会制度の限界、等様々な限界を感じた事件でした。

職業講話その2

 職業講話をしたしばらく後に、中学校から子供達の感想が送られてくることがあります。実はこの感想が結構面白いので、この感想を楽しみに、職業講話をしている面もあるのです。

 今回は話したいことがたくさんあったため、時間不足となり、駆け足の講話になってしまったので、結構きついこといわれるかなと思っていたのですが、概ね好意的な内容を書いてくれていて、ほっとしました。

 直接弁護士バッジを触らせて上げたので、「思ったより弁護士バッジは重かった」などの感想も多かったのですが、やはり、中学生にとってショックだったのは、弁護士の生活が決して安定しているわけではないということのようでした。

 最近は弁護士過剰のため、就職難や赤字経営の弁護士もいるという話をしたところ、「僕が考える弁護士の長所は、金持ちなので弁護士にはなりたくないと思いました。」という、ある意味正直な意見も書かれていました。

 これまでなら、自信を持って弁護士はやりがいのある仕事ですから頑張って弁護士になって下さいと言えたのですが、実際に就職難や赤字弁護士が発生している現状では、「責任も重いですがやりがいのある仕事で、たくさん収入のある方もいます。しかし、必ずしも生活が安定しているわけではありません。赤字の方もおられます。今後も弁護士が増えれば相当大変になる可能性があります。」と正直に言わざるを得ない状況です。

 誰だって、どんなに重要な意味がある仕事でも、生活が安定しない仕事には魅力を感じにくいでしょうね。魅力なき仕事には人材は集まりません。

 弁護士という職業が、今後の日本を支える子供達に、そっぽを向かれなければいいのですが。

職業講話その1

 私は、ほぼ毎年、中学校で職業講話を行います。職業講話とは、弁護士が実際にどのような仕事をしているのか、どのような一日を過ごしているのか、どうすれば弁護士になれるのか、などについて、具体的に理解してもらうために行うものです。

 今年は、高倉中学校の日時が裁判と重なってしまったため、阿倍野中学校だけで職業講話を行いました。当日は私以外にも、保育士さん、キャビンアテンダントさん、美容師さん、落語家さん、など様々なお仕事の方が、職業講話を担当されていました。その中に、えらく体格の良い方がおられるなと思ってよく見てみたら、元プロ野球選手の石毛博史さん(投手・セリーグで2年連続セーブ王 巨人→近鉄→阪神)でした。

 阿倍野中学校では、1年生が職業講話の対象でした。中学校1年生と言っても、まだ小学校7年生といった感じで、まだまだ幼さが残る顔立ちの子が多くいました。少し時間オーバーになりましたが、職業講話を終えたあと、帰り道が同じ方向だったので、少し石毛さんとお話しすることができました。

 全国に数多く存在する野球少年の頂点とも言うべきプロ野球選手は、球団保有選手枠があり、その中で1軍登録されなければならず、さらに1軍でも使ってもらえるだけの成績を上げないと、2軍に落とされてしまう、非常に厳しい世界です。その厳しい世界で、一生懸命頑張ってこられた石毛さんは、「夢を持つことのすばらしさを伝えたい、と思って話をしました。」と仰っておられました。

 きっと、夢を持ち続けて本当に頑張ってきた方にしかできない素晴らしいお話をされたのだろうと思います。

 私も聞いてみたかったなぁ。

国際交流??

