困る場合

 弁護士をやっていて、最も困る場合の一つとして、民事訴訟を提起されている被告であるにもかかわらず、訴訟にされた、その当時のことを、全く覚えていない依頼者があげられるだろう。

 かすかな手がかりをもとに、必死で記憶を喚起させようとするのだが、これが殆どうまく行かないこともある。こんな時は大変だ。

 お医者さんで例えて言うと、

 患者「先生、どこか悪いので診て下さい。」

 医者「どんな症状がでていますか?どこがどのように調子が悪いのですか?」

 患者「とにかくどこか悪いので診て欲しいんです。」

という調子になるだろう。

 どこが痛いのか、どこがどう悪いのか患者が説明できなければ、当てずっぽうでも外見から判断したり、あちこち押してみたりして痛みを確かめたり、一般的な検査をして異常値がないか調べるなどして治療を進めざるを得ないだろうが、手を尽くしても病気の兆候が全く見られない場合は、的確な診断は実質上不可能である。

 お医者さんなら、異常は見当たらないので様子を見ましょう、という対応が可能だろうが、民事裁判の被告となると、そうはいかない。

 さらに悪いことに、大抵そのような依頼者は、人が良く、善意で対応していて、こんなことになる(訴訟提起される)とは思わなかったとのことで、殆ど証拠も残していないことが多い。そのくせ、妙に裁判所を信頼しており、裁判所は真実を見つけてくれるはずだから、自分は負けるはずがない、と信じ切っていらっしゃる方も、ときにはいらっしゃる。

 確かに裁判所が、ドラえもんの魔法の鏡でも持っていて、こすれば紛争が起きた時点の事実が鏡に浮かび上がるのであれば、話は簡単だ。それを見て判断すればいい。

 しかし、裁判所はそんな魔法の鏡を持っていない。したがって、双方の主張をきき、証拠を精査した上で、信用できると判断した証拠をもとに、どのような事実があったのかについて事後的に推論・認定し、その事実を前提に判断を下す。

 だから、証拠がないことは相当つらいのだ。さらに当時の記憶が曖昧だとなおさら辛い。こっちの主張する事実がそもそも曖昧だし、また、その事実が本当にあったのだということを示すことが困難なのだから、戦おうにも武器・弾薬がないのと同じだからだ。

 しかし、依頼者の人柄が良いからこそ、水くさい等の理由で証拠を残していない(若しくは巧妙に破棄させられた)場合が多く、こちらとしても歯がゆい思いをする。一方、原告側は訴訟を視野に証拠収集した上で提訴してきている場合が多く、証拠はかなりそろっている場合が多い。苦戦は免れない。

 ただ、そうであっても、依頼を受けた以上、全力を尽くし、少しでも依頼者の利益を実現するよう努力するのが弁護士だし、本来救われるべき方が救われるべきであるはずだと信じて戦うのが弁護士である。

 上記のような、困った方がお出でになると、いつもこのことを言い聞かせながら自らを鼓舞する自分がいるように思う。

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