ロースクールと法曹の未来を創る会の要請文について~5

(つづき)

(4)日本社会の危機と法務省・司法試験委員会の責任
法科大学院制度の危機は、法曹養成制度の危機であり、法曹養成制度の危機は、司法全体、ひいては日本社会の危機を意味する。司法制度改革が政治改革、行政改革などの総仕上げとして「最後の要」として位置づけを与えられたことを考えれば、このことは火を見るより明らかである。この危機を招来した主たる原因は、法務省の「司法試験政策」である。法科大学院制度の導入によって、司法試験の役割は大きく変わるはずであった。誰でも受けることができる一発試験で、訴訟実務家になる少数の合格者を選抜するのと、法科大学院教育を修了した者の中から、地理的にも、職域的にも多様な分野で働く多数の合格者を選ぶ試験が同じはずはない。しかし、法務省は、このことを理解しようとせず、旧来型の試験問題と合格基準に拘泥し続けた。その結果が、今日の「惨状」である。
この危機を打開することは難しくない。法科大学院制度の趣旨に沿って、修了者の7割ないし8割を司法試験に合格させればいいのである。そして、貴職らの職権の適切な行使によって、それは、可能である。以下に、司法試験制度がいかに歪められてきたか、その結果、法曹養成制度と日本社会にいかなる危機をもたらしたかを述べる。貴職らにおかれては、この趣旨を踏まえて、要請の趣旨のとおり、今年度の司法試験の合否判定にあたっては、少なくも2100名程度を合格させるよう強く要請する次第である。

→(以下は坂野の雑駁な突っ込みである)

 法曹養成制度の危機は、司法の危機かもしれないが、法科大学院の危機は法曹養成制度の危機ではない。理由は簡単、法科大学院を経由しなくても立派に法曹になっている方々がたくさんいるからだ。旧司法試験制度の合格者、予備試験経由の合格者、いずれも法科大学院を出ていないというだけの理由で、法曹として不適格・不適任ということにはなっていない。

 むしろ、大手法律事務所などは予備試験経由の司法試験合格者を優遇する採用制度を採っているところもあり、実務界の実情から見れば、むしろ法科大学院教育は法曹として必須のものとは考えられていないのだ。
 

 したがって、むしろ法科大学院の危機が法曹養成制度の危機とは全くもって無関係であることが、火を見るより明らかだというべきだろう。

 そして、法科大学院の危機が巡り巡って日本社会の危機になっているというのも大げさという他ない。もし法科大学院の危機が日本社会の危機ならば、撤退した法科大学院は日本社会の危機を見捨てて自分達だけ敵前逃亡したということになるのだろうか。久保利弁護士の仰ることがよく分からない。

 久保利弁護士の主張によれば、法科大学院の危機は法務省の司法試験政策が原因だという。法科大学院制度の導入により司法試験が大きく変わるはずだったとも主張する。

 確かに司法制度改革審議会意見書には、「新司法試験は、法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、かつ、十分にその教育内容を修得した法科大学院の修了者に新司法試験実施後の司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかどうかを判定することを目的とする。」との記載があり、この記載だけを見れば、久保利弁護士の主張も一理あるといえよう。しかし、実はこの記載の直前に、司法試験制度を変更するために必要な大前提が書かれている。その記載はこうだ。
「法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、」ということである。

 この前提が充たされて初めて、新司法試験を久保利説のように変更することが可能となるのだ。前提をすっ飛ばして、自分に有利な部分だけを主張するのは誤導も甚だしい。

 例えば、予備試験は法科大学院卒業者と同等の学識及び応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する試験である(司法試験法5条1項)。そして、予備試験の合格者は司法試験委員会により決定されるものであり、司法試験委員会としては、あるべき法科大学院卒業生のレベル=予備試験合格者のレベルと想定して予備試験合格者を決定しているはずである(司法試験法8条~そうでないと法律違反だ)。

 そうだとすれば、理想どおりに法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価、修了認定が行われているのであれば、法科大学院卒業生と予備試験合格者とは、本来、同レベルでないとおかしいことになる。

