日なたの匂い

最近あまり聞かれなくなってきたように思うが、日なたの匂いという言葉がある。

実際にどんな匂いかと問われると困るのだが、例えば、お日様に良く干した洗濯物、良く干した布団などから感じる匂いである。

秋の夕方近く、少し空気が冷たくなってきた頃、一日中干していた布団を取り入れ、ふかふかになった布団に顔を埋めると、じんわりとした暖かさと、日なたの匂いがして、安心するような気持ちになったものだ。

 実は、良く干した布団・洗濯物以外にも、日なたの匂いがするところに、私は小学生の頃に気付いたことがある。

 ところで当時、家で飼われていた紀州犬は、父親の一言で名前が「シロ」とされたメスだった。日本犬らしく忠実で、何故か散歩はたいてい私の仕事にされた。

 私は、あまり熱心に散歩をするたちではなかったが、ときには遠くまで一緒に歩いて出かけたものだ。うちの裏には、田畑があって、そのあぜ道を歩いたり、冬の田んぼでリードを外して遊んだりしたものだ。

 リードが外されて自由になると、シロは私の周りを全力で左右に走って私に飛びかかり、それを私が躱したり、身体ごと受け止めて投げ飛ばす、そんな遊びになるときもあった。もともと紀州犬は猟犬であり、その血が騒ぐのか、とても楽しそうに見えた。

 遊び疲れてあぜ道で座り込むと、シロも横に来て、お座りの姿勢をとった。

 季節は冬で、だんだん寒くなってくると、私はシロを、後ろから抱きかかえて暖をとることもした。シロはおとなしく、私に抱かれていた。

 そのとき、何気なくシロの頭の毛の中に顔を埋めてみると、日なたの匂いがした。

 じんわり暖かなシロの体温と、日なたの匂いを感じながら、何故か私は、少しばかり幸福感を味わっていたように思う。

 ときおり日なたの匂いをかぐと、シロの暖かさを想いだし、何故だか切なくなるときが、未だにある。

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