日弁連の会員の意見を聞くべきじゃないのかなぁ

 日弁連法曹人口政策会議のメンバーに入れて頂いてから、全体会議・運営会議に何度か出席させて頂いている。会員の声を直接聞くべきだという意見と、それではまとまらないしむしろ弊害があるという意見が対立している。

 私の見る限り、現状でも合格者激増によるひずみが看過できない状況になっているので、さらに新司法試験合格者を3000人に向けて増やすべきとする見解は、ほとんど出ていないように見える。しかし、この問題については、日弁連会長選挙においても大きな争点になったし、日弁連会員の関心も高いと思われる。

 現状では、宇都宮会長の任期中に、舵を切らないと、次期日弁連会長のポストを司法改革推進派でもある主流派が会派の力で押さえてしまう可能性が高い。その場合、これまでの司法改革は誤っていなかったということで、再度合格者増員に歯止めが利かなくなる可能性が高いのだ。つまり、主流派としては、とにかく法曹人口問題に関して日弁連に舵を切らせなければ勝ちになるのだから楽だ。

 法曹人口政策会議で意見がまとまらないので両論併記となっても結局日弁連の方向性は変わらなかったということで主流派の勝ち、時間切れで意見がまとまらない場合でも同じく日弁連の方向性は変えられなかったということで主流派の勝ち、になってしまう。

 つまり、今は雌伏のときを過ごしている主流派としては、なんとか宇都宮会長の任期をやり過ごし、再度日弁連会長職を押さえてしまえば、司法改革路線は正しかったと強弁できるし、したがって自分たちのこれまで行ってきた施策が間違っていると批判されることもなくなる可能性が高い。自分が批判されるのが嫌なら当然この方針を採るだろう。

 そりゃぁ、「痛みに耐えて司法改革!」と声高に主張するのは格好いい。そう主張する主流派の中枢にいる人達も、司法改革のなかで、若手と一緒に痛みを負っているのなら話は分かる。収入も若手並みに抑えて、就職難の司法修習生をどんどん採用しているのなら納得もしよう。

 しかし、主流派中枢にいる人達は、私の見る限り、法曹人口の増加を抑制している間に基盤を築き、功成り名を遂げ、家も建て、子供も大学を出て、老後の資金も十分貯え、後は日弁連内の政権争いでも楽しんじゃおうかな、というくらいの人が多いように思える。

 もちろん、自腹を痛めてまで、司法修習生を採用しているようにも見えない。

 むしろ、(ワシは行かんが)若者は司法過疎解消のために地方に行け、(ワシはやらんが)潜在的需要はあるはずだ、(ワシはもう安泰だが)我々だって若いときは苦しかったんだ、と言っている人ばかりに見える。

 潜在的需要が本当にあるのなら、これだけ修習生が就職に苦しんでいるんだから、自分で修習生をどんどん採用して、国民の潜在的需要を満たしてあげれば良いだろう。弁護士が社会生活上の医師として必要とされているのなら、それこそ司法改革の理念に沿うはずだ。司法改革万歳を唱えるなら、それが言行一致というモノだ。責任ある態度というモノだ。

 しかし、潜在的需要があると主張する人は、それもしない(している人を見たことがない)。

 これは、潜在的需要すらないことの裏返しだろう。司法改革は支持するが、それに伴う痛みや責任を負わないなんて、ええカッコするだけで、狡いにも程がある。

 また、法曹人口政策会議で、合格者激増論者や潜在的需要論者の連絡先を、就職難の司法修習生に教えてやるべきだと申しあげたところ、どなたか忘れたが、「そんなことをいわれたら議論が出来なくなる」という趣旨の発言をされた方がいたらしい。

 それって、自分の発言に責任を持てないことの裏返しじゃないのか。若しくは、自分は痛みを負わないが、自分じゃない誰かが痛み負うから司法改革を進めようという、あまりに無責任な態度をとってきたからこそ、出てきた発言なんじゃないだろうか。

 司法試験合格者を年間1500人以上に大激増させることについては、かつて、法務省も最高裁も懸念を表明していたのだ。

 現場に最も近い、多くの日弁連会員の意見を聞くべき問題だと思うけれど。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

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