 今乗っている自動車の走行距離が、7万キロ近くになったため、買い換えることになりました。非常によい自動車だったので、名残を惜しんで、先日、江文峠を走りに行ったときのことです。

 江文峠は京都大原から山の方に入り込んだ峠道で 、往復2車線あり、交通量が極めて少ないので走りは楽しめます。気分良く、そんなに上手くもないヒール・アンド・トウなどをかましながら、走っていたのですが、峠付近で二人の人が地図をしげしげ見ているところを通過しました。こんな山中でおかしいなと思ったものですから、引き返してみると外国人の方でした。

 京都の大原だけでもかなり田舎ですが、その大原よりも1キロ以上山の中なので、おそらく道に迷っていることは明らかでした。必殺ジャパニーズイングリッシュで「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」と完璧にカタカナ通りの発音で話しかけると、ガイドブックの地図を見せて、「ハナジリバシ」と言っている様子。そのガイドブックが、ジャパンハイキングガイドとかいうもので、日本人が見ても分からないような、極めて簡略且ついい加減な地図で記載されています。これは、僕でも迷うわな、と思い、乗せてやることにしました。しかし、どう言えば良いのか分からない。結局「レッツゴウ、トゥギャザー、ノープロブレム」といって車を指さし、珍道中開始となりました。

 単語を並べて話していると、どうやら、イギリスからきたアベックさんで、イギリスではマーケティングのような仕事をしているらしいことが分かりました。休暇を利用して3週間日本を回っているのだそうです。「お前は親切だ。」と言ってくれるので、「こっちも、ヨーロッパでいろいろトラブル起こして、現地の人に助けてもらったから、ギブアンドテイクみたいなもんや」と返答しました(多分そう伝わっていると思う)。すると憎たらしいことに「俺たちは日本じゃ、そんなにトラブルは起こしていないぜ」と言っているようです。「道に迷っておいて、よう言うな」と思ったのですが、英語力がないので言えず、残念。

 更に聞いてみると、今日は3~4時間歩き続けたとのことです。疲れたのかと聞くと、男は「ちょっとね」、女は「私はちっとも」と答えます。ホンマかいなと思っていたら、男が「彼女は俺に全部荷物を持たせるんだ。重い荷物だからね」と一言。女は即座に「あんな小さい荷物、荷物じゃないでしょ!」と反論、一瞬車内が凍り付く。

 ジャパニーズスマイルで車内の雰囲気をごまかしながら、『イギリス男は年をとると「生まれ変わっても絶対に結婚なんてしない。その代わりに犬を飼う。」と例外なく言うものだ』、という笑い話も、意外と本当かもしれないと思いました。

 彼らの今日の予定としては、「ニシキマーケット」に行きたいと言ってるので、ここまで来たらついでですので、錦市場の近くまで送ってあげました。とても嬉しそうにサンキューと何度も言っていたので、ドライブがおじゃんになったにもかかわらず、なんだかこっちも嬉しくなってしまいました。

 人間には、人の役に立ったり、人が喜んでくれたりすると嬉しくなる性質がどうもあるようですね。

 それから、もう少し英語を勉強しなければと反省しました。

議案取下げを求めた理由

 私が、3月3日のブログで、国選付添人の報酬から5%をピンハネする議案を取り下げるよう主張したのは、執行部が議案を取り下げない限り、可決される可能性が極めて高いからです。

 つまり、少年事件を扱わない弁護士からすれば、国選付添人がいかに手間暇をかけて苦労していようが、全く関係がない話なのです。

 少年事件を扱わない弁護士からすれば、自分以外の誰かが、本来弁護士会全体で担うべき面倒な仕事(しかも、時間をかけるだけ赤字になるボランティアの仕事)をやってくれて、しかもそのボランティアからピンハネしたお金が弁護士会に入るのだから、反対する理由などないからです。そりゃそうでしょう。面倒な仕事は誰かがしてくれて、しかも、黙っていても弁護士会に入るお金が増えるのですから。

 しかし、少年事件を扱う弁護士は、私の感覚で言うと間違いなく少数派です。全員が結束して反対票を投じたとしてもほぼ確実に負けると思われます。そのくらい執行部は分かっているはずです。だからこそ、「国選弁護との公平」という、誰が見てもおかしい理屈をつけてまで提案しているのでしょう。だから、議案を取り下げない限り、この議案は可決されることがほぼ確実な議案なのです。明らかに多数決の暴力としか言いようがありません。

