(かつて)白熱!枝野vs佐藤論争!

 かつて、司法制度改革審議会は、司法試験を受験する学生が、大学の講義よりも予備校に通う「ダブルスクール化」、「大学離れ」によって、法曹となるべき者の資質に重大な影響を及ぼすに至っている、と主張し、法科大学院制度導入が必要であることの理由にした。

 現在でも、法科大学院擁護の論をくずさない、いわゆる大新聞の論説委員も、未だに旧司法試験時代の予備校は弊害があったと、なんの根拠もなく(馬鹿の一つ覚えのように)繰り返し主張する。

 しかし、法科大学院が導入された後も司法試験予備校は健在であり、ダブルスクール化は、一向に解消されていないという話も聞かれる。

 果たして、大新聞の論説委員が盲信している(と思われる)、司法制度改革審議会意見書は、きちんと審議したうえで結論を出していたのだろうか。

 結論的には否と答える他はないだろう。

 「第151回国会法務委員会第20号 平成13年6月20日」 の議事録は、上記の点を探るうえで格好の資料だ。下記のリンクをご参照されたい。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000415120010620020.htm

 その中で、枝野幸男議員と司法制度改革審議会の佐藤幸治会長の質疑を引用する(注:下線・色づけは坂野が行っています)。

○枝野委員 

私は、法曹養成制度の問題についてお尋ねをしたいと思います。
 法曹人口を大幅に増員するべきであり、そして、そのためにプロセスとしてのロースクールという発想までは大賛成でありますが、今回の答申の法科大学院、こういう構想には、内容的にも手続的にも納得がいかないというふうに思っています。
 答申の六十一ページに、「「ダブルスクール化」、「大学離れ」と言われる状況を招いており、法曹となるべき者の資質の確保に重大な影響を及ぼすに至っている。」と答申はしています。どんな重大な影響が出ているのですか。佐藤先生に。

○佐藤参考人 

 申し上げるまでもありませんけれども、今の大学の法学部の実情というのは、もともと教養教育、専門教育、いずれともやや中途半端な状況にあります。専門でもない、教養を十分身につけていただく状況でもない、もともとそういう状況にありました。大学として、大学紛争などがありまして、本格的にそれに取り組むのが相当おくれたのでありますけれども、ようやくここに来て大学をいかに再生すべきかという課題に取り組んでいるところであります。
 それで、法曹となるためには、私はよく言うのですけれども、人生には踊り場が必要である、その踊り場で自分がどういう道を歩むべきかということを真剣にじっくりと考える期間があって、そして、その上で職業を選択してもらう、そしてプロとしての教育を受けてもらう、そういう形に持っていかないと、中にはどういうシステムをとりましてもうまくいく人もいるでしょうけれども、全体のシステムとして考えたときに、そういう大学がプロフェッションの教育を担わなければいけないということ、これは世界的にもそういうことでありますし、我が国が、そこは著しく立ちおくれてきたということでありまして、そこを何とかしなければいけないということであります。
 今、重大な問題は何かということでありますけれども、やはりこれは試験一発主義、試験信仰、試験万能、一発の試験ですべてが決まるという、そのシステムの持っている限界ということを私ども考える必要があるのじゃないかということを申し上げているわけです。

○枝野委員 

 佐藤先生ともあろう方が、質問に正直に、真っすぐに答えていただかないと困るのです。
 法曹となるべき者の資質の確保に重大な影響を与えているとここでは書いてあるのです。大学教育に影響を与えているとか、そういうことを言っているのじゃないのです。つまり、ダブルスクール化、大学離れ以降の法曹の資質には問題があると書いてあるのです。どこに問題があるのですか。

