もうすぐ日弁連会長選挙

 2月10日に日弁連会長選挙の投票日がある。

 いつもの選挙と違って今回はやけに静かだ、よく分からん、という、感想があちこちから聞こえる。

 私も、そう思うし、選挙情勢がどうなっているのか、さっぱり分からない。

 大阪では、若手の会員を中心に、「投票に行こう!自主的キャンペーン!」のビラが配布されている。これは非常によいことだ。

 会長を希望する人に、公約をきちんとさせる機会は意外にないものだ。そのうえ、弁護士会では、若手会員の数の方が圧倒的に多くなってきているのだから、ここらで、若手を無視し馬鹿にしていると、ひどい目に遭うということを、きっちり、分かって頂くには、格好の機会でもあるからだ。

 そう思っているところに、憲法と人権の日弁連を守る会という団体から、「荒廃を進めた宇都宮執行部の2年間」と題したFAXが届いていた。

 この団体は、高山俊吉先生が代表だから、高山派の森川先生陣営からのFAXであると私は受け取る。

 しかし、内容がちょっと、あからさまなネガティブキャンペーンなので、ちょっとどうかなという気がする。特に①激増に任せ、②ロースクールを進め、という点に関しては、事実と違う。

 私は、日弁連の法曹人口政策会議に入れて頂き、そこで、活発な議論をさせて頂いた経験からいって、激増問題に関して、これまでの上から目線ではなく、多くの会員の意見を吸い上げようという努力を、間違いなく宇都宮執行部はやっていた。増員賛成派である大弁護士会の重鎮クラスが、論破され、抽象的な反論しかできない場面が何度もあった。議論は会議だけでは収まらず、MLを使った議論もなされた。それだけ意見をまとめることは困難な問題でもあったのだ。

 また、法曹人口政策会議の緊急提言の効果を減殺するような、法曹養成制度検討会議からの法科大学院擁護の緊急提言が昨年3月に出されてしまったことは、大きな問題だった。

 そこで、法曹人口政策会議の中で、武本夕香子先生などを中心に何度も申入れ、その結果、今までの縦割りではなく、法曹養成・法曹人口・法科大学院・司法修習等の会議を交えた、極めて異例の意見交換会を、おそらく初めて実行したのも宇都宮執行部だったからだ。ちなみに、法曹養成・法曹人口・法科大学院・司法修習等の会議から、意見交換の申入れは一切なかった(少なくとも私は聞いていない)。

 これらの会議は、今まで通り、縦割りに安住し、自分の領域のことだけを、つつがなく、これまで通りやっていれば足りると考えていたのだろう。

 宇都宮執行部以前の執行部では、法曹人口政策会議のように紛糾することが目に見えている会議を設置すること自体、なかっただろう。

 私が現に、宮崎前会長のときに法曹人口に関する日弁連の会議を傍聴して体験している。あきれたことに、大事な議論を行う場であるのに、執行部の意向に従うイエスマンの集合に見えた。今からわずか、2年ちょっと前のことだったが、潜在的需要はあるし、弁護士さえ増やせばうまく行くから良いよね、という私から見れば、とても考えられない牧歌的な議論をやっていた。

 余りの危機感のなさに、傍聴人ながら休憩時間に議長などに質問してしまったことは、以前にもブログに書いたと思う。

 ネガティブキャンペーンも、選挙の戦術としては、当然あるとは思うが、やはり事実に基づいた主張をして頂きたいと思った。

 大阪弁護士会、そして全国の若手の皆様。自分たちの意向を日弁連の運営に反映させる絶好のチャンスだ。

 棄権などせず、必ず投票しましょう。

遺産分割協議の罠~2

 弁護士の方なら誰でも知っていると思うが、責任限度や継続期間の定めのない継続的保証契約において、相続発生後に主債務者が新たに借り入れた債務まで、相続人が承継負担するものではない(根保証の一身専属性)。

 ところが、今回の保証債務は、責任限度も継続期間も決まっていた。裁判例の傾向からすれば、根保証の一身専属性の理論では勝てない。

 遺産分割協議自体が錯誤無効(民法95条)であると主張し、その上で改めて相続放棄の申述をする方法も考えられるが、相続財産として不動産があることは認識した上で、その名義を母親にすることについては錯誤がないので、動機の錯誤で主張するとしても、動機の表示は実際にはされていないから、どこまで錯誤の主張で戦えるのか分からない。微妙だ。

 では、保証債務に基づく支払義務が現実化していない段階で相続したことを理由に、保証債務負担を逃れる主張ができないか。
 この点について、一身専属性が否定される債務の場合は、相続時に求償権として具体的に発生していなくても、相続人は相続後に求償権が具体化したときはその支払の責めを負うのが相当とされ、その趣旨に沿った裁判例がある(東京地判 平成15年12月12日)。

 理由は、相続の効力について定めた民法896条でいうところの「被相続人の財産に属した一切の権利義務」、すなわち、被相続人の財産的地位には、被相続人の連帯保証人たる地位も当然含まれるから、というものである。法理論的には筋が通っていそうだ。

 あれこれ考えたが、死亡した父親の唯一の財産である不動産を、母親名義にしようとしただけなので、他の相続人にとってみれば実質的には相続放棄の趣旨で、遺産分割協議を行ったのだと考えればいいのではないかと思い至った。