 仮に、この議案が可決されたのであれば、私なら国選付添人をやる気が大いに失せます。今後は、やらないかもしれません。他の少年事件を扱う弁護士の方も、おそらく怒っておられると思います。この件のせいで、ただでさえ少ない少年事件を扱う弁護士が嫌になってしまう危険性は高いでしょう。

 弁護士・弁護士会が維持しなければならない制度のために、ボランティア精神で頑張っている一部の弁護士に対して、鞭を打つこの議案は提案するだけでも非常識ですが、その議案を撤回しない執行部はひどいとしか言いようがありません。

 国選付添人が不足するのであれば、この議案を提案した執行部が、率先して国選付添人事件を多数受任して処理することが当然の義務でしょう。

 山田会長をはじめ執行部の方々は、その義務から絶対に逃げないで下さいね。あなた達は自分の名誉欲ではなく、弁護士や弁護士会のために弁護士会の執行部にはいることを自ら選んだ方達のはずですから。

時給3000円でも赤字になる理由

 国選事件が時給3000円なら、学生のバイトに比べればずいぶんいい収入ではないか、どうして赤字になるのだろうか、と不思議に思われる方もあるでしょう。

 しかし、時給3000円でも経営者弁護士には確実に赤字です。なぜなら、事務所経費がかかるからです。
 仮に事務所経費(家賃・リース代・光熱費・事務員さんの給与など)が、ひと月100万円だと仮定してみます(もちろんそれ以上の経費を負担している弁護士も沢山います)。事務所経費は弁護士が病気で仕事ができない場合であれ、交通事故で入院しているときであれ、発生します。事務員さんの生活もありますし、家賃をためて事務所を出て行けと家主に言われると困るので、借金してでも毎月それだけは必ず支払う必要があるお金です。

 そこで、一般的な給与所得者の方のように、土・日・祝日を休日にして、一日8時間労働だとすると、平成20年3月においては、祝日1日、土日10日なので、働ける日は20日間、お金を稼ぐために使える時間は、8×20=160時間になります(実際には、給与所得者の方も、弁護士も間違いなくもっともっと長時間働いていますが、わかりやすくするためこのように仮定して話を進めます)。
 すると、100万円の事務所経費を稼ぐためには、100万円÷160=6250円となるので、時給6250円で働かなければなりません。

 つまり、事務所経費がひと月100万円だとすると、時給6250円以上で働く必要があります。仮に時給6250円きっちりで働いても、事務所経費しか稼げません。自分の生活費としては1円も残らないのです。ですから、自分が食べていこうとすれば、どうしても時給6250円以上で働く必要があることになります。

 仮に、生活費を30万円(もちろん弁護士には住宅手当などありませんから、ここから自宅の家賃も出さなければなりません。)を使えるようにしようとすれば、税金・健康保険料・年金等も考えれば月額40万円は事務所経費以上に売り上げなければなりません。弁護士会費が約5万円くらいですし通勤定期の費用も考えると、最低でも月額150万円くらいは売り上げる必要が出てきます。この場合、150万円÷160=9375円は1時間に稼がなくてはならない計算になります。

 そこに時給3000円にしかならない国選事件がやってくると、1時間つきに6375円ずつ赤字が出ることになります。仮に国選事件で生活費すら儲けようと思わず、自分の懐に入るお金をゼロにして純粋にボランティアでやったとしても、1時間につき3250円が赤字になります。その赤字を解消するには他に事件を解決すべく働くしかありません。しかも国選事件は概ね報酬が決まっており、幾ら時間をかけても努力しても、その報酬はわずかしか上がりません。つまり、時間をかければかけるだけ国選事件の時給も下がりますし、時間をかければかけるだけ、より弁護士にとっての赤字幅が大きくなるのです。

