今年度アカデミー賞、長編ドキュメンタリー賞に思う

 今年度アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞に、イルカ漁映画「The Cove」が選出されたそうだ。

 ドキュメンタリーとは、私の記憶が正しければ、そもそも「事実を伝える」という意味であり、ドキュメンタリー映画とは事実を記録した映画でなくてはらならないはずだ。そして、記録映画である以上、事実を意図的にねじ曲げただけで、すでにその内容は(事実を伝えるものではないから)フィクションとなり、ドキュメンタリー映画としての性格を失うことになるはずだ。

 当然、そうなればドキュメンタリー映画部門の受賞資格もないはずだ。ドキュメンタリーじゃないからだ。

 そもそも日本で公開されているかどうか知らないし、私は、この映画を見ていないが、その映画を見た欧米人が感情的に反発していると報道されていることから、太地の捕鯨従業者がクジラの慰霊碑を建立して毎年供養していることや、17~19世紀の欧米が行ってきた鯨油目的の乱獲捕鯨(日本の沿岸捕鯨など比較にならないほどの大乱獲)など触れずに作成されているのだろう。~あくまで推測なので間違っていたらスミマセン。

 この映画に対する、私の意見は既に、2009年8月26日付ブログで公開している。

 http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2009/08/26.html

 牛を殺して食べるのはなんの良心も咎めないが、クジラを殺して食べることは野蛮である、要するに、捕鯨禁止主張国はそう言いたいわけだ。じゃあ、クジラを殺して鯨油だけ搾り取って後は捨てていた連中は野蛮じゃないのか。欧米の捕鯨禁止主張国の中にそのような過去を持つ国は多くあるはずだ。原潜のピンガー(探信音)で聴覚を破壊されたり、死亡するクジラもきっと多いはずだが、そのことについてのドキュメンタリーはやらないのか。

 少なくとも、太地町の捕鯨は人間の生活のための捕鯨である。そして、人間の生活のために命を頂いた以上、出来る限り無駄にしないように全てを利用しようとする。それが、人間の生活のために命を頂いたせめてもの礼儀だからだ。鯨油だけ搾り取って、後は利用せずに捨てていた、過去の欧米の捕鯨とは全く異なるのだ。

 更に言えば、牛と鯨とでどうして生命の重みが違うのか。野生と家畜の違いというなら、養殖した鯨なら殺しても良いというのか。50億羽もいたといわれる野生のアメリカリョコウバトを絶滅させたのは誰なんだ。

 クジラは賢いというのなら、サルや犬を食べる文化を先に非難すべきだし、賢い動物を人間の生活のために食用にしてはいけない合理的な理由を教えてもらいたい。

 クジラがかわいそうというのであれば、フォアグラを作るために強制的に大量のエサを与えられ無理矢理脂肪肝にされるガチョウや鴨はかわいそうではないのか。

 クジラは可愛いというのであれば、それは主観の問題に過ぎない。私から見ればニワトリだって、牛だって、カンガルーだって可愛いぞ。

 おそらく昔流行った(私も見ていたが)、わんぱくフリッパーとか言うイルカのTV番組にも影響されているのかも知れないが、他国の文化を尊重せずに自国の文化が正しい(だからそれに従え)という考えは、相手の文化を自らの文化より劣ったものであるという無意識のおごりがその中心にある。

 早くその、おごり高ぶった無意識に気付いてもらいたい。

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