 その観点から、判例ソフトで、再検索してみると、2件、使えそうな決定例が見つかった(大阪高決H10.2.9~判タ985-257、東京高決H12.12.7~判タ1096-106)。

 仮に、上記の点をクリアーできても、期間経過の点については、問題は残るが、少なくとも、全く打つ手がないわけではないことは分かった。

 今回の件で、最も責められるべきは、遺産分割協議により負の財産を承継する危険を全く指摘せずに、漫然と、遺産分割の方法を勧めた司法書士だ。

 私としても、十分気をつける必要があると自戒すると同時に、しっかり勉強しておかなければと改めて思った次第である。

遺産分割協議の罠~1

 先だって、法律相談で、相続放棄案件の相談を受けた。

 事案は、概ね次のようなもの(特定を避けるために一部変えてあります)。

 父親が15年ほど前に死亡し、そのまま唯一残された財産である父親名義の不動産を放置していたが、3年くらい経過して、そろそろ1人で住んでいる母親の名義にしておこうという話になり、司法書士に依頼したところ、遺産分割協議をすれば簡単だと説明を受けた。そこで、母親と兄弟4人で遺産分割協議をし、父親名義の不動産を母親名義にすることができた。

 ところが、父親が連帯保証をしていた主債務者が、昨年末頃に支払を滞らせたことから今年の1月に、債権者から、相続人にも追求する可能性があるといわれ、父親の多額の連帯保証債務の存在が相続人らに発覚した。

 そもそも、多額の保証債務があると分かっていれば、相続放棄していたはずだ。どうしたらいいか、というもの。

 問題点は、大まかに言って、二つある。

 一つは、遺産分割協議が相続財産の処分行為に該当して、法定単純承認(民法921条1号)となってしまい、一度相続の承認乃至放棄をすれば撤回できないため(民法919条1項)そもそも相続放棄が不可能なのではないかということ。

 ちなみに相続の承認及び放棄は総則及び親族法の規定が適用できて取り消せる場合には取り消せるが、追認可能時から6ヶ月、相続の承認・放棄時から10年経過後はできなくなる(民法915条2項・3項)。

 もう一つは、相続放棄は相続開始時から3ヶ月以内にしなければならないが(民法915条1項)その期間を大幅に経過しているということ。

 一度別の弁護士に相談したそうだが、その弁護士は、相続放棄の熟慮期間の話だけをして、法定単純承認とされる可能性があることは、全く話してくれなかったそうだ。しかし、熟慮期間の前に、まず遺産分割協議により、法定単純承認となっているかが問題となるはずだ。ひょっとしたらその弁護士は、遺産分割協議をしている以上、もう、単純承認だから、しょうがないと思っていたのかもしれないが、依頼者に現状を把握してもらうためにも、きちんと説明する必要があるように私は思う。

 もちろん、相続財産の調査も、聞き取りもせず、また、限定承認の手段などの説明もなく遺産分割協議を進めた司法書士は最も責められるべきであり、損害賠償請求の対象となるように思ったが、残念ながら、この司法書士は懲戒処分を受けて既にどこかに消えてしまっているとのこと。

 法律の筋論としては、遺産分割協議は当然相続財産を処分する行為だから、遺産分割協議を行った時点で、法定単純承認となり、その時点で、アウト。後で保証債務の存在を知ろうが、保証債務を相続しなさい、ということになるはずだ。判例検索ソフトで調べても、ろくな結果が出てこない。

 しかし、それでは、あまりにも、かわいそうだ。

(続く)

「おにたのぼうし」 文・あまん きみこ   絵・いわさき ちひろ

「おにた」は、心の優しい鬼でした。

 しかし節分には、多くの家では、鬼を追い払う豆まきが行われます。

 「おにた」のいる家でも、やはり豆まきが始まり、「おにた」は、家を出ていきます。

 寒い節分の夜に、豆まきの音がしない家を探していた「おにた」は、病気のお母さんを看病する貧しい家の少女を見かけます。

 なんとかしてあげたいと思った「おにた」なのですが・・・・・・。

(できれば先に、この絵本をお読み下さることをお勧めします。)

 あとは、この絵本を読んで頂くべきでしょう。

 短いお話なのですが、「あまん きみこ」さんの文章が、子供だけではなく、大人の心にも、ズンと響きます。

 先入観に囚われていた場合、何気ない当たり前の言葉が他人を傷つけることもあります。すがたかたちは「おに」という存在であっても、こころは「おに」ではないこともあるのです。

「おににだっていろいろあるのにな。にんげんもいろいろいるみたいに。」

「おにた」のこのつぶやきを、なんの感情も抱かずに聞き流せる人は、おそらくいないでしょう。

 最後に少女の願いをかなえた「おにた」は、いなくなります。

 最後に残った「くろまめ」をどう考えるかは読み手に任されているように思います。

 「いわさき ちひろ」さんの絵も素晴らしく、「おにた」の気持ちを実に上手く表現しているように思えます。

 子供に、読み聞かせをしてあげながら、涙ぐんでしまったお母さんも多いのではないでしょうか。

 節分では、鬼を追い払う豆まきが付き物ですが、この本を読んだことのある人は、ひょっとして、豆まきをしないかもしれません。

 そういう絵本です。

 ポプラ社 1050円(税込)