○佐藤参考人 

 それは、さまざまな見方があるかもしれませんけれども、法曹をプロとして考えるときに、あるべき法曹ということをこの最終意見書にも書いておりますけれども、豊かな教養とそれから豊かな専門的な知識、プロとしての知識であります、それをじっくりと育てる必要がある。それが今まで満たされていなかった、十分そういうシステムがなかったということから、大学へ入ってすぐ、例えば大学以外のところに行って、試験に通るようにできるだけ効率的な勉強を目指す。それをまず目指す、大学に入ってすぐ。そういうことは、人間の養成としていかがなものであろうかということを申し上げているわけでありまして、一人一人の法曹がどうだとか、今の法曹がどうだとかということを申し上げているわけではありません。あるべき姿として、そういうことであるべきだと申し上げています。

○枝野委員 

 だとしたら、この文章を変えなければおかしいのです。重大な影響を与えているのじゃなくて、こういうことがあるべきだけれども、あるべき論と今が違っているというのだったらわかりますが、これだったら現在の、最近のダブルスクール化、大学離れ以降の法曹は資質がないと言っているという中身になるのですよ、どう考えたって、この文章を読んだら。どう考えたって違うのじゃないですか。
 では、違う論点から行きます。
 今先生もおっしゃいました、試験に受かることに最短で行くための試験勉強になっている。先生御自身も司法試験委員をされていたと思いますけれども、司法試験というのは、そういった受験技術を身につければ受かる、そんな試験をされてきたのですか。

○佐藤参考人 

 お答えします。
 私も、九年間司法試験委員をやりました。最初のころは、できるだけ暗記に頼らないようにということで、私がなったとき問題を工夫したことがあります、そのときの皆さんで相談して。そうしたら、国語の問題のようだといって御批判を受けたことがありました。しかし、それに対してまたすぐ、数年たちますと、それに対応する対応策が講じられて、トレーニングをするようになりました。その効果はだんだん薄れてまいりました。
 申し上げたいのは、試験を一発の試験だけで決めようとすると、試験の内容をどのように変えても限界があるということを申し上げたいわけです。

○枝野委員 

 別の視点から聞きます。
 今回、受験技術優先、それから受験予備校に大幅に依存するダブルスクール化ということを問題だという視点から取り上げていらっしゃいますが、例えば、受験予備校の実態、そこでなされている教育、そこで教育をしている教育者の立場、そこで教育を受けている人たち、そういうところの教育の結果として司法試験に受かったそういう若手法曹の意見、こういうものはどれぐらい聞かれましたか、あるいは調べましたか。

○佐藤参考人 

 直接ヒアリングに来ていただいて伺ったということはしておりませんが、いわゆる予備校などから審議会あてに、こういうことだ、こういうことを考えていただきたい、そういう文書はちょうだいしておりますし、私もそれは目にしております。実際にどういう実情にあるかというのは、私はつまびらかにはしませんけれども、私の関係した学生やいろいろなものを通じて、どういう教育の仕方になっておってどうかということは、ある程度は私個人としては承知しているつもりであります。

○枝野委員 

 つまり、十分に御存じになっていなくてこういう結論を出しているわけですよ。
 この法曹養成の問題というのは、もう端的に言えば、受験予備校と大学とどっちがいい教育をしているのか、どっちが時代に求められる、社会に求められる教育をしているのかというところが、一つの大きな争点なんです。ところが、この法曹養成にかかわってきた委員の皆さんは、全部大学関係者なんです。ところが、この大学教育では、法曹としての資質を、あるいは法学としての基礎素養を覚えられない、身につけられないから、司法試験予備校が少しお金が高くたってみんな行っているわけですよ。
 そのことに対しては、当事者である皆さんの意見だけで物事を判断している。手続的にまさにおかしくありませんか。公正ではないのじゃないですか。これは自分たちの大学というものの存在を守るための結論になっている、そう言わざるを得ないと思いますが、いかがですか。

○佐藤参考人 

 先ほどから、プロとしての教育ということを申し上げてきました。そして、もう一つお考えいただきたいのは、国際資格、そこの勉強をすることによって、どういう国際的に通用する資格を取得するかという問題にもかかわっております。それは、国のあり方として、その問題は真剣に取り組むべき課題であろう。
 そして、先ほど来申しておりますように、法曹プロの教育に大学が責任を担わない国というものは、私の理解するところ、ないと思います。今の大学がどうかという判断、評価は別であります。別でありますけれども、この最終意見書は、国民生活上の医師であるというように位置づけておりまして、医師ならば、医師という理解が正しいならば、それに見合うような教育のシステムを我々として考える必要がある。そういう観点から考えておるわけであります。

