電信柱

 私が小さい頃、私の育った町では、電信柱はまだ木製が多かった。

 黄緑色に塗られた木製の電信柱、腐食防止のためかコールタールで真っ黒に塗られた木製の電信柱などが、小学校への通学路の脇に、いつも静かに佇んでいたように思う。電信柱に登るための小さな取って?もちゃんと付いていて、小学生でも少しばかりは登れた記憶がある。当時はむしろコンクリート製の電信柱が目新しく、登るための小さな取ってのようなものが収納式であったりして、それを引っ張ったり、戻したりして遊んだこともあった。缶蹴りのときは、その影に隠れて鬼に近寄ろうとして、手に汚れがついたりしたものだ。

 そのうち、木製の電信柱は見なくなったし、いつの頃からか、電信柱が何でできているのかについても全く注意を払わなくなった。

 しかし、 ときおり、ずっと等間隔に、どこまでも並んでいる電信柱を見たときや、誰もいないような広い平原に電信柱だけが立っている風景などを目にすると、何故だか気持ちが少しゆらめくことがある。

 むろん、電信柱がない方が風景としては良いのに、と思うことも多くあるが、気持ちが少し揺らめくときに限って言えば、電信柱が、たとえ誰にも注目されていなくても、黙って、自分の仕事をただ一心に、頑張っているように見えるのだ。

 そう思うのは、ひょっとしたら小さな頃に読んだ童話が原因かもしれない。

 そのうち、その童話についてもお話しさせて頂くときが来るかもしれないね。 

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