2010年8月10日の日経新聞「中外時評」に、安岡論説委員が書いている。
題して「悪循環に陥った法曹養成~抜け出すために意識改革を」。
現場の記者の方はともかく、論説委員の方はなかなか自説を譲らず、自説と異なる現実があればその現実のとらえ方を歪めて自説を維持しようとする傾向があるように常々思っていたが、今回の安岡論説委員もやはり同じだった。
法科大学院制度と新司法試験が僅か5~6年で悪循環とはどういうことか、関係者が危機感を抱いているのが法曹志望者の激減(僅か6年くらいで三分の一以下に激減)という安岡委員の指摘自体は、まあ、もっともな指摘だ。
法曹志望者が少なければ、当然法曹の質は落ちていく。当たり前だ。志望者が少なければ当然そこに含まれる優秀な人材も減少していくし、何より競争が働かないからだ。オリンピックの選手と町内大会の選手を比べると、全体的にいずれが優秀かはいうまでもないだろう。
しかし、法曹志望者減少の理由の分析で、論説委員お得意の、自説固持のための現実無視、ねじ曲げが炸裂する。
安岡委員の分析によれば、新司法試験の合格率が低いのが法曹志願者減少の要因だそうだ。
安岡委員は「高い授業料を払って2年か3年勉強に専念した末に法曹資格を得られる可能性がこの低さでは志願者がガタ減りするのも仕方がない。職を捨てて法科大学院に入る社会人の目にはリスクは、とりわけ高く映る。」と書いている。
この理屈は、法科大学院も使っている理屈だし、エラ~イ論説委員が書いているのだから、一見もっともらしく思えるかもしれない。
この理屈が正しいとすれば、合格率が低ければ低いだけ、志願者は減少していくことになる。果たしてそうか。最も簡単な例だが、旧司法試験の合格率が僅か数%であったにもかかわらず、志願者が年々増加していた(丙案導入時の受け控えを除く)。今の新司法試験と比べて、合格率で10倍も合格が困難な試験であったときには志願者が増加していた、この現実を、安岡委員はどう説明するのだろうか。どんな屁理屈を振り回しても、「合格率向上=志願者数増加につながる」という安岡委員の持論では説明ができまい。
旧司法試験が合格率が極めて低いにもかかわらず、志願者が年々増加していった理由は、法曹資格が人生の一発逆転を可能にするプラチナチケットと目されていたからだ。つまり、それだけの魅力が法曹という職業にあったのである。だからこそ、人生を賭けて僅かな合格率に挑戦する若者が多くいたのだ。当然そこでは熾烈な競争が行われていたので、100%とはいわないが、他の資格試験と比べれば比較的優秀な人材を確保できていたのだ。
最近では、需要を無視した法曹激増策(その実態は弁護士激増)により、弁護士資格を取得しても就職先が見つからないなど、法曹資格が職業としての魅力を失ってしまっている。
安岡委員が考える以上に、世間の人は現実を見ているものである。高い法科大学院の費用をかけ(しかも通学するには会社を辞めなければならない場合が殆どである)、しかも法曹資格を取得しても就職先すら覚束ないのでは、人生を賭けて競争に挑み、法曹資格取得を目指す意味がないではないか。そんな魅力のない職業を目指すよりは、一流企業や公務員を目指した方が、多くの人の人生においてプラスになることは子供でも理解できよう。
また、旧司法試験では、法科大学院を卒業しなくても司法試験を受験できた。さらにいえば、今の新司法試験のように3回不合格でアウトという、理不尽な制約もなかった。わざわざ会社を辞めて法科大学院に高い学費を支払わなくても、会社に通いながら受験勉強をして合格された方も何人もいる。つまり法科大学院+新司法試験という新しい法曹養成制度自体も、優秀な人材を引き付けるには妥当でないものなのだ。
需要を無視した法曹資格乱発により、法曹の職業としての魅力が急速に低下したこと、高額な費用を法科大学院に支払わなければ受験すらできない法科大学院+新司法試験制度が、法曹志願者減少の最大の原因であると私には思われる。
安岡委員も、おそらく本音は分かっておられるはずだ。ただ、日経新聞論説委員という看板を背負っている以上、広告をしてくれる法科大学院への配慮や、これまで法科大学院制度は素晴らしいとさんざん報道してきた手前、経営上の問題などもあって、本音を言えない部分もあるのだろう。
しかし、安岡委員の中外時評にはさらに突っ込み処があるが、○○警察に接見に行かなければならないので、今日はこの辺で。
(元気があれば続けます。)