団藤メモによる大阪国際空港騒音訴訟判決への介入に関して~3

 さて、今回の大阪国際空港騒音訴訟の話に戻ります。
 

 日本は立憲主義国家です。


 憲法により国民の人権を保障し、他方で三権分立制度を定めて国家権力の暴走を防ごうとしています。

 日本が国民の人権を保障している以上、大阪国際空港を利用する人や社会経済的利益(多数派の利益)だけではなく、大阪空港周辺で騒音被害に悩んでいる人たち(少数派)の人権も考慮する必要があります。

 先程述べたように、裁判所が他の権力から全く影響を受けずに、当事者の主張と証拠だけに基づいて、どちらが理に適った正しい主張をしているのかを判断し、勝敗を決めるのであれば、政治勢力の分野では多数派に分があっても、少数者が多数者よりも理に叶った正しい主張をすれば裁判で勝てる可能性があります。


 そのような場合、政治部門では多数派が勝利していても、裁判では少数者が勝利し、少数者の人権が守られる可能性が出てきます。

 しかし、裁判所が政府機関からの影響により、当事者の主張に加えて政府の意向も採り入れて判断し、裁判の勝敗を決めるのであれば、それはもはや公正な裁判とはいえません。

 そして、そのようなことを一度でも許せば、政府は味をしめてその後も裁判に干渉してくる可能性が生じますし、国民も一度でも政府にひれ伏した裁判所が、本当に公平・公正な裁判をしてくれるのかと、裁判所(司法)を信じられなくなります

 これでは、人権保障の最後の砦であるはずの裁判所(司法権)の公正さと、司法権に対する国民の信頼が失われるかもしれず、人権保障の大きな危機といわざるを得ません。

 ですから、このようなことは絶対に許してはならないのです。

 詳細はまだ分かりませんが、報道によれば、夜間飛行差し止めに関して、団藤判事が所属していた第一小法廷が国を負けさせる判断をしていたところ、国が大法廷での審理を求める「上申書」を提出し、その翌日に元最高裁長官から大法廷で審理するよう要望があったということのようです。


 団藤判事は、この要望について「介入」だと判断されていたようです。

 実際に最高裁は、第一小法廷で審理が終わっていたにもかかわらず、大法廷に事件を回し、大法廷では逆転で国が勝訴する判決が出てしまっています。

 常識的に考えれば原告の地域住民が、元最高裁長官を動かせるわけがないので、おそらくは、国側が元最高裁長官を動かして、大法廷で審理するよう圧力をかけたと考えるのが素直でしょう。場合によれば、第一小法廷以外の最高裁判事にも国側を勝たせるよう圧力をかけていた可能性も否定できません。

 もしそのような事実があったとすれば、この国側の行為は、憲法が人権保障のために定めた三権分立と司法権の独立を踏みにじる極めて重大な問題であって、到底許されて良いものではありません。

 仮に報道が事実で、介入の事実があったのであれば、人権保障の理念を無視して介入してきた国が悪いのは当然です。しかし、私としては、そのときの最高裁判事の方々は、なぜ、不当な介入があった事実を国民に公表して、司法権の独立を守る行動を取らなかったのかという点が疑問にも思われます。

 最高裁判事の地位は、名実共に日本の司法権のトップを占める地位ですから、捨てがたい魅力のある地位でもあるでしょうし、国と対立して自らの地位を失うことを恐れたのかもしれません。

 司法権は三権の一翼と言われながらも、裁判所の予算額は国家予算の僅か0.305%しか与えられていません(2021年裁判所データブック)から、国と対立して更に予算が減らされるなどされ、司法権が弱体化する危険性を恐れたのかもしれません。

 仮にそうでないとしても、国家の悪事を公表することで生じかねない社会生活上の混乱を避けようと配慮されたのかもしれません
 若しくは、国からの圧力を知らなかった判事もいたのかもしれません。

 しかし、私は社会生活上の混乱が多少生じても、人権を守る最後の砦である裁判所に国が介入してきたという極めて重大な問題を、広く公表して国民の適切な判断に委ねるべきだったのではないかと、考えます。

 裁判所の人権保障機能をもっと国民に分かって頂き、裁判所予算も、もっと多く投入すべきと訴えてもよかったのではないかと思います。
 

 いずれにせよ、国が自ら勝訴するために司法権(裁判所)に介入したという極めて許されない事件であることは、どうやら間違いないようなので、今後絶対にこのような介入を許すことなく、キチンと政府を国民が監視していく必要があるのだと感じます。

(この項終わり)

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