法科大学院等特別委員会の謎~②

 ところが、法科大学院の問題について検討しているはずの、文科省の法科大学院等特別委員会においては、司法試験採点実感が資料として配付されたこともなく、法科大学院卒業生のレベルが検討された様子が伺えないのである(私は以前からブログで指摘している)。

 つまり、法科大学院等特別委員会は、法科大学院卒業の司法試験受験生の質(法科大学院の成果)を何ら考慮・検証することなく、法科大学院制度の改変(法科大学院在学中受験を認める・共通到達度試験を導入する・適性試験を廃止するetc)などを行う為の議論に終始し、近時では予備試験を敵視する議論にも注力し、現状を見ずに制度変更を提案するなど、私に言わせれば、正直言って訳の分からん委員会になっている。

 最初の例で言えば、A社の生産する製品Xの質について何ら検証しないまま、担当取締役が製造機械Bの担当者を変えたり製造工程を変えたり、C社を批判したりしているわけで、普通の会社なら当然首になってもおかしくないレベルの議論を、法科大学院等特別委員会の委員である学者達が雁首揃えて、延々行っているというわけである。

 法科大学院の目的は、質を維持しながら法曹を養成することにあったはずである。そうだとすれば、法科大学院等特別委員会としては、法曹養成制度をどう改めるかを検討する前に、まず質が維持できているのか確認するべきだろう。

 分かりやすく食べ物に例えて言うなら、需要はあるのに売上が上がらない、「うな丼」店があったと仮定しよう。この店をどうすれば改善できるかについて考える際に、鰻の仕入れ先や鰻を焼く設備の問題を検討する前に、その店で出されている「うな丼」の味がどうであるかが、まず最初に検討されなければならない問題のはずである。

 要するに法科大学院等特別委員会は、売上が上がらない「うな丼」店の改善を検討しようとしているにもかかわらず、その店で現在出されている「うな丼」の味を全く検討することなく、やれ設備が古いだとか、衛生面が徹底していないとか、美味しいうな丼を出している他の店が悪いから売上が上がらんのだとか、議論しているわけである。

 令和三年度の法科大学院等特別委員会の最初の配付資料においても、司法試験の受験者の数や合格者の数等については配布されているようだが、法科大学院卒業者のレベルを示すのに格好の資料であるはずの司法試験の採点実感は、今年も配布されていないようだ。

 法科大学院が発足してからほぼ20年、半数以上が潰れ、未だに教育方法について改善が求められ、卒業生もレベル的に予備試験受験生に及ばない、という問題だらけの法科大学院制度に、いつまで多額の税金を投入し続ける必要があるのだろうか。

 失敗作であることは明らかなのだから、法科大学院制度廃止により収入が減少するおそれのある学者達のポジショントークに惑わされずに、法科大学院制度は早急に廃止し、法科大学院等特別委員会も解散するのが税金の賢い使い方であろう。

 だって、そのお店で出されている「うな丼」の味も検討せずに、うな丼店の立て直しなんて出来るはずないじゃないか。

(この項終わり)

法科大学院等特別委員会の謎~その①

 例えばA会社で、社会で必要とされている高性能の製品Xを作成するために、会社の資金を相当投じてB機械設備を導入し、その機械設備を稼働・維持するためにも毎年費用がかかっていると仮定しよう。
 ところが、全く同じ製品Xを製造するC社のほうが質が高いと一般に評価されてしまった場合、A社としては何を分析する必要があるだろうか?

 B機械設備の稼働状況だろうか?
 B機械設備の担当者の変更だろうか?
 A社での製品Xの製造過程の変更だろうか?
 同分野でA社の製品を上回る品質の製品Xを廉価で生産しているC会社を批判することだろうか?


 
 私はいずも違うだろうと考える。

 A社が最初に重視すべき点は、自社のB機械設備で生産された製品Xの質が本当に社会が求める性能を満たしているのか、満たしていないのであればどの点においてなのかを明確にすることではないかと思う。


 上記の点をまずはっきりさせないと、何をどう改善して良いのか明確にならないからである。また品質に問題がなければ製造過程の問題ではなく、販売戦略の問題かもしれない等、A社の目的達成のための別の方策も見出しうる可能性があるからだ。

 したがって、仮にA社取締役会で、製品Xの問題が取り上げられた際に、 A社担当取締役が自社で製造された製品Xの質の確認もせずに、B機械設備に更に投資すべきだとか、B機械設備の担当者を変更すべきだとか、A社でのX製造過程を変更しようとか、C社を批判しよう等と提言した場合、おそらく他の取締役からは、「現状を確認もせずに、机上の空論を振り回すな!まず現実を見ろ!」、と批判されるだろう。そして、そのような提言しか出来ない担当取締役は、現状分析能力・問題解決能力がないとしてクビにされても仕方あるまい。

 さて、上記と同様の問題が、法曹養成課程に生じているように私には見える。

 かつて法科大学院推進派の学者達は、質を維持して多くの法曹を世に送り出す(未修者でも3年で法曹に必要な資質と知識を身に付けさせるよう教育できる)と豪語して多額の税金投入を必要とする法科大学院制度の導入を要望した。

 そしてマスコミも助長し、法科大学院制度は導入されたが、現状では予備試験ルートの受験生の方があらゆる法科大学院の卒業生よりも司法試験合格率で上回っている。

 また、大手法律事務所は率先して予備試験ルートの司法試験合格者を囲い込もうとしているし、裁判所・検察庁においても、予備試験ルート合格者を採用して問題が生じたという話は一切聞こえてこない。

 つまり、税金を大量に投入している法科大学院制度よりも、予備試験制度の方が優秀な法曹を産み出す傾向にあり、社会的に評価されていると言っても過言ではないのである。

 そうだとすれば、法曹養成の問題、法科大学院制度を考える上で、法科大学院卒業生の司法試験受験生の質がどういう状況になっているのか、という現状を確認することは当然必要なことになるであろうと思われる。

 司法試験受験生のうち、予備試験ルートの受験生はほぼ1割しかおらず、法科大学院卒業生が司法試験受験生の9割を占めるので、基本的には法科大学院ルートの司法試験受験生が司法試験採点実感で評価の対象にされているレベルに近いと考えて良いだろう。

 そして、司法試験の採点実感で、受験生がどの程度の答案しか書けていないのか相当程度明らかにされており、司法試験受験生の質は、かなりの程度まで分かるのである。そして、お読み頂ければ分かるが、採点実感では、とにかく基本・基礎すら出来ていない答案が多い、問題文を引き写していきなり結論が出てくる答案すらあるなどと、批判のオンパレードである。

 まあ、短答式試験を基礎的な問題に限定し(要するに簡単な問題に限定したということである)、さらに受験生の平均点を下回っても短答式試験に合格でき(ちなみに予備試験ルート受験生の短答式試験合格率は、99%以上である)、その中から2人に1人程度最終合格してしまうのだから、トップレベルは除いて司法試験合格者の全体的なレベル低下は避けられない。

(続く)