ある懲戒処分に関する雑感

 先日、弁護士の某先生が懲戒処分を受けたことを会報で知った。

 私はその先生と特別に懇意にしていたわけではないが、

私の知る限り、

 自分のことよりも依頼者の利益を真剣に考える先生であり、
 知識も経験も倫理観も、十分備わった優秀な先生であり、
 さらに消費者問題など、殆ど経済的利益がない公益活動にも全力で尽力される先生であった。

最初は懲戒処分の記事が間違っているのではないか、と思ったくらいだ。

 詳細は不明だが、事案の概要等からみると、事務所の運転資金に行き詰まった結果の不祥事だったように思われる。
 その先生のことだから、安易に不祥事に手を出したわけではなく、物凄い心理的葛藤があったはずだ。被害金員については、知人に借り入れて弁償が済んでおり、知人に対しても自宅を売却した代金で返済されているようだ。

 このように優秀で、公益活動に熱心な先生でも、事務所運営に行き詰まることがあるのが、今の弁護士界である。(ちなみに、私の元ボスの一人も、弁護士資格と公認会計士資格を持ち、大会社の社外取締役をも務めていたが、「仕事がこない」とのことで5年ほど前に引退している。)

 これまでマスコミや、学者達は、公益活動で自腹を切りながら国民のために働いている弁護士の存在も知らず、安易に、弁護士は資格に甘えるな、弁護士を増やして弁護士も競争しろ、と世論を煽ってきた。
 彼らの理屈は、弁護士にも自由競争をさせれば、より良い弁護士が繁栄して生き残り、悪質な弁護士は淘汰できるというものだった。

 仮にその理屈が正しいとすれば、今回懲戒を受けた某先生は、優秀かつ公益活動にも熱心だったので、社会が求める「よい弁護士像」に合致する方であり、繁栄していないとおかしい。私の元ボスも法務面に加え会計面にも明るく、大会社の社外取締役の経験もある弁護士だから、仕事の面だけから見ると、仕事が集まって来なくてはおかしいということになる。

しかし、現実はむしろ逆だった、ということである。

 そもそも、自由競争は、経済的には、儲けた者(利益を上げた者)が勝つ仕組みである。良い仕事をする弁護士には顧客が集まり経済的に繁栄するであろうし、そうでない弁護士には顧客が来ず衰退し淘汰されるであろう、という仮定のもとに、「自由競争させればより良い弁護士が生き残る」、という理屈は成り立っている。

 だが、弁護士の仕事は極めて専門的であり、依頼者の意向も絡むことから、弁護士の仕事の良し悪しを見抜くことは同業者でも簡単ではない。一般の国民の皆様にとっては、その判断は、なおさら困難だ。また、依頼した弁護士が実際にどのように処理を行うのかについても、依頼の段階では分からない場合も多い。
 だから、依頼者側に弁護士の仕事の良し悪しが判断できない以上、弁護士業に関しては、自由競争の前提が崩れており、自由競争が成り立たない場面なのだ。

 もう少し分かりやすく例えて言えば、
 味の分からない人ばかりの街で、美味い蕎麦屋を生き残らせることができるのか、という状況に近いといってもよいだろう。
 このような状況で、「蕎麦屋をどんどん増やして競争させれば美味い蕎麦屋が生き残るはずだ」とは、到底いえまい。
 このような状況で、蕎麦屋をどんどん増やして競争させた場合、蕎麦の味とは関係なく顧客を集めるのが上手い蕎麦屋が繁栄するだろう。その反面、顧客が集まらなければ、どんなに美味い蕎麦を出していても、その蕎麦屋は潰れてしまうのだ。

 弁護士の仕事に関しても、その良し悪しを依頼者が殆ど判断できない現状では、蕎麦屋の例とよく似た状況と言って良い。

 某先生の記事から、優秀で公益活動にも熱心という、本来国民から求められるべき弁護士像に近い弁護士の先生であっても、経営に行き詰まりかねないという、現在の弁護士界の異常な状況を改めて痛感した次第である。

マドリッドの動物園で。(写真と記事は関係ありません)。

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