プロセスによる教育ってなんなんだ?~その2

では、一文ずつ検討してみましょうか。

「法科大学院は、法曹を養成する教育機関として2004年4月にスタートしました。」

 これは間違いないでしょう。法科大学院は、法曹養成に特化した教育機関。すなわち、法科大学院が行う厳格な卒業認定にパスして、卒業すれば、法曹として相応しいだけの力が身についている・・・・・はずですし、そうでなければ意味のない教育機関ですよね。

「この新しい法曹養成制度は従来の司法試験による「点の選抜」を「プロセスによる養成」に変えていくものです。」

 これは法科大学院導入の際に良くいわれていたことですね。そして、ここがもっとも分からないところです。選抜がどうして養成に変化できるのか、法科大学院制度があっても新司法試験に合格する必要があるのですが、それなのにどうしてプロセスによる養成と言えるのか、私には理解できません。

 さらにいえば、ある時点で試験を行って選抜することがなぜ悪いのかも、実は私には理解できません。オリンピック代表を選出する際にもっとも公平なのは、どうしても参加者や条件が異なってしまう競技会をいくつも実施して、オリンピック委員がその中から選ぶより、ひとつの競技会を指定してそこで優秀な成績を収めた選手を選ぶ方がよほど公平だと思います。

「現行の司法試験は必ずしも法学教育の成果を測るものとはなっておらず、いわゆるマニュアル思考の受験秀才が試験に合格しやすいという問題が起きています。」

 前段は、これまでの司法試験の問題がダメだという指摘としか読めません。そうだとすれば当時の司法試験管理委員会がちゃんとした問題を出していないということが問題の核心です。受験生の勉強の問題ではありません。大学教育だけで合格者をたくさん出すことが出来ず、予備校に学生を奪われた大学側が、「あれは司法試験の問題が悪いんだ。」と言いつのっているようです。昔話にあったように、狐がジャンプしても食べられなかったブドウに対して、「どうせ酸っぱいブドウだ」と罵っているのとかわりゃしません。

 後段は、何が問題なのかも分かりません。例えば、大学だって入試をやります。予備校で大学入試問題を解くために必死に勉強してきた受験生がいて、その受験過程で問題を解くマニュアルを編みだして高得点を採った場合、その工夫を賞賛こそすれ、マニュアル思考だからダメだと、大学はその受験生の努力を否定するのでしょうか。今の原発危機では、危機管理マニュアルの作成が出来ていなかったことが大問題とされているのではないのでしょうか。

 また、旧司法試験の答案が金太郎飴的答案になっているとの学者からの批判があったと記憶していますが、同じ問題が受験生に出題されているのですから、受験生が100人いたら100通りの答えになる方がおかしいでしょう。ことは、学者が独自の見解を示す論文を書く試験ではなく、法律をきちんと解釈適用できるかの問題です。しかも、短答式で5人に1人に絞られた中での論文試験です。ある程度の事実が明らかである場合、法律を正しく当てはめれば、おのずと答えはひとつの方向にまとまっていきます。そうでないと法律に関する実務家登用試験の意味がありません。

 全く同じ事案で裁判所の解決が100通りもあったら、誰も怖くて裁判なんて受けられません。法律の解釈の仕方にバラエティを求めるのは学者の趣味以外何者でもないと思います。

 百歩譲って、マニュアル思考に問題があったとするなら、法科大学院はそれを問題視してこれを改善しようとしているわけですから、脱マニュアル思考の卒業生を輩出していなければ、その存在意義はないといわれてもしょうがありませんね。

 ところが、法務省が公開している最新の「平成22年度司法試験採点実感等に関する意見」によると次のように書かれています。

「要求されるのは,パターン化した思考ではなく,事案についての適切な分析能力や柔軟な法解釈能力である。(憲法)」

「問題の内容を検討することなく,パターン化した答案構成をするものが目立った。(憲法)」

「法科大学院では,審査基準(三段階審査とか比例原則という言葉)の定型的・観念的使用を戒めるとともに,それらの内容の精確な理解(問題点を含めて)を学生に深めさせる教育が求められる。(憲法)」

「不真正不作為犯の成立要件について,まるで型にはめたような論述例が数多くあったこと,過失犯の共同正犯について,それを論ずる実益を考えないまま論述する答案が相当数見られたことは,受験生が典型的論点に関する論述例の暗記に偏重するなどした勉強方法をとった結果,事案の特殊性を考慮して個別具
体的な解決を模索するという法律実務家に求められる姿勢を十分に習得していないのではないかと懸念される。(刑法)」