 ですから、経営者弁護士になると国選事件をやらなく(やれなく)なっていくことは、決して不自然ではないことが、これでお分かりになるかと思います。国選事件でペイしようとするなら、とにかく時間をかけないように手を抜くしか方法がないはずです。
 もちろん、事務所経費を負担しない勤務弁護士(イソ弁)さんであれば、ペイするかもしれません。しかし、イソ弁の方が国選事件に時間を割くと、事務所でボスから処理を命じられる事件に費やすことのできる時間が削られ、結局事務所の事件を解決するためにどんどん残業することになっていきます。しかも、一生懸命に専門的知識を勉強して、資格を取り、しかも仕事の責任が非常に重いのに、通訳人の方の4分の1しか国選事件で評価されないのであれば、例えペイしても気が滅入るというものです。

 国選事件の担い手を増やしたいのであれば、国選事件の報酬を増額するほかありません。

 マスコミは、弁護士増員を言う前に、このように自らを犠牲にしてでも刑事弁護を維持している方達を、なぜ擁護しないのでしょうか。

もうやめちゃおうかな。

  先日、国選事件の報酬・費用等について、法テラスから通知がありました。2月3日にブログに記載した事件に関するものでした。

 弁護士報酬については、住居侵入・傷害の被害者2名と示談交渉し、①被告人(住居侵入・傷害・オーバーステイ)をできるだけ寛大な処分にして欲しいこと、②被告人に対して被害弁償等を求めないことを確約すること、の内容を含んだ嘆願書をもらえたことが評価されたらしく、特別加算30,000円がありました。

 したがって、時給換算ではようやく3,000円くらいにはなりました(それでも通訳人の時給の4分の1以下です)。

 この事件では、被告人の親族の方が、「ここまでやってくれるとは思わなかった」と、金品を私に贈ろうとしたのですが、国選弁護制度に鑑み当然受領しておりません。国選事件で被告人の親族から金品を送ろうとされたのはこれで3回目ですが、国選事件では、国選報酬以外は受領してはならないので、当然受領しないのです。

 それはさておき、今日問題にするのは、法テラスが算定して弁護士に支給する費用の方です。この事件は、当初、被告人が一部否認をしていたため、刑事記録(捜査段階の実況見分調書や、被告人の供述調書など)の謄写が必要でした。コピーしておかないと、被告人にどの調書のどの部分で自白を強要されたのかとか、実際の犯行状況と実況見分調書とどう違うかなどの検討ができないからです。否認事件でなくても、被告人が恐怖のあまり否認できない場合もあるので、記録をコピーして自白が不自然に変遷していないかなどを調査する必要もあります。つまり、刑事事件では刑事記録のコピーは、ほぼ不可欠のことなのです。

 記録のコピーには、専属の業者がいて、その業者以外には事実上コピーをとってもらえません。そのコピー代金は1枚42円(消費税込)と、べらぼうな高値になります。

 ところが、実際に弁護士が弁護のためにどうしても必要だからと考えて1枚42円のコピーをとっても、国選事件の場合、国選弁護費用としてはコピー代は一枚20円しか出ません。実費すら出ないのです。しかも、否認事件か重大事件等に限りコピー代が出るだけで、その他の大部分の国選事件は、弁護にどれだけ必要であっても1円もコピー代は出してもらえません。良い弁護をしたければ自腹を切れということのようです。

 私の今回の事件では、被告人が一部否認をしていたので、記録(352枚)を全てコピーしました。そして、法テラスに対して国選事件の費用として14780円を領収書添付の上提出し請求しましたが、法テラスの明細を見ると謄写費用として7040円しか出してもらえませんでした。ただでさえペイしない国選事件でどうしても必要な経費まで自腹で払わされるのであれば、嫌になって当然でしょう。

