岡口裁判官に対する分限裁判についての雑駁な感想

 岡口基一裁判官の下記のツイッター投稿に関して、最高裁は10月17日に戒告の処分を下した。裁判官の独立や表現の自由の問題もあるが、最高裁の判断について、雑駁な感想を述べておきたい。(詳細な主張書面を読んでいるわけではないので、誤解などもあるかもしれないことを予めお断りしておきます。)

問題のツイートは次の通り。

公園に放置されていた犬を保護し育てていたら,3か月くらい経って,
もとの飼い主が名乗り出てきて,「返して下さい」
え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・
裁判の結果は・・

 この記事には、裁判の結果を伝える報道記事にリンクが貼られ、このツイートを見た人が報道記事を容易に読めるようになっていた。

最高裁は、上記のツイートに対し、
「本件ツイートは,一般の閲覧者の普通の注意と閲覧の仕方とを基準とすれば,そのような訴訟を上記飼い主が提起すること自体が不当であると被申立人が考えていることを示すものと受け止めざるを得ないものである。」

と判断している。

 つまり最高裁は、上記のツイートを一般人が普通の注意をもって閲覧すれば、「岡口裁判官が犬の返還を求めた飼い主の提訴自体が不当であると表明している」という内容として読むはずだと断定したということだ。

 果たして本当にそうなのだろうか。

 私は弁護士であって法律家だから一般人ではないのかもしれないが、私が素直に読むならば、犬の返却を求められた犬を保護した人(以下「保護者」という。)の反論または感情を要約して表明したものに読めてしまう。

 公園に放置されている犬を可哀相に思って保護し、愛情をかけて育てていた保護者が、3ヶ月ほど経過した後に、いきなり「本当の飼い主は私だから犬を返せ」と請求されたら、誰だって「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?3ヶ月も放置しておきながら何言ってるの?」と反論することは当然だろう。

 実際に、犬の所有権を巡る裁判の判決は、「原告はいったんはこの犬飼えないとして、公園に置き去りにし、被告が保護したときは雨中泥まみれで口輪をされていた状態」と認定されていた。(ただし、原告の所有権放棄までは認めず、被告に対して元の飼い主への引渡を命じた。)

 この裁判の認定のように犬が雨の中、何も食べられないように口輪をされ、泥まみれで放置されていたのであれば、そのような飼い主から犬を返せといわれた保護者は、なおさら「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?ひどい状態で公園に置き去りにした上に、3ヶ月も放置しておきながら何言ってるの?可哀相な犬のためにも返すことは出来ません。」と反論することは想像に難くない。というより可哀相な犬を保護するだけの人であれば、ほぼ確実に犬のためを思って、捨てた飼い主に反論するだろう。ちなみに愛護動物を遺棄する行為は、動愛法44条3項で100万円以下の罰金とされている。

 だからこそ、話し合いで決着がつかずに裁判に至ったはずだ。

 したがって、私が出来るだけ素直に「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・」の部分を読むとしたら、犬の保護者からなされるであろう当然予想される反論か、保護した人が当然持つであろう心情を要約して表したものとしか読めないのである。

 ツイート自体の構成からしても、「え?あなた?・・・」の部分が岡口裁判官の主観であると判断することは困難だ。
 ツイートの構成から見れば、「返して下さい」という飼い主の主張に続いて、「」の記載はないものの、保護した人が当然抱くであろう心情または当然行うであろう反論を表現した文章が記載され、その内容も「あなた」との呼びかけがあることからも分かるように、保護者から所有者に対する主張と見る方が自然だ。さらにその後に行を変えて、「裁判の結果は・・・」とつながっており、当事者同士が裁判になったことが示されている。
 つまり、ツイートの構成から見ても、飼い主・保護者のお互いの主張が平行線となり、裁判に至ったという経緯が記載されているだけと読むのが自然だ。だからこのツイートが岡口裁判官の原告への評価を明確に示した記載には到底読めないのだ。

 最高裁からすれば、私の上記の考え方が、一般の閲覧者の普通の注意と閲覧の仕方ではないということになるのだろうが、どうしても私には解せない。

 なお、最高裁は、飼い主が東京高裁に対してツイートで傷ついたと主張して抗議してきたことを記載しているが、判断基準として一般人の受け取り方を問題としていながら、一般人ではない当事者の抗議を補足的に記載していることもイマイチな感がある。

 私事になるが、むかし歯医者で、「痛いなら言って下さいね」と言われたので、素直に「あ、ひょっろ、いらいれす(あ、ちょっと痛いです)。」といったら、歯医者から「痛くない!!」と断言され、それ以上「痛い」といえなくなってしまったことがある。なんとなく、今回の最高裁の判断を読んだとき、この歯医者での経験を思い出してしまった。

 今回の最高裁の断定は本当に正しいのだろうか。えらい裁判官の判断だからといって鵜呑みにせず、きちんと考えてみる必要があるようにも思うのである。あなたの権利が誰かに侵害された場合、冤罪で起訴された場合、最後の砦になるのは、裁判所だけなのだ。

 最高裁としては、仮に懲戒不相当の判断になれば、懲戒を申し立てた東京高裁長官のメンツが丸つぶれになるところでもあったので、岡口裁判官を戒告するためには、どうしても岡口裁判官が不当な評価を飼い主に対して与えていることにしなくてはならなかったのかもしれないが、私自身が判決をざっと読んだ上での雑駁な感想としては、余りに強引な認定ではないかとの思いを禁じ得ない。

 また、さらに残念なのは、全裁判官が一致しての見解だということだ。誰かが反対意見を書くのではないかと思っていたが、全員一致とは、ちと恐ろしい。

 もし、多くの方が今回のツイートに関して、私と同じような受け取り方をされるのであれば、それが一般の方の受け取り方に近いということになるかもしれない。

仮にそうだとすれば、「最高裁の裁判官が全員一致で考えた一般人の受け取り方」と、「本当の一般人の受け取り方」に大きなズレがあることになる。

 万が一そうであるならば、最高裁は一般人の常識が欠けた人たちばかりで構成されている危険があるということにもなりかねないのだ。

 なお付言するが、私自身としては、岡口裁判官のツイート全てが問題がないと思っているわけではない。厳重注意を受けたツイートなどは、私から見てもどうかなと思うところはなきにしもあらずである。

 しかし、今回の最高裁の判断は、個人的な意見として言わせて頂ければ、非常に残念に思うものであったりもするのだ。

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