諏訪敦個展「眼窩裏の火事」(府中市美術館)~その2

 新幹線で東京駅、昼食後、中央線に乗り換えて新宿駅、京王線に乗り換えて府中駅まで向かう。
 いつも思うが東京は人が多すぎる。
 幸い、中央線、京王線とも始発であったことから座ることができた。年末に少し腰を痛めてしまった私からすると、座れることはとても有り難い。

 府中駅からはタクシーで、美術館へ向かう。

 府中美術館は、緑が多い公園の中にある。人の密度が下がったことで少しホッとしながら、入口の扉を開ける。

 1階ロビーの案内で、個展のパンフレットをもらい、ロッカーに荷物を預けて出てきたところ、なんと、そのロビーで諏訪先生ご本人が、おそらく本日のトークショーのスタッフと思われる方々と会話されているところをお見かけした。

 初めて本物の諏訪先生を間近で拝見し、お声をかけさせて頂いていいものかどうか迷った。

 この後、トークショウが控えているから諏訪先生もお忙しいだろうし、単なる「ファンです」という理由だけではご迷惑をおかけするに違いない。かといって、憧れの芸術家の先生にご挨拶させて頂きたい気持ちもあるし、何より以前に先生のご好意で版画作品をお譲り頂いた御礼、非売品の入場券のデザインが素晴らしいことをツイッターで呟いていたら気付いて下さり、「坂野さんはコレクターだから」と仰って、分けて下さったことへの御礼等も申し上げたい。

 何よりこんなチャンス、今後の人生で、もう来てくれないだろう。

 チャンスの女神は前髪だけだ(後ろ頭はハゲている)との例え話もある。チャンスが通り過ぎそうになってから捕まえようと思っても、後ろ髪がないので捕まえられない、チャンスは目の前にあるときに捕まえろ、という意味だ。

 既に同級生を何人か癌で亡くしていることから、いつか○○しようと思っていてもその機会に恵まれないこともあるというのが人生だと、薄々分かってもいる。
 要するに、予定は未定、「いつかは、こない(場合が多い)」のである。

 正直、法廷で弁論するときよりも何倍も緊張した。今思えば、腰の痛みもそのときは感じていなかった。

 結局、会話が一段落された瞬間を狙って、ご挨拶をさせて頂くことが出来た。

 私が名乗ると、「あ、坂野さんですか。はじめまして、ですよね。」と言って頂けた。
 私は緊張しすぎており、その後、何をお話ししたのか良く覚えていないが、芸術作品も作品そのものがひときわ輝いているように、映像ではない諏訪先生ご本人からも、やはり、強い輝きのような何かを私は感じていたように思う。


 先生との2ショット写真も撮らせて頂き、その写真は私の宝物となっている。
 
 自分から、話しかけておいてなんなのだが、諏訪先生及び関係者の方々にご迷惑をおかけしていることへの自覚は十二分にあったので、内心、できるだけ早めに切り上げるように努めていたつもりではあった。


 別れ際に、諏訪先生は片手を挙げて挨拶して下さったが、その姿がまた、実に絵になる格好良さだった。

 おそらく、タクシーを1台前後して乗車していたり、信号1個分のずれが生じるなど、ほんの僅かな時間のズレがあっても、この機会は生じなかった。

 トークショウの抽選に外れてしまい、残念ながら諏訪先生ご本人を拝見する機会はないと思って美術館に来ていたのだが、人生には、こんな僥倖も起こりうるのである。
 
 ああ、なんて良い日なんだ。

 精神的には、ほとんど舞い上がった状態で、私は、2階の個展会場へと階段【エスカレーター】を上がる。

(続く)

今回の個展のパンフレット(右側のパンフレットは美術館受付でもらったもの。)

諏訪敦先生と私

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