こんな日弁連に誰がした? 小林正啓著

 まず「あとがき」を読むと、今の日弁連の状況が端的に整理されているように思う。

 ・・・(前略)自分は何も知らなかったことを知った。同時に多くの若手弁護士が、何も知らないことを知った。
 主流派の中核となる弁護士たちは、司法改革を連呼するばかりで、それがなぜ現在のちぐはぐな状況を生んでいるのか、全く説明してくれなかった。疑問を差し挟むと、お前は司法改革を否定するのかといわれた。全部否定するのでなければ全部肯定せよとはまるで宗教だ。
 他方、反主流派の弁護士達は、政府は弁護士を大増員して困窮させ、戦争を始める準備をしているのだと大まじめに主張していて、とてもついて行けなかった。
 両派に挟まれた若手弁護士たちは、歴史を知らないまま、10年前に終わった議論を蒸し返していた。・・・・・・

 この本を読むと分かるが、若手が何も知らないのは当たり前である。日弁連執行部は無謀な戦いを挑み、破れ、そして自らの失敗を隠蔽してきたのだ。その事実を知るだけでもこの本の価値がある。

 私から見れば、これまでの日弁連執行部はその失敗を認めたり反省することもなく、失敗により間違えた方向へ進みつつあるにもかかわらず、小手先の対応で誤魔化す(先送りする)ことに終始し、抜本的な対策を取れずにいる。失敗を認めないのだから反省もできない。したがって抜本的な対応がとれないことは、当然である。
 それがどんな失敗であったのかについては、この本を読んでいただくことになるが、その点についての、著者の批判は痛烈だ。

「(前略)自分のやったことさえ後輩に語り継げない日弁連に、歴史問題で偉そうな口を叩く資格もなければ、若手弁護士に対して、訳知り顔で説教する資格もない。筆者が最も腹立たしく思うのは、過去の執行部の失敗ではなく、失敗を語り継ぐという、先輩としての責任の放棄である。(後略)」

全くもって同感である。

 私は著者の小林正啓先生を個人的に存じ上げている。優しい先生であるが、非常に頭の切れる方であり、鋭すぎる面もお持ちである。そのせいか、資料から歴史的事実を推認するにあたり、当事者が小林先生と同程度の思慮をもって事態に当たったという前提で分析・推論をされているきらいが若干ながらあるように思う。
 確かに、策略や陰謀渦巻くやりとりはあったかもしれない。しかし、タクシー・公認会計士の過剰状態についていち早く対応がとられているにも関わらず、それよりも遥かに激変している弁護士超過剰状況において、なんら効果的な対応が取れず、その場限りの対応(例えば若手会員の会費を減額するなど)に終始する今の日弁連執行部や、大阪弁護士会の部会などを見ていると、実は渦中にいた人々も深く先まで考えて、行動をしていたわけではなかったんだろうという思いを禁じ得ない。

 端的にいえば、かつて野中広務氏が引退後にNHKテレビ番組で「高邁な政治思想なんてありはしない。その場その場の難局をどう切り抜けるか、それだけだった」と語った、その通りの状況だったのではないか。

 その証拠に、法曹人口5万人のための司法試験年間合格者3000人といいながら、5万人を達成した後、司法試験合格者をどうするかについては、方針すら立っていない。司法試験合格者を今すぐ1000人にしてもほぼ5万人の法曹人口になる。合格者を3000人にすれば、法曹人口は13万人を超えるのだ。法科大学院も当初はあれだけ威勢がよかったのに、いまや志願者激減とその教育能力に疑問が投げかけられているなど問題山積みだ。

 折しも、日弁連会長選挙は、派遣村やサラ金被害で活躍されている宇都宮候補と、日弁連執行部の主流派が推す山本候補の争いが決着が付かず、再投票になった。

 どうして日弁連会長選挙が史上初の再選挙となっているのかについて、少なくとも、この本は、そのヒントを与えてくれる、貴重な一冊だ。

 弁護士のみならず、司法改革に関心のある方、そしてなにより、日弁連会長候補として、史上初の再選挙を戦われる予定の宇都宮候補と山本候補に本書を是非読んでもらいたい。

平凡社新書 760円(税別)

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