 では、その後の司法試験での合格率はどうだろうか。
 平成28年度司法試験合格率では、
1位「予備試験合格者」61.5%、
2位「一橋大法科大学院」49.6%、
3位「東京大法科大学院」48.1%、
4位「京都大法科大学院」47.3%、
5位「慶應義塾大法科大学院」44.3%
となっている。

 つまり明らかに予備試験合格者のほうがレベルが高い。これは司法試験委員が考えている法科大学院卒業生レベル(予備試験合格レベル)が、現実の法科大学院の卒業生レベルよりも、かなり高いということを意味する。

 これに対して、法科大学院関係者は、司法試験が難しすぎて合格率が低いのが問題だ、などと責任転嫁的な発言を良くするが、なんのことはない、きちんと司法試験委員が「法科大学院卒業レベルはこれくらい」、と想定するところまでの知識が身についていると判定された予備試験組の合格率は6割を超えているのだ。法科大学院において司法試験委員が想定する法科大学院卒業レベルまで教育ができていれば、法科大学院ルートの受験生も予備試験と同レベルの合格率を出せないとおかしい。

 つまり法科大学院がきちんと教育を行い、厳格な成績評価と厳格な修了認定を行っていれば、法科大学院卒業者は、本来は予備試験合格者レベルの実力を持った受験集団になるはずであり、司法試験合格率に差が出ること自体がおかしいのだ。

 しかし、実際には、予備試験合格者の合格率に遠く及ばない法科大学院も相当ある。この事実から浮かび上がるのは、法科大学院が司法試験委員が想定する法科大学院卒業者レベルまで教育しきれないまま卒業認定をして卒業させているという事実だ。大学経営の点から見れば、学生がどんどん入学してどんどん卒業する方が都合がよい。だから、甘い成績評価と、甘い卒業認定で本来卒業させてはならないレベルの学生も卒業させているのではないかと思われる。

 この点について、法科大学院側の言い訳として、優秀な学生が予備試験ルートに流れてしまうということが指摘される場合もあるが、そんなの言い訳にはならない。何故なら、法科大学院は自ら入学試験を行ってきちんと教育すれば法曹になりうる人材だけを入学させているはずだからである。

 仮に入学試験の成績から見て、法曹になりうる資質もない学生を、法曹資格をエサに法科大学院に入学させているのであれば、それは自分達の大学経営(儲け)のみを優先した、理念なき法曹教育機関という烙印を免れまい。そんなさもしい経営優先の法科大学院で、司法制度改革審議会の目指した法曹教育の理念が実現出来るとも思えない。経営優先の単位認定、卒業認定をする施設で、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上など、身に付けさせることができるはずがないではないか。

 結局のところ、司法試験合格率で見る限り、法科大学院では理想に描いたとおりの教育、成績評価、修了認定がなされていないというべきなのだ。

 むしろ法務省が、法曹の質をこれ以上下げられないと判断して、司法試験合格者を減少させたことは、法科大学院の利益には適わないが、国民の利益には適う英断であったと評価すべきだろう。司法試験委員の採点雑感に関する意見にも、レベルダウンを示唆する指摘が山積みである。

