平成28年司法試験の採点実感等に関する意見~1

H28年の司法試験採点実感等に関する意見が公表されている。

 私に言わせれば、「実態不明のプロセスによる教育」とやらを法科大学院で受けさせられ、厳格な卒業認定を経て卒業している受験生が大多数を占めているはずの司法試験で、法科大学院の効果とやらが発揮されているのか興味津々だ。

ところがどっこい(私からすれば予想どおりだが)、法科大学院のプロセスによる教育の効果とやらは全然発揮されておらず、むしろ問題だらけの採点実感に関する意見になっているようだ。もちろん一部、法科大学院の効果ではないかとの指摘も皆無ではないようだが、それよりも看過できない大きな問題点が遥かに多く指摘されている。

この採点実感を読んで、法科大学院がまだ、「法科大学院によるプロセスによる教育がよいのだ!」と言い張れるとしたら、それはもはや、現実から目を背けて、頭の中がお花畑になってしまっている状態としか思えない。

それでは、採点者達の(控えめな)採点実感を見ていこう。

ところどころ「→」で坂野の意見も入れているが、まずは採点者側の意見を読んでみて頂きたい。

(公法系第1問)
★設問1は「性犯罪者継続監視法が違憲であることを訴えるため」の主張を問うているのであるから,専ら法令違憲のみを検討すればよく,適用違憲や処分違憲に言及する必要はないのに,これに言及する答案が少なからずあり,中には,法令違憲と適用違憲との違いが的確に理解できていないのではないかと疑われる答案も見られた。

→設問をどう読んでも、架空の法律が違憲かどうかを判断する問題だから、法令違憲しか書きようがないはず。旧試験で、適用違憲など書こうものなら即アウトであってもおかしくないレベルだ。

★例えば,居住移転の自由を憲法第21条第1項とするものや幸福追求権を憲法第14条とする答案があった。

→試験場で舞い上がっていても、司法試験六法で条文は与えられているし、六法なんか見なくても勉強をきちんとしていれば当然頭に入っていて、書き間違えようがない条文のはずだ。こんな条文を間違うレベルで司法試験を受けているとは、恐れ入った。もはやそこまでレベルが落ちているのか。

★付添人を「原告」,検察官を「被告」と取り違えている答案が少なくなかった。

(公法系第2問)
★例年繰り返し指摘し,また強く改善を求め続けているところであるが,相変わらず判読困難な答案が多数あった。極端に小さい字,極端な癖字,雑に書き殴った字で書かれた答案が少なくなく,中には「適法」か「違法」か判読できないもの,「…である」か「…でない」か判読できないものすらあった。第三者が読むものである以上,読み手を意識した答案作成を心掛けることは当然であり,丁寧に判読できるような文字を書いていただきたい。

★誤字,脱字,平仮名を多用しすぎる答案も散見された。

★問題文及び会議録には,どのような視点で書くべきかが具体的に掲げられているにもかかわらず,問題文等の指示に従わない答案が相当数あった。

→問題文の指示に従わず自分が書きたい(書ける・覚えている)論点を書いていることが推測される。問題文の指示に従わずにまともな答案になるはずがない。しかも、相当数ということは、かなり怖い状況だ。逆に言えば、相当数の答案が問に答える力がないということでもある。

★例年指摘しているが,条文の引用が不正確な答案が多く見られた。

★冗長で文意が分かりにくいものなど,法律論の組立てという以前に,一般的な文章構成能力自体に疑問を抱かざるを得ない答案が少なからず見られた。

→最近特に強く指摘されるようになってきた点であるように思われる。法律の文章という前に日本語の文章能力がないということだ。一体法科大学院は何を教えているのだ。日本語の文章能力すら覚束ない学生を(しかも少なからず)卒業させて、何が厳格な卒業認定なのだろうか?

★結論を提示するだけで,理由付けがほとんどない答案,問題文中の事実関係や関係法令の規定を引き写したにとどまり,法的な考察がされていない答案が少なからず見られた。論理の展開とその根拠を丁寧に示さなければ説得力のある答案にはならない。

→結論しかない答案、理由付けがない答案、問題文を引き写して何ら法的考察がない答案など、法学部の試験でも落第必至だ。しかも少なからずそのような答案があったということは、法科大学院の教育能力に問題があると考えるのが普通じゃないのか。

★法律解釈による規範の定立と問題文等からの丁寧な事実の拾い出しによる当てはめを行うという基本ができていない答案が少なからず見られた。

→法律的文章の基本ができていない答案が、これも少なからずあるという指摘だ。

★問題文等から離れて一般論(裁量に関する一般論等)について相当の分量の論述をしている答案が少なからず見られた。問題文等と有機的に関連した記載でなければ無益な記載であり,問題文等に即した応用能力がないことを露呈することになるので,注意しておきたい。

→おそらく自分の知っていることを書いて、なんとか点数をもらおうとしたのだろうと推測するが、逆に言えば問題を解決しようとするのではなく、逃げているだけに過ぎない。答案は最初の一文字から最後の句点まで、書く必然性があって書かれていなくてはならないし、論理でつながっていなくてはならない。それもできない答案が少なからずあるのだ。

★例年より設問数が多かったことや時間配分が適切でなかったこと(設問1に必要以上に時間を掛けたと思われる答案が散見された。)などにより,時間不足となり設問4についての論述が十分でない答案が多かった。

★本年も,論点単位で覚えてきた論証をはき出すだけで具体的な事案に即した論述が十分でない答案,条文等を羅列するのみで論理的思考過程を示すことなく結論を導く答案などが散見されたところであり,上記のような論理的な思考過程の訓練の積み重ねを,法律実務家となるための能力養成として法科大学院に期待したい。

→予備校の教育を論点主義だと批判して、それではダメだからプロセスによる教育が必要と法科大学院推進者は言っていたようだけれど、プロセスによる教育の結果がこれですか。結局効果は上がっていないようだね。

★設問1及び設問3は,最高裁判所の重要判例を理解していれば,容易に解答できる問題であった。しかし,設問1については,一般論として判断基準を挙げることはできても,判断基準の意味を正確に理解した上で当てはめができているものは少数であり,設問3については,会議録中で検討すべきことを明示していたにもかかわらず,最高裁平成21年判決の正しい理解に基づいて論述した答案は思いのほか少なかった。

★昨年と同様,法律的な文章という以前に,日本語の論述能力が劣っている答案が相当数見られた。

→相当多くの受験生が、日本語での論述能力に欠けていると言うことだ。日本語の論述能力も身に付けさせることができないで、何がプロセスによる教育だ。高い学費と多くの時間を受験生に投入させ、国民の皆様には多くの税金を投入させて、結局効果は上がっていないじゃないか。法科大学院は廃止しても問題ないんじゃないの。

(続く)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です