嬉しい知らせ

今日は嬉しい知らせが届いた。

 昨年、少年事件で担当した少年が、大学に合格して、この春から一人暮らしをするのだという。

 私の記憶では、少年事件を起こすようには到底見えなかったシャイな少年だったが、少年本人の反省の手助けをさせて頂き、ご両親とも今回の事件についての対応について、何度か話した。

 以前にも書いたかもしれないが、反省とは二度と同じ失敗をしないために行うものだ。そのためには、どうしてそのような行動を取ってしまったのかということの分析が欠かせない。

 ほとんどの少年は、事件を起こす際にそのような行動を取ってはダメなんだということは頭では分かっている。それでも、何らかの理由をつけて自らの良心の障壁を乗り越え、事件を起こしてしまうのだ。
 だから本当に反省するためには、良心の障壁を乗り越えた言い訳はなんなのか、その不当な言い訳はどこから来ているのかは最低限考えてもらわないと前に進まない。

 私の経験上、鑑別所内の少年に初めて面会した際に、「今回の事件について、反省しているの?」と問うと、「もちろん反省しています!!もう2度としません!!」との答えが返ってくる。
 しかし、「どうして2度としないの?」と重ねて聞くと、多くの場合「こんな辛い目にあっているから」「親や学校にに迷惑をかけたりしているから」との返答が返ってくる。
 私は、さらに、「それなら、こんな辛い目に遭わなくて、親や学校に迷惑かけないのなら、君はまたやるの?」と聞くと、答えられない少年が多い。

 つまり、この時点での少年の「反省している」という言葉は、「悪いことをしたことは分かっている」という意味に過ぎず、同じ失敗を二度繰り返さないためには何が原因でどう対処すべきなのかという点についてまで、ほとんど考察が及んでいないのである。
 このような反省をいくら重ねても、少年は自分の内部にある問題点に気づけないので、2度と同じ失敗を繰り返さないだけの反省まで至れない。私の経験から言わせてもらえば、少年の心のガン細胞は、少年が「事件当時の自分は、人として最低だった」と自覚するような辛い思いをして、自ら切除しないと取りきれないものだと思う。

 そこを手助けするのが、親であり付添人弁護士・家裁調査官等の仕事でもあるのだ。
 これはかなり手間も時間もかかる。
 手間暇かけても上手く行くとは限らない。
 だから、少年事件はペイしないと言って敬遠する弁護士も多い。
 

 しかし、私には、ときおり、担当した少年が大学に入学した、家庭を持って良い母親になっているなどの知らせが届いた経験があり、そのような知らせがまた届くかもしれないという淡い希望が、いまだに少年事件を受任している理由なのかもしれない。

 今日の知らせは、久々に届いた、良い知らせだった。
 頬を緩めて帰宅できそうな気がする。

(京都市川端通沿いの桜並木)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です