弁護士の大量増員と裁判官の官僚化

 弁護士が大量増員されると、裁判官が勇気を持って判決を下すことができなくなり、外圧や上の意見ばかり気にするなど官僚化する、という意見がある。

 一見、弁護士の数と裁判官の執務姿勢が関係するなどとは思われないので、「風が吹けば桶屋が儲かる」というような荒唐無稽のお話かと思われるかもしれない。

 しかし、実際には、起こりうる話なのである。

 最高裁ではない下級裁判所裁判官にも(簡裁判事)・判事補・判事・高裁長官とあるが、司法試験合格後司法修習を終了して、判事補に採用され(裁判所法43条)、その後判事に任命される人が圧倒的に多い(裁判所法42条)。

 つまり裁判官の殆どが、司法試験合格後司法修習を終了しているので、裁判官を辞めたあとは、弁護士になる資格があるし(弁護士法4条)、実際に弁護士になる人も多い。これまでも、裁判官を自ら辞めた方が弁護士登録されたり、定年まで勤めた裁判官がご自身で開業されたり、客員弁護士として法律事務所に迎えられたりする例も多くある。

  ところが、弁護士が大量増員されると、いざ弁護士になっても食べていけるかどうか分からない状況になっていく。もともと、弁護士として開業すれば、少なくとも毎月100万円以上は事務所経費がかかるため、一月に100万円を売り上げても生活費すら出てこない。裁判官として長年おつとめされた方に、仕事の人脈がどれだけあるか分からないし、弁護士としての営業活動をしろといっても、困難な面もある。

 ただでさえ老後の不安がある日本である。また、裁判官といえども人間であり、生活がある。一度裁判官になった人が、安定した裁判官の身分で、可能な限り長く勤めたいと考えることを、誰も責めることはできないだろう。

 裁判官として可能な限り長く勤めるためには、10年に一度の再任の際に裁判官不適格とされるわけにはいかない。最高裁判所判事を除く裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣が任命することになっているから(裁判所法40条)、最高裁の意向に反したり、内閣の意向に反したりすると、やばいのではないかという感情が裁判官に働いてもやむを得ないだろう。

 かくして、最高裁の先例に反したり、内閣(国)の意向に反する判決を書きづらくなる=裁判官の官僚化が進行する。本心では、最高裁の先例は時代遅れだと思っても、最高裁の先例に反する思い切った判決が書きにくいだろうし、内閣に睨まれたくないから事なかれ主義で内閣の意向に真っ向から反する判決も書きにくくなる。

 こういう可能性があるのだ。

 実際、最近では、弁護士の大量増員により、司法修習生の裁判官・検察官志望者が激増しているという話も聞いたことがある。高額の法科大学院の費用を負担してようやく手にした資格なのだから、誰だって、食えないかもしれない職業より、少なくとも安定した職業を希望するからだろう。

 裁判官が退職後弁護士になることができる韓国でも、ニーズもないのに弁護士を大量増員した結果、既に数年前から裁判官の官僚化が問題化しているのだそうだ。東亜日報2008.8.19には、ある若手判事の言としてとして、次のような言葉が掲載されている。

 「かつてならば、判事が外圧に立ち向かって所信をもって辞表を出したりしたが、最近は、裁判所で生き残るため、機嫌を伺う傾向が強まっている。弁護士業界の不況が裁判官の官僚化にまで影響を及ぼしている。」

 弁護士業のビジネス化をもたらすだけでなく、裁判官を官僚化させてしまう危険すら伴うニーズなき弁護士増員(法曹人口増員)は、長い目で見れば、結局国民の損につながるように私は思うのだが・・・・・。

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