産経新聞~金曜討論(2)

かなり時期遅れになってしまいましたが、前回に引き続いて安念氏の、発言に突っ込みを入れます。

■今のままなら早晩消滅…

--法科大学院の入学者減に歯止めがかからない
「新司法試験の合格率が年々低下し、昨年のように23・5%にまで落ち込んでいる現状では当然のことだ。今のままでは法科大学院への進学はハイリスク・ローリターンでしかない。先行きのないものに人は集まらない」
→高い学費を支払って、合格率23.5%の試験を目指し、合格しても食っていけるか分からない。そういう資格を目指す人が減少するのは当たり前のことです。この点では安念氏の指摘は正しいと思われます。しかしこれは、新司法試験を受験するためには法科大学院卒業を必須条件(例外的に予備試験あり)としたためです。働きながら受験しようとしても、勤務先のすぐ近くに法科大学院がなければアウト、仮にすぐ近くに法科大学院があっても夜間コースがなければアウト、夜間コースを設けた法科大学院があっても通学する時間と費用がなければアウト、いずれも新司法試験すら受験できません。これでは、多彩な人材を法曹界に導けるはずがありません。旧司法試験では働きながらじっくりと実力を貯えて合格する人もたくさんおられました。結局法科大学院制度は、新司法試験受験の資格を盾に取って、大学延命のために法曹志願者を食い物にする制度に成り下がっているのです。(坂野)

●旧司法試験より過酷
--明治学院大学(東京)が全国で3校目となる法科大学院生の募集停止を決めた。志願者減の中、法科大学院の淘汰(とうた)は進むか
「淘汰は進む。それどころか、ほとんどの法科大学院が機能しなくなり、早晩なくなるだろう。現在の新司法試験合格者数は約2千人だが、減らした方がよいとする声もある。そうした方向に進むならば、法科大学院の魅力は一層乏しくなり、凋落(ちょうらく)はさらに早い」
→法曹(裁判官・検察官・弁護士)資格の価値が下がれば下がるほど、法曹の職業としての魅力は下がり、法科大学院に高い学費を支払って、リスクを負ってまで手に入れるべき資格(目指すべき職業)ではなくなります。ちなみに法科大学院の魅力に言及されていますが、法科大学院教育そのものに魅力があるわけではありません。もし法科大学院教育そのものに魅力と価値があるならば、法科大学院入学希望者は減少するはずがありませんし、法科大学院卒業者は仮に司法試験に合格しなくても、社会で引く手あまたのはずです。しかし、現実はいずれも違います。法科大学院の先にある法曹資格が、魅力の源泉であったことは再確認しておく必要があるでしょう。(坂野)

--社会人や法学未修者など、多様な人材を法曹にする理念は実現できているか
「全くできていない。新司法試験はこの合格率で、法科大学院修了後5年以内に3回の受験資格。社会人どころか、学生も二の足を踏み、優秀な人材が法曹を目指さなくなるリスクが極めて大きくなっている。学部卒で法科大学院に入り、“三振”したら30歳ぐらいになって何も残らず、就職も難しい。学生は必死で勉強しているが、ストレスは旧司法試験よりも大きく、むごさを感じる」
→法科大学院制度が、当初の触れ込みと大きく異なって、多用な人材を法曹界に導くことが全くできていない点を認めておられるだけ、現実無視の後藤氏よりは評価できます。
ストレスの面に関しては、合格率数%だった旧司法試験でもかなりのものであり、新司法試験のストレスの方が大きいと勝手に断言されたくありません。ただ、図書館で独学して実力をつけてもよかった旧司法試験とは異なり、法科大学院に高額の学費を支払わなければならない点で、金銭面の負担は明らかに新司法試験の方が大きいのですから、この経済的な負担の点に鑑みれば、一応安念氏の発言も首肯できなくもありません。つまり旧司法試験では、お金をかけずに何回でも受験でき、仮に受験に失敗しても借金漬けということはありませんでした。しかし、新司法試験では否応なく法科大学院を受験・進学し、卒業しなくてはならず、三回しか受験できません。また、受験資格を得るためには結局高額の学費を納める必要があるので、仮に受験に失敗すれば、法科大学院費用分の借金が、ずっしりとのしかかってくる制度設計になっています。(坂野)

