ロースクールと法曹の未来を創る会の要請文について~4

(続き)

(3)「法曹人口増加」の約束は果たされていない
法科大学院制度による新司法試験が開始される直前の2005年度の旧司法試験合格者数は、約1500名であった。昨年の司法試験合格者数は、1580名である。つまり、「法曹の数」ということだけを考えると、法科大学院制度は、「まったく役に立っていない」ということになる。法曹の数を増やすために導入したにもかかわらず、法曹の数を増やせないなら法科大学院制度に意味はない。まさに、法科大学院制度は、「存亡の危機」にあると言っても過言ではない。法科大学院制度がなくなれば、一発試験により「受験秀才」を選抜する昔の仕組みに戻るだけである。それは、ますます複雑化し、国際化する市民社会、経済社会の要請を無視することである。最近も、車部品メーカーのタカタ株式会社が破綻したり、株式会社東芝に対する国際仲裁や仮処分の申立てが報じられているが、そうした日本企業のために国際的に活躍している弁護士はほとんどいないのが現状である。

→(以下坂野による雑駁な突っ込みである。)

久保利弁護士は2005年度と、2016年度の司法試験合格者数だけを比較して法曹の数を増やすことになっていないと主張するようである。

では次の、単純な問題について久保利弁護士は、どうお考えになるのだろうか。「大きな船に2005年は1500人乗って、500人降りました。仮にその後、乗客の数が変わらなかったとして、2016年には1500人乗って500人降りました。船に残っている人の数はどう変わりましたか?」小学生が見てもわかるとおり、乗客の数が1000人増えていることになる。

法曹の数が増えているかどうかは、単純に法曹人口の統計を見れば分かる話で、敢えて、司法試験合格者から法曹人口の増減を論じようとするその手法自体が意図する結論を導こうとする誤ったものなのである。

実は、司法試験合格者数は、長期に亘りほぼ500人前後(H3まで)であった。平成3年に弁護士になった者の数は359名。司法修習終了者がようやく1000人を超えたのは平成15年である。
仮に弁護士になってから司法修習期間も含めて35年働くと考えた場合(本当は定年がないのでもっと長期間働くことは可能)、平成3年に司法試験に合格して弁護士になった人は、平成38年まで仕事をすることになる。したがって、平成38年に減少(引退)する弁護士の数は約360という単純計算になる。

 つまり、平成3年までの合格者数がずっと500人弱なのだから、H38年になるまで、毎年減少する弁護士数は約360名程度であってもおかしくはないのだ。
そこに毎年司法試験合格者を1500人に固定したとして、そのうち裁判官・検察官に100名ずつ任官・任検するとしても、1300人の弁護士が誕生する計算だから、弁護士は毎年約1000名ずつ増加していく計算になる。ちなみに最も司法修習終了者が多かった平成19年には2043名の弁護士が誕生している。

したがって、昨年度程度の司法試験合格者数であっても、毎年1000人ほどの弁護士増加になる計算だから、明らかに久保利弁護士の主張は詭弁くさい主張といわざるを得ない。

ちなみにちょっと古いが2014年裁判所データブックによると、法曹(裁判官・検察官・弁護士)の数は、
昭和25年で8322名、
昭和45年で11858名(20年間で3536名増加)、
平成2年で17363名(20年間で5505名増加)、
平成22年で33401名(20年間で16308名増加)、
平成26年で39892名(わずか4年間で6491名増加)、
と近時加速度的に法曹人口は増加してきていることになる。

このように分かりやすい資料に基づいた簡単な比較もせずに、2005年度と、2016年度の司法試験合格者数だけを比較して法曹の数を増やすことになっていないと主張するのであれば、久保利弁護士の主張は誤導を目的とする主張であるといわざるをえないように思う。

また、「法曹の数を増やすために導入したにもかかわらず、法曹の数を増やせないなら法科大学院制度に意味はない。」とも久保利弁護士は主張するが、前述のごとく、法曹人口は激増しており、主張自体が誤っているのでいくら啖呵を切っても迫力はない。


司法制度改革審議会が法曹人口の増加を提言したのも、もともとは法的紛争が飛躍的に増大する見込みに対応するためであったわけだ。だとすれば、法的紛争が飛躍的に増大しないのであれば、法曹人口の増加という措置も不要だったことになる。

