日本経済新聞~安岡崇志論説委員の書いた中外時評 その2

 上記の中外時評は8月1日の日経新聞に掲載されていたものであるので、既に、相当時期遅れになってしまったが、批判を続ける。

 安岡委員は、改革審意見書は「10年ころには新司法試験合格者を3,000人に増加させる」としていた。と述べておられる。

 はっきり言って「嘘」である。嘘という表現がいけないのであれば、誤導である。

 改革審意見書にはこう書いてある。

 法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備の状況等を見定めながら、平成22(2010)年ころには新司法試験の合格者数の年間3,000 人達成を目指すべきである。(司法制度改革審議会意見書p53参照)

 つまり、法科大学院を含む法曹養成制度がきちんと整備され、実際に新しい法曹養成制度が十全に機能していることを前提に、新しい法曹の質が低下しない状況下で(これは上記意見書が、「質の低下を来さないよう留意しつつ」とする、臨時司法制度調査会の意見を引用していることから明らかである)、新司法試験の年間合格者を3000名にすることを「目指す」、いわば努力目標である。

 法科大学院を含む法曹養成制度がきちんと整備され、十全に機能しているかということについては、この中外時評の最初に、「制度自体が悪循環に陥りつつある」と自認した率直さに驚いた、と安岡委員自身が書いているのだから、安岡委員自身も、否定的なのだろう。

 つまり、安岡委員の改革審意見書の引用は、実現されなければならない前提事実が全く実現されていないという現実を故意に無視し、さらに努力目標を既定の事実のように記載する点で、2重に誤導を行う、念の入ったやりかたなのだ。

 それに、努力目標が年間3,000人合格者であったとしても、法曹としての必要な学識及びその応用能力を有しない者を合格させるわけにいかない(司法試験法1条1項参照)。これは、法律で決まっていることであるし、司法試験の役割からして当然なのだ。

 おそらく、司法試験委員会になぜ合格者を2000名程度にしたのか聞けば、必ずや、合格レベルに達していた受験生がそれだけしかいなかったからだと答えるにきまっている。そして、法曹の資格を与えるレベルに達していない者を不合格にすることは、新司法試験の目的であるはずだ(大学入試だって、新聞社の入社試験だってそうだろう)。

 ところが、安岡委員は、司法試験委員会に取材を行うこともせず、次のように続ける。

 この目標を今年達成するのは,まず無理だ。合格者数を昨年、一昨年の実績から1,000人増やさなければならないのだから。しかもこれまでの人数でさえ「多すぎて、必要な知識、資質を備えない人まで入っている」と日本弁護士連合会は主張し、増員のペースを落とすよう求める。各地の弁護士会の警戒感、反発は、もっと強い。

 理由もなく目標達成は無理だと断じ、まるで、日弁連・弁護士会の判断で、新司法試験合格者数を限定した(若しくは、日弁連・弁護士会が批判するせいで合格者が限定された)かのような書きぶりが続く。ここでも、安岡委員お得意の誤導モード炸裂である。

 いったい、いつから日弁連や各地の弁護士会が、新司法試験合格者を決定する権限を与えられたのだろう。日弁連に新司法試験合格者数を決定する権限があるのなら、安岡委員の主張はあながち間違ってはいないだろう。しかし、現在の日弁連・弁護士会にそのような権限があるはずがない。司法試験委員会が合格者を決めるのだ(司法試験法8条参照)。

※このあたりの事情については、小林正啓先生の「こんな日弁連に誰がした?」が詳しい。第2版がでるらしいので、売り切れで入手できなかった方には朗報だろう。

 どうやら、安岡委員は日弁連・弁護士会が新司法試験合格者を決めていると六法も見ずに決めつけ完全に誤解しているか(六法を見れば中学生でも分かるので、論説委員ともあろうお方がそこまであからさまな誤解をするとは思えないが)、新司法試験合格者数が増えないことをなんとか日弁連・弁護士会のせいにしたくてしょうがないらしい。

 上手い例えが見つからなくて恐縮だが、例えば、東大・京大が、合格者をこれまでより年間3000人ずつ増やすよう努力すると言っていたとする。ところが入試を実施した際に、合格者判定会議で東大・京大で勉強についていけるレベルに達した人が少なかったということで結局2000人ずつしか合格者を増加させなかった場合、誰が非難できよう。

 また、その時点で、「これまでの合格者増員で学生の質が下がり、勉学について行けない学生が多すぎる」と、東大・京大の在学生が大学側を批判していたと仮定した場合、学生たちには合格者を決定するなんの権限もないにもかかわらず、合格者が3000人ずつ増えないのは学生が入試や合格者(質も含めて)の数を批判するせいだと、日経新聞(あるいは安岡委員)は批判するのだろうか。

この中外時評では、安岡委員は堂々と上記の例でいうところの、学生に対する批判と同様の批判を日弁連・弁護士会に対して行っている。

 確かに一読すれば、説得力がありそうな安岡委員の中外時評だが、そこには誤導の罠が幾重にも仕掛けられている。

 論説委員たる者、誰からも批判されないのだろうか?

 もっと現場の記者さんの御意見を聞いてみたら?とご注進申しあげたくなる。

(元気があれば、もう少し続けます。)

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