近畿予備校のこと~その2

 (続き)

 近畿予備校の設備自体は、はっきり言って、結構ぼろかったように思う。

 机自体も前後の幅が短く、大きめのノートがはみ出しかねない大きさ。照明もそう明るいものではなかった。エレベーターもなかったように思うし、出欠は、事前配布の出席票を切り抜いて箱に入れる方式(本当に出欠を取っていたかすら、疑わしかった)。成績優秀者の張り出しは手書き(優秀者・優良者など、優秀な成績を修めた者ほど名前が大きかった)。食堂もなく、ハンバーガーの自動販売機が中庭あたりにあったような記憶がある。

 しかし、合格実績はすさまじかったし、京大医学部を目指しての多浪生(人間離れした成績をたたき出す超人的な人もいた)も多かった。パンフレット上では、数学の永井先生、英語の橋本先生が確か2枚看板だった。

 とはいえ、永井先生の数学の授業は、正直言って難しすぎて理解できなかった。永井先生はすらすらと解いて見せて、口癖は「簡単明瞭」だったが、どうして簡単明瞭なのか自体が理解できなかった。同じ下宿の理系の友人に聞いてみても、分からないときがあるとのことだった。しかし、医学系の生徒には絶大な人気があったので、本当はすごい先生だったのだろう。

 永井先生のもう一つの口癖が「某ラージS予備校」。近畿予備校が身分証明を発行した本科生(つまり本当に近畿予備校で浪人した者)だけを予備校実績としての合格者として律儀に発表しているにもかかわらず、S台予備校が、合格者実績に講習だけの参加者や模擬試験だけの参加者を加えて予備校の実績として大々的に公表していることがお気に召さなかったのだろう。

 橋本先生は、だみ声で「猛勉したまえよ。猛勉!」が口癖。解釈論などそっちのけで、とてもそんな名訳できない、と受験生があきらめかねない訳を披露し、熱く語る先生だった。悪く言えば、どうしてそんな訳になるのか分からないまま、模範の訳だけおっしゃるイメージがあったが、受験生に活を入れるだけのパワーは十分にあった。

 橋本先生のもう一つの口癖は「京都はあかんね」といって、新幹線で東京に着いたときは東京~東京~と語尾が上がるのに、京都だと京都、京都、と語尾が下がり力が抜けるなどとおっしゃっていた。プロレス好きで、時折プロレスの話もされていた。

 小さいながら、意気軒昂、俺たちはどこの予備校にも負けない。という気概がみなぎっていたように思う。

 そのほかの先生では、澤井先生(英文解釈)、古川先生(英作文)が印象に残っている。

 澤井先生は、イタリア語にも堪能だとのことだったが、毎回白衣で登場し、切れのある解釈論を展開された。何度も目から鱗が落ちる思いをした記憶がある。後に作家澤井繁男として、賞も取られたはずだ。

 古川先生は、豊富な実務経験をお持ちのようで、毎授業前に、添削希望者が英作文を黒板に書き、それをどうしてこの表現ではおかしいのか、この場合はどういう表現を用いるのが適しているのか、を解説された。私は毎回古川先生にズタボロに添削されることを承知で、何度も添削して頂いた。

(続く)

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