--法科大学院制度や新司法試験は、旧司法試験の知識の詰め込みを否定し、柔軟な思考力を持つ法曹を養成をする理念がある
「試験が難しくて、それどころではない。私も法科大学院で教えているが、学生は『まず、受からなければ話にならない』という意識だ。試験でどのような答案を書けば合格できるのか、そこに関心が集中するのは仕方ない。実態は旧司法試験と変わっていない」
→つまりは、法科大学院自体が受験予備校化しつつあるということの指摘のようです。よく法科大学院維持論者が旧司法試験では知識の詰め込み、法科大学院では柔軟な思考力を持つ法曹を養成する理念がある(注:「理念がある」というだけで養成できると断言していないようですね。)、と胸を張っていいますが、理念だけ正しくても現実に機能していなければ意味がありません。また、柔軟な思考力も最低限の知識を保有した上でなければ活用できません。因数分解の知識がなければ微分・積分は分かりません。医者だって、病気の知識がなければその病気の治療に工夫を凝らすことができないのと同じです。日本は成文法の国です。実務家にとって必要な最低限の法律の知識でも、相当の量になります。いくら思考力を鍛えたところで、必要最低限の知識がない実務家では実務上使いものにならないのです。
近時の新司法試験採点雑感等では基礎的知識の不足が盛んに指摘されており、そればかりではなく、パターン化された思考力が感じられない答案が見られるという指摘も、一向に減る気配がありません。この点、空疎な法科大学院の理念を一蹴している安念氏の指摘は、当たり前ではありますが現実に目を向けているなと感じさせます。(坂野)

--現状を打開する手段は?
「毎年の合格者数をどんどん増やせばよい。平均的な法曹の質は当然低下するが、誰が困るというのか。上位合格者の質は変わらないだろうし、良い弁護士に相談したければ、医者や歯医者と同じように、自分で探せばよい」
→たとえば、「薬害の生じる可能性のある薬品でもどんどん認可すべきだ。それで誰が困るんだ。自分で薬害の発生しない薬品を探せばいいのだ。」と安念氏が発言したとしたら、誰も安念氏の発言を支持しないでしょう。
「あの薬は薬害があるようだからやばい」と、一般の方に評判が広まるまでには相当多くの薬害犠牲者が生じます。それらの方は救われません。
法曹の質を低下させてもよいから合格者を増やすべきだという安念氏の指摘は、上記の薬品の認可と同じ問題を孕んでいます。ただ、一般の方は弁護士に依頼する状況をあまり具体的に想像できないので、安念氏にそう断言されると、何となく困らないような気になっているだけなのです。
仮に法曹の質が全体的に低下し、て弁護士・検察官・裁判官の質、全てが低下してしまった場合、起訴してきた検察官がハズレ、依頼した弁護士がハズレ、裁判官もハズレ、となれば救われるべき方が、救われない事態が生じ得ます。本来救われるべき方が救われていない場合等に、是正する最後の機会がハズレの担当者ばかりでよいのでしょうか。仮に安念氏がいうように良い弁護士を自分で探しても、検察官・裁判官がハズレであった場合、本当に司法を全面的に頼って良いものでしょうか。安念氏のいう「法曹の質の低下、問題なし論」は、あまりにも現実無視の暴論のように思えます。(坂野)

●弁護士も実力主義に
--弁護士も就職難だが
「事務所を設けて顧客の相談に乗る従来と同じ弁護士業務をやろうとすれば、当然そうなる。旧司法試験は毎年の合格者が約500人の時代が長く、今も国内の弁護士業界のパイはそれに応じた大きさだ。法曹資格だけで食べていける時代ではないということだ」
→弁護士ニーズ論に関連する問題ですね。弁護士のニーズとは、国民の皆様方が、お金を出してまで弁護士に解決を依頼したい問題がどれほどあるのか、ということであり、無料で相談したいという希望は弁護士ニーズではありません。タダで、法科大学院の正規の授業を受けたい人が100万人いても、法科大学院のニーズがあるといわないのと同じです。食べていけないかもしれない資格を取得する試験を受験するために、どうして法科大学院卒業が必要なのか、そのために高いお金を法科大学院に支払わなければならないのか、私には全く理解できません。
法曹資格だけで食べていけないのであれば、弁護士も仕事を開拓しろということなのかもしれません。弁護士が仕事を開拓するということは、誰かに対して法的責任を追及することがメインになりそうです。その矛先が、大企業だけに向いていればいいのかもしれませんが、一般市民の方に向くかもしれません。そうなればアメリカのような訴訟社会の到来の危険性は相当高まります。また、弁護士も職業ですから仕事をした以上、報酬を取ります。したがって、当然リーガルコストは高くなっていくでしょうし、訴訟のリスクに備えて各種保険料も高騰していくでしょう。しかし、本当にそのような訴訟社会を国民の皆様は望んでいるのでしょうか。極論すれば弁護士が活躍しない社会の方が望ましい社会なのではないでしょうか。弁護士を無闇に増やして競争させよという主張には、その点に対する配慮が全くないように思えてなりません。(坂野)

--法科大学院は不要か
「今のままでは、誰も行かなくなるだろう。教育内容などから法科大学院を出たことを世間が高く評価するようになれば、自然と入学志望者は集まってくる」
→この点は安念氏の意見に賛成です。但し現状では、教育内容や卒業生のレベルにおいて、社会では評価されていない状況ですから、現状の法科大学院は存続させておく価値は社会的にはない(税金の無駄)ということになると思われます。(坂野)

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