「不正確な抽象的法解釈や判例の表現の意味を真に理解することなく機械的に暗記して,これを断片的に記述しているかのような答案も相当数見受けられた(刑訴法)」

 きりがないのでこれくらいにしておきますが、これでは、マニュアル思考すら出来ていない状態に陥っているのではないでしょうか。

「そこで法科大学院で3年間あるいは2年間じっくりと法曹に必要な知識・能力を養ったうえで司法試験に臨むというプロセスに変わることになりました。これによって正しい法的思考力を養い、幅広い識見を持った法曹を育てることが可能になるという狙いです。」

 先ほどの採点実感に関する意見を読んでしまうと、もうなに言ってんだという気になりますが、法科大学院の理想はそういうことだったのだそうです。

 私としても、死者にむち打つようで辛いのですが、最新の司法試験採点雑感等に関する意見から、その理想が実現できているかを、もう少し見てみましょう。

「当該事案の問題点に踏み込む姿勢が乏しく,違憲審査基準(比例原則にしても同様)を持ち出して,表面的・抽象的・観念的な記述のもとで,あらかじめ用意してある目的手段審査のパターンの範囲内で答案を作成しようとする傾向が見られる。(憲法)」

「論理的な一貫性や整合性に難点があるにとどまらず,判読自体が困難なものや文意が不明であるものも見受けられた。自覚的な文章作成能力の涵養が望まれる。(憲法)」

「選挙権という重要な権利が問題になっているので「厳格審査の基準」でその合憲性を審査するなどとするのみで,具体的な検討なく安易に違憲としている答案も多く,逆に,「選挙権は権利であると同時に公的な義務」と位置付けるだけで,安易に制限を合憲とする答案も意外に多かった。(憲法)」

「総じて,一定の視点から事案を分析・整理した上で,法令の解釈・適用を行うという法実務家に求められる基本的素養が欠如していると言わざるを得ない答案が多かったのは,残念である。(行政法)」

「問題文をきちんと読まず,設問に答えていない答案が多い。問題文の設定に対応した解答の筋書を立てることが,多くの答案では,なおできていない。(行政法)」

「実体法の解釈・適用に弱いとの傾向は,今回も見られた。(行政法)」

「「見せ金」の概念及び問題の所在を示した上で,本件事案が見せ金に該当するか否かを論じている答案は,少なかった。(商法)」

「判例・学説等を踏まえて論じた答案はごく僅かであった。また,本件募集株式発行については,見せ金を除くごく一部につき実際の払込みがあることを,本件募集株式発行により発行された株式の効力を考える上で,いかに評価するかを論じる必要がある。しかし,これを論じている答案は更に少なかった。(商法)」

「(中略)後者の責任については,そもそも論じていない答案も多く,論じても,AのほかBも責任の主体になり得るか等の問題の検討や,見せ金による払込みの効力及び株式の効力と整合的に,貸借対照表及び履歴事項全部証明書の内容を分析することが,不十分であっただけでなく,同条第2項第1号の要件を満たすから同条第1項の責任が認められると議論する等,前者の責任と後者の責任の関係を理解していないものが圧倒的であった。(商法)」

「上述の会社法第52条や第429条の責任の問題のように,基本的な会社法上の責任の構造に関する理解に不十分な面が見られる。また,判例をきちんと身に付け,それを踏まえて議論するという,法曹に求められる基本的な思考方法が十分に身に付いていない感がある。(商法)」

「前記のように,手続保障や信義則など抽象的な規範のみから結論を導く答案,題意をきちんと把握せず,定義や制度趣旨など自分の知っていることを書き連ねている答案,問題を正面から受け止めることをあえて避け,自分の知っていることに無理やり当てはめようとする答案が目立った。このような傾向が見受けられるのは,題意をきちんと把握するだけの基礎学力の不足に起因するところが多いように思われる。特に,基本的な制度や判例について,自らその意味を掘り下げて考えるという作業を怠り,定義,要件,結論を覚えて,それを具体的な事案に当てはめるということだけを学習しているのではないかが懸念される。(民訴法)」

まだまだ続けても良いのですけれど、疲れてきたので今日はこの辺で。

(続く・・かも)

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