そして現実的には、司法制度改革審議会は、お偉いさんが雁首揃えて散々(相当税金も使われたことだろう)検討したあげくに、前回指摘したように、全く現実に添わない法的紛争の飛躍的増大などという完全に誤った予測を立て、それに対応するために、質を維持したうえで量的にも豊富な法曹が必要であると考え、旧司法試験制度+修習制度では質は維持できても量的に増加させることに限界があるとして、法科大学院制度の採用に踏み切ったわけだ。

おおもとの方針を立てる前の予測が、完全に誤っていたのだから、その予測に対応するためにとられた法科大学院制度の導入を含めた司法制度改革も少なくとも法曹人口の増大に関しては、誤りにならざるを得ない。私にいわせれば、法的紛争の飛躍的増大という予測が完全な誤りだったのだから、それに対応するために導入された法科大学院制度はそれだけで意味がない(もちろん法科大学院でしっかり勉強された方の努力を否定しているわけではない。制度の問題として論じているつもりである。)。法科大学院制度は存亡の危機にあるというよりも、元もと必要なかった制度なのだと言ってもいいくらいだと思う。

確かに、質を維持した法曹の増大だけではなく、司法制度改革審議会は、「法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図る。」との理念を法科大学院に期待しているが、そもそも、専門的知識・能力の習得はさておき、豊かな人間性なんてものは教わって身につくものとは思われない。もしそのような教育が可能なら、大学を出た人が犯罪を犯すことなんて考えられない、といういことになりかねない。

仮に100万歩譲って、教育が可能であったとしても、どこかの法科大学院で司法試験委員を兼ねる教員から試験問題漏洩の疑いがあったりする事件もあったことに鑑みれば、そのような不祥事を起こす可能性もある教員から教わって身につく人間性ってどんなものなんだ、と疑問に思わざるを得ない。 


久保利弁護士は、法科大学院制度を否定すれば、一発試験で受験秀才を選抜する仕組みに戻るだけで、社会の要請に応えられないとして、タカタ・東芝の例を引用する。

しかし、前回の私の突っ込みで指摘したように既に弁護士の半数以上が法科大学院制度を経た上で資格を得ている。そうだとすれば、法科大学院を卒業した弁護士が2万人いたところで、結局タカタ・東芝のために国際的に活躍する弁護士は生まれなかったということだ。だから、法科大学院を維持したところで、結局国際的に活躍する弁護士が急増するなんてあり得ないことは久保利弁護士ご自身の主張が示している。何よりも、久保利弁護士自身がご自身の経営する日比谷パーク法律事務所の求人において、予備試験経由の人材を排除していないではないか。


真に法科大学院教育が法曹に必須であり、法科大学院が独学で身につかない教養・人間性なども含めた素晴らしい教育を施して、独学では代え難い素晴らしい人材を輩出することができているのであれば、久保利弁護士だって法科大学院卒業生しか採用しないだろうし、日本の大手法律事務所が予備試験合格者を優先的に採用するような行動をとるはずがない。

裁判所・検察庁も予備試験合格者を平気で採用していることからみても、法科大学院教育に対して、実務界がなんの価値も置いていないことは明らかだろう。


かつて、法科大学院卒業者の司法試験受験回数が5年3回に制限されていた際に、受験回数制限を妥当とする論者からは、法科大学院教育の効果は5年でなくなると考えられるからこれで良いのだとの主張があったはずだ。

実務界で評価されず、また5年で失われる教育効果のために、どうして法曹志願者が多額の学費と時間を費やす必要があり、また、国民の皆様の血税がジャブジャブ使われなければならないのか。その裏で得をしているのは誰なのだろうか。

司法試験で能力のある者を選抜し、その上で、知識と能力を確認した人材に対して税金を投入して育てる方法と、司法試験に合格するかどうかも分からない段階から教育担当機関の法科大学院に税金を投入してそのうちの2割がようやく使いものになる方法と、どちらが税金の使い道として有効であるかは明らかだ。

法曹人口増大の約束は果たされていないとの久保利弁護士の主張が誤りであることは既に数字で示したが、そもそも司法制度改革審議会でも、「国民が必要とする質と量の法曹の確保・向上こそが本質的な課題である。」との指摘があるように、国民が必要としていないのであれば、極論すれば法曹人口など増やす必要はないのである。

前回指摘したが、裁判所の全新受件数が35年以上前である昭和55年の1,469,848件に近い程度まで落ち込んでいる。昭和55年当時の法曹人口は14,888名である。平成26年法曹人口は39,892名。約2.7倍だ。この数字から見ても、国民が必要とする法曹人口は量的には十分足りていると見るべきだろう。

(続く)

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