○枝野委員 

 それは、大学教育を抜本的に変えなければならないということが一方であるのは当然です。しかし、だとしたら、このロースクール構想とかが出てくる以前の問題として、各自の大学が今まで何を努力してきたのですか。予備校に全部学生をとられて、そして今まで何年間、何をやってきたのですかということを一つ申し上げたい。
 それからもう一つ、医師という話をしました。では、医師養成プロセスの話をどれぐらい調べられましたか。医学部が医師を養成していますが、医師国家試験のために、結局ダブルスクール化、予備校化しているのを御存じではありませんか。

○佐藤参考人 

 後者の方から申し上げますけれども、私も、自分のことを言ってなんですけれども、京大で、井村総長のもとで特別補佐をやったことがあります。井村先生は御承知のようにお医者さんでありますが、医者の実情についていろいろ、よく議論をいたしました。今のやり方で十分とは思わないというのは、井村先生もよくおっしゃっておりました。
 ちょっとそれはあれしまして、今ここで申し上げたいのは、医者の試験が難しいといいましても、一発のその試験だけで医者として資格を認めるということはないはずです。医学部の教育、今の医学部の教育がいいかどうか、これはさっきも紹介した井村先生の話なんですけれども、少なくとも今のを前提にしましても、医学部で教授について、いろいろなプロセスを経て教育を受けて、そして試験がある。プロセスは何もなくてもいい、試験だけ通ればいいというシステムには、私は今の医学部の試験はなっていないと思います。
 それで、プロの教育というのは、やはり過程が大事なんだというように考えるわけであります。

○枝野委員 

 私は、最初に申し上げましたとおり、ロースクールということで、プロセスで教育をするということを否定していないのです。今の大学をベースにすることが間違っていると申し上げているのです。
 それで、今の医学部教育も、プロセスとして大学医学部でやる、それはいいことなんですよ、いいことなんですけれども、結局は予備校化していますね。ダブルスクール化していますよ、かなりの部分。医師国家試験のための予備校というのがたくさんできていますよ。どこに問題があるのかといったら、教え方に問題があるのですよ。教える側の問題なんです。ちゃんとプロセスで、医学部で教育をして、そこでちゃんと教わっていれば受かるように教えていればいいけれども、それを教えていないから、だからプロセスとしての医師養成教育にしても予備校がたくさんできるのです。
 というのは、予備校は競争しているから、きちんと、どうやったら一番効率的に教えられるかという努力をしているのです。大学には競争がないから、それがだめなんですよ。だから、既存の大学をベースにロースクールをつくってもだめだ、学校教育法なんかで守られるロースクールをつくってもだめだ、自由競争で競争させる、そういう法曹養成プロセスをつくらないと、結局同じことになりますよ。いかがですか。

○佐藤参考人 

 今までの法学部の、さっきから申し上げたように教え方がよかったかどうかということは、これは私自身も、おまえはどれだけやっていたかと言われれば、内心じくじたるものがあります。
 ただ、申し上げたいのは、今のような一発試験のもとで法学部で頑張ってくださいと言われても、これは限度があります。これは、全体のシステムの中で法曹をどう育てるかという観点からの法学教育であり、大学院のあり方だということをぜひ御理解いただきたい。
 そして、予備校でやっている、どうだと。私の理解する限りは、さっき申し上げたように、効率的にいかにとなりますと、それは、正解があって、正解を求める、そういう発想になりがちです。これからのローヤーにとって大事なのは、考え方を鍛えることです。
 私は憲法ですけれども、例えばアメリカの憲法のケースブックをごらんになればわかりますけれども、正解なんて一切出てきません。あらゆる角度から問題をぶつけて考え方を鍛えるのです。そういう考え方を鍛えるためには、豊かな教養で、そして何年もかけて教えなければできることではないと思います。
 予備校のように教えろというなら教えられないわけではありませんけれども、そういうことが大学の役割ではないというのが私の考え方です。