ためしに公法系第2問のものを見てみよう。
★誤字,脱字,平仮名を多用しすぎる答案も散見された。
★問題文及び会議録には,どのような視点で書くべきかが具体的に掲げられているにもかかわらず,問題文等の指示に従わない答案が相当数あった。
★例年指摘しているが,条文の引用が不正確な答案が多く見られた。
★冗長で文意が分かりにくいものなど,法律論の組立てという以前に,一般的な文章構成能力自体に疑問を抱かざるを得ない答案が少なからず見られた。
★結論を提示するだけで,理由付けがほとんどない答案,問題文中の事実関係や関係法令の規定を引き写したにとどまり,法的な考察がされていない答案が少なからず見られた。論理の展開とその根拠を丁寧に示さなければ説得力のある答案にはならない。
★法律解釈による規範の定立と問題文等からの丁寧な事実の拾い出しによる当てはめを行うという基本ができていない答案が少なからず見られた。
★問題文等から離れて一般論(裁量に関する一般論等)について相当の分量の論述をしている答案が少なからず見られた。問題文等と有機的に関連した記載でなければ無益な記載であり,問題文等に即した応用能力がないことを露呈することになるので,注意しておきたい。
★本年も,論点単位で覚えてきた論証をはき出すだけで具体的な事案に即した論述が十分でない答案,条文等を羅列するのみで論理的思考過程を示すことなく結論を導く答案などが散見されたところであり,上記のような論理的な思考過程の訓練の積み重ねを,法律実務家となるための能力養成として法科大学院に期待したい。
★設問1及び設問3は,最高裁判所の重要判例を理解していれば,容易に解答できる問題であった。しかし,設問1については,一般論として判断基準を挙げることはできても,判断基準の意味を正確に理解した上で当てはめができているものは少数であり,設問3については,会議録中で検討すべきことを明示していたにもかかわらず,最高裁平成21年判決の正しい理解に基づいて論述した答案は思いのほか少なかった。
★昨年と同様,法律的な文章という以前に,日本語の論述能力が劣っている答案が相当数見られた。

 司法試験を批判する前に、まずは自らの教育や単位認定について、法科大学院側は猛省するべきだ。法科大学院を卒業した学生が、法律的文章という以前に、日本語の論述能力が劣っているとは、恥ずかしい限りではないか。法科大学院は日本語の論述能力すら身に付けさせることができないのか。

 そして、久保利弁護士の主張は、「法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われること」、という大前提が実現されているとはいえない以上、前提を欠いたまま勝手に都合の良い主張を行っているというだけになる。

 久保利弁護士の主張によれば、法曹志願者の激減は司法試験合格率が低いことにある、ということになろうか。しかし、それでは2~3%の合格率しかなかったにも関わらず旧司法試験の受験者が増加の一途をたどっていた事実と明らかに矛盾する。

 私が思うに、法曹といえども職業であり、その資格を得るために長期の時間と多額の費用を要するのであれば、その資格にそれだけの価値がないと誰も目指さない。例えば法科大学院を卒業すれば宅建士の資格を100%もらえるとしても、その目的だけで法科大学院に通学する人間はおそらくいない。資格に関する費用対効果が全く割にあわないからだ。

 法曹志願者を増やしたいのであれば、話は簡単だ。法曹の資格の価値を上げればよいのだ。苦労したけれども資格を取って良かったと思えるだけの経済的・地位的リターンがあればよいのだ。私立の医学部が多額の授業料を取っても入学志願者が減少しないのは、資格を得るために時間と費用が相当かかるとしても、かけただけの投資を後に回収し、それ以上のリターンが見込めるからだ。ヘッドハンティングでも、現状よりも有利なリターンを用意することが通常だ。優秀な人材を集めようと思ったらそれに見合ったリターンを用意する必要がどうしてもある。

 単にやりがいがあるというだけの仕事には人は集まらない。しかし、単に収入が高いという仕事であれば、志願者は集まる。あたりまえだ。仕事は自分と家族の生活を支える手段でもあるからだ。

 法律関係の仕事が激増しているとは到底いえない(むしろ減少気味の)現状において、いくらやりがいがあると叫んでも、志願者は増えるとは思えない。むしろ、法科大学院を卒業すれば8割もらえる資格だよ~と法曹資格を濫発すれば、資格の価値がさらに下がるから、当然その資格を得てもリターンの見込みも下がっているから志願者が減少するだけだ。
 だから久保利弁護士の司法試験合格者増員論は、法曹志願者の減少をより加速させるだけであり、意味がないどころかむしろ人材の法曹離れを招くだけであると考えられる。だから、法曹志願者の減少対策としては、全く意味がない提言である。
 唯一意味があるとすれば、もしそうなれば、法科大学院志願者は一時的に増える「かも」しれないということだけだ。

 結局、久保利弁護士の主張は、一見法曹の危機を主張しているように見えて、その実は法科大学院のごく一時的な延命だけを目的とした主張としか考えられないのである。

(この項終了します。)

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