先週土曜日に、日弁連で法曹人口問題検討会議が開催された。S弁護士も、近畿弁護士連合会の枠で推薦して頂いて、その末席に参加させて頂いていた。東京霞ヶ関、朝10時開催の会議に遅れないように7時過ぎの新幹線に乗らなくてはならず、慌てて家を出たので、S弁護士は、朝食としては小さなパンを一口かじったくらいだった。
新幹線の中でS弁護士は、事前に渡されていた延べ五〇〇ページ以上の資料の重要部分に目を通し、会議に備えていたため、のんびり朝食を取ることなどできる余裕もなかった(ただし、資料を読みながら若干意識を失っていた時間はあったようだ)。
S弁護士は確かに、お医者さんに指摘され、若干ダイエットをしなくてはならない身だが、午前6時過ぎに起床して殆ど食べていない状況では、いささか空腹も困った状況になりつつあった。
午前10時過ぎに、宇都宮日弁連会長の挨拶を、皮切りに会議が開始された。会議の内容は後日、議事録的なものが公開される可能性があるそうなので、あまり詳しく述べることはできないが、S弁護士も何度か発言させて頂いた。発言途中に、空腹に耐えかねたお腹の虫が鳴くこともあり、お腹の音をマイクが拾ってしまうのではないかという心配をもS弁護士は、しなければならなかった。
議論が相当出ている中、お昼の12:30すぎになった。議長が、これから30分の昼食休憩を取ると宣言して、日弁連執行部側の先生方は席を立って議場を出て行った。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。30分後に再開って、みんなお昼食べられるの?」
確かに、日弁連会館の地下には飲食店がいくつかある。定食を食べられるお店もあったはずだ。しかし、今日は土曜日である。店は、やっているのだろうか。またわずか30分の休憩で、食事に行って帰ってこれるのだろうか。会議の委員は140人もいるのである。
不安になったS弁護士は、隣のT先生に、「T先生、地下のお店、開いてるんですかね」と尋ねてみた。
T先生は、「いや~、日弁連の会議ですから、弁当が出るでしょう」と当然のように仰る。何を言ってるんだい?という感じである。ほぼそれと同時に、執行部側の先生だと思うが、お弁当は後ろに用意してありますとのアナウンスがあった。
なんだ、弁当が出るのか。要らん心配して損した。
そう思って、S弁護士は、会議室の後部へ弁当を取りに行った。果たして弁当は、紙のお弁当箱に入って積まれていた。
お弁当箱をもらって、S弁護士は自分の席(席順が決まっていたのである)へと戻る。空腹のせいか、お弁当箱から伝わってくる、ほのかな暖かみと、何となく感じる重みが心地よい。「出来立てだよ、いっぱい入っているよ」弁当が語りかけてくるようにすら感じられる。
自分の席について、改めて弁当箱を見ると、「とんかつの○○」とお店の名前が書かれている。
自慢じゃないがS弁護士は、とんかつが、結構、好物である。学生時代に京大生協で食べず、ちょっと贅沢するときの夕食の定番は、京都市左京区にある一乗寺商店街にあった「とん八」の定食480円だったし、未だに一乗寺商店街のオリジナルとんかつの店「とん吉」をこよなく愛しているので、むしろ、とんかつは相当、好物といって良いかもしれない。しかも、東京のとんかつは結構値段は張るが、美味しいものが多いと聞いたことがある。
「いや~日弁連は、分かっていらっしゃる。グレイト!」
S弁護士は、他人に聞かれたら恥ずかしいような快哉を心の中で叫びながら、机上の弁当箱を眺めやる。上蓋がシールで止められていて中は見えないが、それすらも、とんかつ弁当でありながら控えめな雰囲気を醸し出しているようで心憎い。
「多分とんかつソースもオリジナルなんだろうな。楽しみだぜ。なんてったって、とんかつの○○なんだからな。」一度も行ったこともないくせにS弁護士の頭の中では、昔から「とんかつの○○」のファンだったかのような期待がふくれあがっている。
「だが、まて。そう焦るな。ここで一気に開けてしまっては楽しみがない。ここはとんかつに敬意を表して、綺麗に手を洗ってから頂こうではないか。」
S弁護士は、手洗いに立った。S弁護士は、結構、楽しみを先に延ばしておきたいタチでもあるのだ。
手洗いの途中に、「もし誰かに取られたらどうしよう」などとあり得ない心配も心のほんの片隅で感じながら、S弁護士は綺麗に手を洗ってから会議室に戻ってきた。
いよいよ、とんかつとご対面だ。ふたを閉じているシールをはがそうとするが、上手くはがれない。「ちくしょう、憎いぜ。ここまで来てじらしやがって。」等と訳の分からぬことを頭の中でほざきつつ、鼻歌交じりでシールの隙間に爪を入れシールを破る。
現れたのは、次のようなお弁当だった。
右側に梅干しののったご飯、まだ暖かい。うんうん、うまそうだ。
左側上部にきんぴらと、漬け物・ひじき。本当はとんかつには千切りキャベツが定番だと思うが、まあ、これは弁当だ。メインディッシュの引き立て役としてはちょっと異質だが、まあギリギリ想定の範囲内だ。
そして左側下部のメインディッシュコーナーに収まっていたのは・・・・・・・・・・・・・・・。
焼き魚だった。
そんな馬鹿な!
もう一度良く、メインディッシュを見る。ド近眼のS弁護士は、見間違いを期待した。しかし、どう見ても、魚の照り焼きが、素知らぬ顔して座っている。右から左に見ても、上から下に見ても、魚の照り焼きがこの弁当のメインなのだ。とんかつの姿はどこにもない。
何かの間違いか。それともこの弁当だけ、とんかつの代わりに焼き魚になったのか?
S弁護士は慌てて、弁当に張られている原材料などのシールを眺めやる。そこには、豚肉の文字はなく、「銀だら」の文字がきざまれている。
あきらめきれないS弁護士は、隣のT先生の弁当箱を盗み見る。もしかして、S弁護士の弁当だけ、とんかつが足りなくなって焼き魚になったのかもしれない。そうならまだ手段はあるかもしれない。とんかつをお嫌いな先生もいらっしゃるかもしれないじゃないか。
しかし、T先生のお弁当も、やはりメインは、焼き魚だ。
馬鹿だった・・・・・・。
日弁連に期待した自分がおろかだった・・・・・・。
思いっきり身体から力が抜けてゆく。それと同時に、あれだけ期待して舞い上がっていた自分が情けなく、また、かわいそうにも思えてくる。
かの昔、平家物語によると、鬼界ヶ島に流された俊寛僧都は、全く同じ罪で流された3人のうち、赦免状に自分の名前だけが載っていないことを知り、赦免状を上から下へ、下から上へ改め直し、さらに懐紙も改めたという。そして、許された者の中に自分の名前が載っていないことを知ると、へたり込んでしまったという。
俊寛僧都の気持ちが、ほ~んの少しだけわかったような気がしたS弁護士だった。