 さらに、拘置所まで被告人に接見に行った際の交通費も1円も出ていません。忙しいときなどやむを得ずタクシーを利用したこともありますが、それは私の事情なので、タクシー代ではなく公共交通機関(地下鉄)の最寄り駅までの交通費(南森町~都島:片道で200円)を請求したのですが、1円も出してもらえません。法テラスの国選基準では8キロメートル以上の遠隔地のみ交通費が支給されるようです。つまり、8キロ以内は地下鉄も使わず歩けということのようです。以前の国選事件では、少なくとも公共交通機関の交通費くらいは出ていました。

 私は50件以上国選事件をしてきましたが、このような仕打ちを受け続けるので、だんだん嫌になってきました。

 もう、やめちゃおうかな。

公平じゃないでしょ!!

 大阪弁護士会から、臨時総会をするので、出席するか議案書を見て賛成か反対の投票(代理人選任届)をするようにとの連絡文書が入っていました。

 とにかく日弁連執行部、大阪弁護士会執行部は、その場しのぎで大抵ろくなことをしてくれないことがほとんどなので、大抵はなにも考えずに反対欄に○を並べて、提出するのですが、今回は、どうしても反対すべき議案がありました。

 第13号議案、国選付添人にも5%の負担金を課するという議案です。

 国選付添人とは、少年事件の国選弁護のようなものと考えて頂いてかまいません。しかし多くの少年事件は国選弁護事件に比べて非常に手間・暇がかかる事件です。それは、大人の事件であればこの犯罪に対してこの罪と、やったことに対して罰を与える観点で見ればいいのですが、少年事件の場合は少年にどういう問題があって、どうすれば最も立ち直りに役立つかという観点が必要になってくるからです。しかも、手間がかかる上、鑑別所が遠い堺にあることもあって、少年事件をやりたがらない弁護士が多いので、実際には少年事件をやれる弁護士が赤字覚悟で、ボランティア精神でやっているのが実情です。

 その国選付添人の報酬に5%の負担金をかけるなど、2重の負担をかけるものです。国選付添人をやるだけでもペイせず、ボランティア精神でやっているのに、さらにその仕事に対してわずかながら出た報酬からもピンハネするというものだからです。むしろ、国選付添人制度を弁護士会で維持していかなければならないのであれば、国選付添人事件をやらない大阪弁護士会員からお金を取って、国選付添人にお金を回すのが筋だと思います(同じことは国選弁護事件でも言えます)。

 今回の場合、議案提案理由を見てみると、あきれたことに、国選弁護事件では報酬額から5%の負担金を徴収しているのであるから、それとの公平の観点から、国選付添人の報酬にも5%の負担金をかけようという理由なのです。

 ボランティアからピンハネしている、国選弁護負担金という実に不公平な制度が存在し、その制度の不公平さをなんら見ずに、国選付添人も国選弁護と平等に負担金を課するのが公平だ、というのですからひどいものです。

 例えとしては不適切かもしれませんが、「ある国で、(誰かがやらないと制度が維持できないので)同じ国民であってもある人達はボランティアの仕事をしなくてはならず、しかも、そのお金にならない仕事のわずかな報酬から税金を5%余分に払わされる。そうでない人達は、(制度を他人に維持してもらった上で)お金にならない仕事はしなくて良く、余分に5%の税金を支払う必要もない。」といった不公平な制度があったとして、さらにお金にならないボランティア的な仕事が増えたときに、「新しい(お金にならない)仕事についても、同じようにわずかな報酬から税金を5%余分に払わせる。これが公平ってもんだ。」と言っているようなものです。

 公平じゃないでしょ!公平の意味が分かっていないか、公平の意味をわざと曲解して用いているとしか思えません。本当に公平を言うのであれば、国選弁護・国選付添人をやらない弁護士との公平を図るべきでしょう。

 弁護士会執行部は、もう、いい加減にして下さい。 直ちに議案を撤回して下さい。

 現実を見て下さい。

 国選弁護・国選付添人を支えている方々に、本当に愛想を尽かされますよ!