滅び行く町?

 先週末、久しぶりに実家に帰省した。

 ほぼ1世紀生き抜いた、祖母にどうしても会っておきたく思ったこと、受験を目前にしている甥・姪を励ますことも帰省の理由だった。行事を除いて、ここ1年余り帰省していなかったこともあり、先祖の墓参りもかねての里帰りだった。

 祖母に好物のプリンを届けに実家から原付で、祖母の家まで出かけ、お墓参りをしたあと、小春日和に誘われて、そのまま太地町内を原付で見て回った。懐かしい店、古くからある建物、野球をやった公園、入り浸っていた自転車屋さん、所々の建物は駐車場になり歯抜けのようになってはいるが、何時もと同じ太地町の面影があった。

 だが、私が子供の頃を過ごした太地町とは、何かが、違う。

 いつもと同じ、公園。いつもと同じ路地。

 やはり何かが違う。

 土曜日であるにもかかわらず、子供の姿がどこにも見あたらないのだ。

 私が子供の頃、土曜日は半日しか休みではなかったが、子供の姿は町に溢れていた。ショーウインドウでプラモデルを品定めする男の子、駄菓子屋のくじ引きをするかどうかで悩んでいる女の子、お寺の境内で缶蹴りをする子供達、港で釣りをする子供。お母さんに連れられて買い物に行く途中の女の子。どこかの家からは野球版で盛り上がり歓声を上げる男の子の声も聞こえてきたし、公園でははしゃぎ回る子供達がいたはずだ。

 私の記憶では、町のいたるところに子供がいたように思う。

 それが、土曜の午後2時頃なのに、全く子供が見当たらないのだ。確かに、少子高齢化だし、私が子供の頃よりも子供の遊びが多様化し、室内でゲームなどをして過ごす子供も増えたのだろうが、余りにも子供の影が薄すぎる。町を歩いているのは、脚が弱って、手押し車を押しつつ歩くお年寄りが幾人かいるくらいだった。

 結局町の主要な通りを、原付で見て回ったが、家の玄関で所在なげにしている男の子1人と、小学校の校庭で遊んでいる数人の子供達以外に、ついに子供を見つけることが出来なかった。

 あれだけいた子供はどこへ行ったのだろう。

 福永武彦は自著の小説「廃市」の冒頭に、「さながら水に浮かんだ灰色の棺である」という北原白秋の言葉を引用していた。

 冬の中休みのように暖かい小春日和の青い空と、青い海に挟まれ、妙に明るい日差しに包まれた太地町を、かつて見た元気な子供達の姿を探してさまよいながら、私は、白秋の言葉をもじっていうなら、「さながら、波に打ち寄せられた明るい蒼色の棺である」という思いを、故郷太地町に関して否定できないでいた。

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