(続き)
食堂がなかったので、お昼は同志社大学の学食を使わせてもらうことが多かった。私はミンチカツの定食と生協コーヒー牛乳が定番で、そうでないときはカレーを食べた。少し余裕があるときはマクドナルドを食べることもあったが、基本的には高くてあまり食べられなかった。なか卯の牛丼も食べたが、お金がないときは当時同志社大学周辺に数多くあったゲームセンターでタイムサービスでもらえた無料ポップコーンを食べて、炭酸飲料を飲むという荒技も使った。
意外に腹持ちが良いとラジオ番組で誰かが言っていたので実践したわけだが、実際に腹持ちは悪くなかった。しかし、体調は悪くなったように思った。
夕食は、学生食堂「なかじま」まで自転車で出かけることが多かった。焼き肉定食のBかC(肉の種類が違う)が多かったが、時折クジラカツなど、嬉しいメニュウも登場した。
大学合格後だったか近畿予備校在学中かはっきりと覚えていないが、数学の広中平祐先生が近畿予備校で講演されたのを聞いた記憶がある。確か、近畿予備校で講師をされていたことがあったのだそうだ。
大学生活に馴染むにつれ、近畿予備校から次第にに遠ざかった私だが、意外なところで近畿予備校と再会する。司法試験の短答式模試や、論文直前答練で、某司法試験予備校が近畿予備校を会場としたのだった。
懐かしい思いで、近畿予備校に向かったが、やはり設備は当時のままだった。ただ、私が予備校生だったときに司法試験予備校に教室を貸すことをやっていた記憶がなかったので、色々大変になってきているのかなと少し心配になった。
インターネットで見てみると、近畿予備校は、今でも大学受験予備校として健在のようである。ただ、私が在籍したときのような「伝説の予備校」的な合格率をたたき出すことはできていないようだ。
かつての近畿予備校を知る身としては、近畿予備校が残っていることに安心する反面、あの異様な熱気に満ちた近畿予備校の姿はもう見られないのかと少し残念に思うのだ。