○枝野委員 

 その考え方を身につけさせるという教育を大学がされているということは、私もそう思います。そう思いますけれども、私は最初の方で、実際に予備校で何をどう教えているとかときちんとお調べになりましたかということをお尋ねしました。間接的にしかお調べになっていないですね。受験技術も教えています。つまり、試験の最終盤とか、受験予備校に例えば三年通っている三年目とかというのは、確かに、技術、答案の書き方、そういったことも教えています。
 しかし、法学入門的な話、あるいは学部の講義のレベルの話、そういう基本的な法律の物の考え方とか、民法とは何なのかとか、憲法とは何なのかという基本的な話を実は大学で教えてくれていない。あるいは、教えてくれている先生が少ない。つまり、そういう研究者、高度な専門家の皆さんにとっては当たり前のことを大学では教えていないのですよ。高校を卒業して、いきなり入ってきて、高校でも、もしかすると、今公民というのですか何というのですか、つまり歴史すら勉強していないかもしれない大学新入生に対して、いきなり憲法の最先端に近いようなレベルの高い授業をやっている。どの科目だってそうですよ。そういう大学教育があるから、だから、みんな予備校へ行くのです。
 そういうことをきちんと予備校では教えていますよ。つまり、憲法とは何なのか、民法とは何なのかという基本的な、本来、大学の二、三年生、一、二年生ぐらいのところできちんと教えなければならない、そこのところの教育が欠けているということの自覚なしに、大学をベースに幾らこういうものをつくっていったって、基礎のところが違うのだ。だから、実際に予備校で学んでいる人や予備校出身で司法試験に受かった人、そういう人たちの話を聞かないで結論を出したって、明らかに片手落ちだ。
 こういう手続的にきちんとしたプロセスを踏んでいないような答申には私は賛成できないということを申し上げて、終わります。ありがとうございます。

 この議論から、司法制度改革審議会は、予備校がどれだけ努力しているのか具体的に調べもせずに「予備校=悪」と決めつけ、予備校に奪われた学生を取り戻すべく、その切り札として法科大学院構想を推し進めたことが分かるだろう。

 佐藤教授が言うように、プロになるのに、人生の踊り場が必要なのであれば、京都大学の学生時代に勉強をあまりせずに4年間体育会グライダー部で過ごし、就職内定後に考え直して司法試験を目指した私は、それだけで理想的な法曹だと言ってもらえるのだろうか。

 大学紛争で大学の対応が遅れたそうだが、大学紛争が終わってどれだけ立つのだろうか。確かに私が京大に通っていた頃は、教養部の前でヘルメットを被りマスクをした中核派とおぼしき人が立っていたが、特に紛争はなかったはずだ。私は佐藤教授の授業を数回受けたことはあるが、大学紛争で授業ができなかったことなどなかったぞ。

 また、アメリカのケースブックには正解がないと言うが、アメリカの司法試験にも予備校(bar briなど)が対策講座を開講し、多くの学生が予備校通いをする実態をどう考えているのだろうか。

 そもそもプロセスによる教育がどういうもので、どこがどれだけ良いのか分からないし、それだけ素晴らしい教育をしているはずなのに、一般社会から法科大学院修了生(法務博士)に対する求人が殺到していないのは何故なんだ。

 また、それだけ法科大学院教育に自信があるなら、どうして予備試験合格者を可能な限り減らすように要望するんだ。法科大学院教育が本当に素晴らしいのであれば、予備試験すらなくしても堂々と受けて立って、新司法試験で戦えば勝てるはずじゃないのか。

 他にも多々突っ込み処はあるが、言い出せばきりがない。しかし、そのような方が中心になって作られ、現在その歪みがあちらこちらにでている状況で、なお司法制度改革の青写真を未だに維持しろと主張される佐藤教授のお考えは理解できない。

 学者だって間違うことはあるんだから、間違いは間違いとして、素直にお認めになられる方がよいのでは?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です