理想でご飯を食べる秘術?

 先日の常議員会で、成年後見人・成年後見監督人に対する報酬に負担金を課す議案が討議された。
 提案理由の説明について、無報酬案件などの補助の必要性などが挙げられていたが、私は、二つの理由で賛成しなかった。

 一つ目の理由は、成年後見業務・成年後見監督業務には、採算性がない事件が多いため(もちろん全ての事件が採算性がないとは言わないが採算が取れない事件の方が私の経験上遥かに多い。)、成年後見人・後見監督人の報酬に負担金を課すことは、採算性のない当該事件を担当している弁護士にとって二重の負担となるという点だ。
 採算性のない成年後見業務・成年後見監督業務でも弁護士全体が支えて行うべき業務だと考えるのならば、全会員から特別会費を徴収して行うのが筋である。採算性のない成年後見業務・成年後見監督業務を経済的に見合わなくても弁護士としての使命感から、頑張って業務を行っている弁護士に、さらに負担金を負担させるのは、あまりにも当該弁護士にとっての負担が大きすぎるのではないだろうか。
 採算性のない成年後見業務・成年後見監督業務を仮に弁護士会が維持しなければならないのなら、むしろ、そのような採算性のない案件を等閑視し、儲かる案件ばかりに走る弁護士に負担させるのが筋ではないか。
 大阪弁護士会は、国選弁護事件にも負担金を課しているはずだが、これと同じ問題が生じているように思うのだ。

 二つ目の理由は、弁護士がどうして自腹を切って無報酬案件を受任しなければならないのかわからないという点だ。
 基本的に成年後見人・成年後見監督人の報酬は貢献を受ける人達の負担だ。自分のためについてもらうのだから当たり前である。しかし、市町村からの申し立てられた案件には、経済的に困窮している人達の案件も多い。行政がお金を出してくれればいいが、申立はしてやるがお金は出さないという身勝手な自治体が実は多い。こういう案件は、弁護士が(泣きながら)無報酬やごくわずかの報酬でやっていたりする。私自身も、次は良い案件を回しますからと言われて、(もちろんそんなに期待はしなかったが)極めて低報酬の成年後見監督人を受けたことがあるが、その後でも結局、良い案件は回してもらえなかったぞ(笑)。

 しかし、この状況は明らかにおかしいだろう。

 いくら公益のためとはいえ、無報酬や仕事に見合わない報酬で働くことを余儀なくされるいわれはないはずだ。
 もちろんボランティアなら、それでもいいだろう。余暇の時間を使って、自分の意思で奉仕活動行うからだ。しかし、成年後見業務は余暇の時間にできるとは限らない。通常の業務時間に行わなければならないことが多いのだ。純然たるボランティアと違って、どうしても通常の業務時間内に事務員なども動員して、つまりは無報酬案件であっても時間と経費を負担して業務を行う必要がある。弁護士だって職業だ。弁護士業で生活を支え、家族を養わなければならない。
 どこのタクシー会社が、ワンメーター料金も支払ってくれないお客を、大阪から京都まで載せてくれるというのだ。どこの新聞社が100円で一月分の新聞を購読させてくれるというのだ。いずれもサービスに見合ったお代を頂戴するからこそ事業が成り立っているはずなのだ。医師会だって、医療過疎地域への医師派遣は、経済的な裏付けがあること(要するに食えるかどうかということ)が大前提だとしていたはずだ。何もおかしなことではない。職業とはそういうものであるはずだ。
 
 だから私は、本当は弁護士会は、そのような非採算案件については、きちんと理由を説明して、これ以上受けることができない、と説明するべきではないかと思うのだ。決しておかしなことではないはずだ。
 泣きながら赤字案件をこなすことも一つの美学かもしれないが、その美学は弁護士に余裕があった時代の遺物だ。そして、泣きながらでも赤字案件をこなしていれば、世間や行政は、弁護士にはまだまだ余裕があると見て、さらに赤字案件を押しつけてくるだろう。

 以上の理由から私は反対したが、常議員会では賛成多数で、負担金を課そうとする執行部の案が通過した。

 どんなに理想を語っても理想ではご飯は食べられない。
 理想ばかり語る弁護士会執行部の方は、理想でご飯を食べる秘術を心得ておられるようだが、それは一般の弁護士は持ち合わせていない。

 現実を見て判断する必要がどうしてもあるはずだ。

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