昨年、一昨年のブログにも記載したが、私は、数え年で42歳の時にご祈祷を受けてから、ほぼ毎年、母校の京都大学の近くにある吉田神社の節分祭で、大元宮でのご祈祷をして頂いている。
今年は、私がパートナーを務める事務所の繁栄と、自身の災難除けをご祈祷の趣旨とさせて頂いた。
ご祈祷をして下さる神職の方は何人かいらっしゃるが、幸いなことに今年も、鈴鹿さんにお願いすることができた。
私が特に鈴鹿さんのご祈祷を気に入っている理由の詳細については、2023年2月3日付のブログに記載しているので参照して頂きたい。
一部だけ引用すると、
「(前略)うまくたとえることができないのが残念だが、鈴鹿さんの祝詞がはじまると、まるで、現世の雑音や世俗の様々な出来事を遮断する、神様の清浄な領域が鈴鹿さんを中心にして現れ、本殿を満たし清めていくようにも感じられる。
そして、その清浄な領域で響く鈴鹿さんのお声は、どこまでも、よどみなく清んでいるのである。(後略)」
今年のご祈祷では、幸いにも単独でご祈祷頂くことが出来た。参拝するにも長い列が出来る程混雑していた大元宮で、単独でご祈祷いただけたのは幸運と言うほかない。
更に言えば、鈴鹿さんのご祈祷は、私の期待を裏切ることがない。
じつは、これは、簡単なようで、非常に難しいことなのだ。
例えば、初めて行ってみた飲食店の料理が凄く美味しかったので、しばらくしてもう一回行ったところ、同じ料理なのに思ったほど美味しく感じなかった、という人は多い。
「このお店の料理は美味しかった」という経験があった場合、客としては、「美味しかった、あの美味しさをまた経験したい」、という期待がどんどん膨らんでしまう。そして、その結果、お店の料理が前回と全く同じレベルでも、お客側が勝手に膨らませた期待を満たすことができず、以前ほど美味しく感じないということが主な原因だろうと思われる。
逆に言えば、期待を裏切らないということは、お客が勝手に膨らませる期待よりも、提供側が進化していないと実現出来ないのだ。
このように、期待を裏切らないこと、すなわち、「お客が勝手に膨らませる期待を上回る進化を、提供側が常に実現していなければならないこと」は、実は、並大抵のことではないのである。
私の期待を裏切ることのないご祈祷をしてくださる鈴鹿さんも(きっと他の神職の方々もそうだろうが)、おそらく、神様に願い事を届けたい人々の想いを実現するために、日々の生活等において、たゆむことなく、常に進化し続けておられるのだろう。
今年の吉田神社の節分祭は、本日の後日祭で終わりである。参道を埋め尽くす露店は昨日までなので、落ち着いた雰囲気がかなり戻っているのではないかと思う。
吉田神社では、節分の期間に限って、特別な梔色(くちなしいろ~厄除けの色とされている)のお札などが授与されているし、大元宮内院の特別参拝も可能なので、機会があるのなら参詣されることを、お薦めする。

コロナ渦だった2011年の吉田神社節分祭(露店もなく閑散としていた)