「てるみくらぶ」倒産についての雑感

 東京地裁に破産申立をした旅行会社「てるみくらぶ」に対する批判が強まっているようだ。

 確かに、お金を払っていながらその料金に見合ったサービスを受けられない点で被害者の方には本当に気の毒ではある。既に海外に出向かれた方々の安全な帰国を祈るばかりである。

 また、ちらっと見たTVのニュースでの社長会見の報道を見ると、報道陣から社長を非難するような質問が相次いでいるかのように見えた。
 
 それを見ながらボンヤリと考えた。
 以下、考えたことを雑感として書いてみる。

 私はごく一部の報道しかしらないし、情報に誤りがあるかもしれない。また、まとまった意見ではなく思いつきなので、誤解・矛盾等があってもご容赦頂きたい。

 誤解を招くかもしれないが、企業の倒産はやむを得ない場合がある。

 資本主義経済をとる以上、企業の倒産は避けられない。そのような経済体制を我々は是として選択していることを、まず、私達は理解するべきだ。
 特に小泉政権以降、自由競争、規制緩和の号令の下で、企業はより厳しい競争にさらされている。競争する以上、結果的には、勝者と敗者は必然的に現れざるをえない。
 自由競争社会は、敗者となるのは自己責任であり、またその敗者を選択して損害を被ったとしても、それは勝者を選ばなかったことが悪いのであって、ユーザーの自己責任である、とする考え方を含んでいるように思われる。

 果たして、競争に敗れ敗者となるのが自己責任であるとする、その考えは正しいのだろうか。

 勝者と敗者を分けるものは、一体何なのだろうか。努力すれば必ず勝者になれる社会であれば、敗者は努力しなかったということになるし、努力しさえすれば勝者になれるはずだから、勝敗は自己責任で構わないかもしれない。
 しかし、私の見る限りであるが、確かに圧倒的に努力の量で上回って勝者になる例もあるにはあるが、勝者も敗者も、その多くはそれなりに努力しているようにみえる。ただ、努力が実を結ばなかったとか、努力の方向が少しずれていたとか、たまたま勝者に運が味方したなど、不確実で気まぐれな何かによって、結果が左右されている場合も少なくないように思えるのだ。

 こう言ってしまえば、実も蓋もないが、不平等さ・不公正さを含んでいるのが世の中ではないだろうか。努力しなければ敗者となる可能性は高いが、努力したからといって勝者になれるとは限らない。また、ふとしたきっかけをつかんで勝者となるものもいる。そのような不平等さ・不公正さを必然的に含んでいるのが人の世なのではないのだろうか。
 成功している人の多くが努力していることはほぼ間違いないが、成功しなかった人・失敗してしまった人が努力していなかったとか間違っていたなどと決めつけることは誰にもできないはずだ。

 このような不平等・不公正さを内包する世の中であるならば、たまたま敗者の地位におかれたとしても、その事実だけから敗者を過度に非難することは正しいことではないように思われる。

 仕事柄、中小企業の倒産案件を手がけたことも何度かあるが、責任感が薄くさっさと破産を決定する経営者もいれば、関係者になんとか迷惑をかけないようにしようとして最後まで努力し続ける経営者の方もいる。どちらが人間的に信用できるかは、言うまでもない。

 しかし、最後まで迷惑をかけまいとして頑張る人の方が、結果的に倒産に至った際にはより多くの人に迷惑をかけてしまうという皮肉な結果になる場合が多いのだ。

 「てるみくらぶ」が行っていたといわれるキャッシュ一括払いキャンペーンを批判する意見もあるようだが、資金繰りが苦しくてキャッシュが必要な場合に、それを手に入れるための工夫をすることは、経営判断としては誤っているとまではいえないだろう。そこで得たキャッシュで会社を維持しつつ、資金繰りに奔走し、資金繰りができたのなら、その判断は正しかったことになる。一方、キャッシュを得て会社の延命を図ったものの、最後で金融機関が態度を変えて融資を断られるなどした場合にはステークホルダーに迷惑をかけることになる。
 結果論で経営判断を非難することは筋が違うように思える。

 確かに今回の倒産で被害を被られた方々は本当に気の毒であり、私自身も被害者であれば激怒しているであろうと思う。

 しかし、TV報道で見たように、報道陣が、代表者に対して見通しが甘かったのではないか、などという批判を浴びせて被害者の感情をあおる前に、何か考えなければならないことがあるようにも思うのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です