今日、少年事件の審判があった。
相当重い事件であったが、幸いにも示談が成立できたこと、ご両親がしっかりされていたこと、本人の反省も深まったこと、良い調査官・裁判官に恵まれたことなど、様々な要因が全てうまくそろって、なんとか保護観察処分を頂くことができたように思う。
少年は昨晩は全く眠れなかったという。審判の最中、これまで一生懸命に考えてきたことを彼は、時に涙に声をつまらせながら真剣に語った。私もこれまでの身柄拘束中、彼と何度も面会し、彼の考えの浅はかさを指弾し、考えるよう促し、間違いは間違いであるとして断じて譲らず対応してきたつもりである。
それだけに、彼が内省を深めることができつつあること、調査官・裁判官にその事実が伝わったことは、私としても嬉しい限りだ。今日は良い気分で床につけそうな予感がする。
しかし、保護観察処分は決して無罪でもなんでもない。非行事実は厳然として存在する。非行事実は決して消えることはない。だがその中で、彼の可能性に賭け、彼の反省しているという事実を、一度は社会の中で信じてみようという処分なのだと私は理解している。
おそらく少年も分かっているだろう。
この処分は、終わりではなくスタートなのだ。そこまでは、周囲の人の尽力でなんとかなる場合もあるが、スタートを切ったあとは、自分で頑張っていくしかない。
ふらつくこともあるだろうが、なんとか、自分の力で歩いて行ける力を身につけていってもらえれば、と切に願う。