日弁連会長選挙~その4

☆ 隣接士業の問題

 弁護士の隣接士業とは、司法書士、税理士、弁理士、行政書士、社会保険労務士、土地家屋調査士など、いわゆる隣接法律専門職を意味するといわれます。もともと、海外先進国では隣接士業が発達していないことも多いので、そこでの弁護士は、日本では隣接士業が担当している職務を生業としている者も多いと聞きます。
 ですから、海外先進国と異なり隣接士業が発達した日本では、国民への法的サービスを提供する専門家が不足しているかどうかを判断する際には、弁護士の数の比較だけをしても意味がないのです。元法務副大臣の河井克行衆議院議員によると、隣接士業や企業法務部(アメリカでは弁護士が担当している)を加えると、日本は既に、アメリカに次いで法律家の多い国になっているそうです。

 ところで、弁護士には、弁護士自治と、法律に特別の定めがある場合を除き法律事務の独占が認められています。

 弁護士自治が仮に認められておらず、国や法務省に弁護士が監督されていた場合、もし薬害肝炎訴訟のように国の判断に間違いがあったりした場合、国を相手に訴訟をする弁護士はおそらくいなかったかもしれません。監督者である国に刃向かって、資格を剥奪されては、訴訟も継続できませんし、その後の生活もできなくなるからです。

 国が神様のように絶対に間違いを犯さないのであれば、それでも良いのでしょうが、薬害肝炎の他、消された年金事件のように国にも間違いや不正は生じ得ます。そのような場合、誰が国を訴えて損害を回復してくれるのでしょうか。この点、加害者に刑事責任を問えば良いという方もいるかもしれません。確かに刑事責任を検察が追及してくれれば刑事責任は問えるでしょう。しかし、被害者は、加害者が懲役になってもなんら被害の回復にはなりません。民事責任をどうしても追及する必要があるのです。

 分かりやすく言えば、交通事故でケガをさせられた場合、加害者が罰金刑になったからといって被害者の方は、その罰金がもらえるわけではありません。被害者としては、きちんと治療費や慰謝料などを加害者に支払ってもらわないと(民事責任を果たしてもらわないと)被害が回復できないのと同じです。

 誤解を恐れずに簡単に説明すれば、国という最大の存在に人権・権利を脅かされたときに、最後の砦として、憲法・法律を武器に被害者と一緒に、国と戦うことを可能にするために、弁護士自治があるのです。

 次に、法律事務は国民の権利義務に直接関わるものです。司法試験に合格したからといって必ずしも優秀な人材とは断言できませんが、少なくとも司法試験に合格するだけの勉強をしてきた法律家に任せた方が、国民の利益になると考えられているからです。看護婦の資格試験にしか合格していない人(又は獣医さんでも良いかもしれません)に、医師のような人間の診断や手術を任せるべきではないという考えに近いと思います。
 

しかし、隣接士業からすれば、自分たちの活動領域が広い方が暮らしやすいのは当然です。したがって、隣接士業から、弁護士の職域を解放しろとの要求が強まりつつあるのが現状なのです。

 私からすれば、新司法試験は合格率にして旧司法試験の10倍合格しやすくなっているのだから、堂々と新司法試験を受けて合格すればいいのにと思うのですが、各士業は政治献金やロビー活動などを積極的に行って、法律を改正させようと頑張っており、ある程度成功を収めつつあることを良く耳にします。しかし、果たして法律を改正して、隣接士業に法律事務を解放するのが本当に国民の皆様のためになるのでしょうか。私は疑問だと思います。

 前置きが大分長くなりましたが、隣接士業との関係について、両候補はどう考えているのでしょうか。

山本候補は、
隣接士業に現在認められている訴訟(一部)代理権や、訴訟手続への関与は、司法制度改革審議会意見が指摘するとおり、あくまでも「当面の法的需要を充足させるため」の過渡的措置に過ぎず、「法の支配」を確立する役割は法曹としての弁護士が本来負うべきであって、弁護士人口が休息に拡充し、弁護士に対するアクセス障害が解消していく現状に鑑みれば、隣接士業の理念なき権限拡大(家事事件の代理権、行政不服手続の代理権等)は、国民の利益を疎外するものとして阻止しなければなりません。国民の利益・便益の観点から、隣接士業との協働ないし連携をその限りにおいて計ることは必要ですが、業際の厳格化と非弁取り締まりの強化は重要だと考えます。
と主張されます(若干文章を修正しています)。

宇都宮候補は、
公認会計士・税理士など隣接士業との協働を通じて依頼者に対するサービスの質を相乗的に高めるとともに(中略)各業務領域について適切な棲み分けを確立していくことを計ります。市民にとって弁護士こそ「頼もしい権利の護り手」「信頼しうる正義の担い手」であるという立場から、多重債務事件での司法書士との適切な棲み分けの問題について、司法書士会との協議に積極的に取り組みます。司法書士の「制約なき法律相談権」、行政書士の「行政不服審査の申立代理権」、社会保険労務士の「簡裁訴訟代理権」及び「労働審判代理権」等の職域拡大要求は認められるべきではありません。
と主張されます(若干文章を修正しています)。

 一見して、隣接士業との関係について、山本候補は対決、宇都宮候補は棲み分け、という対応を取ることが分かります。

 この問題に関する山本候補の主張は、本来法律事務は、裁判官や検察官と同じ司法試験に合格した、弁護士が行うべきものである。それが国民にとっての利益のはずだ。弁護士の数が増加しつつある現状では隣接士業に頼らずとも本来法律事務を担う弁護士が対応することができつつあるし、対応するべきだ、とする非常に明確で力強いものです。

 対して、宇都宮候補は、少なくともこの問題に関する限り、明確とは言い難い主張に読めます。

 例えば、司法書士に対して認められるべきでないのは「制約なき法律相談権」だけなのか、家事代理権を認めても良いという主張なのかはっきりしません。過払い金訴訟で地方裁判所において本人に訴訟させ傍聴席から指示を送るという脱法行為に近い活動を行う司法書士や、派手な広告などで多重債務者をかき集め、契約金をたっぷり払わせておきながら、債務整理の途中でうまく行かなくなると弁護士会へ行け、契約金は返せないと放り出したりする司法書士も報告され、問題化しつつある中、果たして、多重債務事件について適切な棲み分けが可能なのか、司法書士会と協議するだけでよいのか疑問があります。

 宇都宮候補は、多重債務者問題に世間の関心が薄い頃から、司法書士と連携してその救済に当たる活動をされてきたと聞いており、その関係から司法書士会に対して明確な対決姿勢を出し難いのかもしれません。しかし現在最も弁護士の職域に食い込もうとしているは司法書士であることは、まぎれもない事実ですから、この問題で弱腰になることは大いに問題が生じうると言うべきでしょう。弁護士の数が全く増えていないのであればいざ知らず、1990年頃から弁護士は2倍に増えているのです。病気の人は、本来お医者に診せるべきです。看護婦さんや獣医さんに診断してもらうべきではないように思います。

 ただ宇都宮候補も、棲み分けと記載しているだけで、その内実は対決なのかもしれません。また、山本候補の文章は、相当力強いものの、読み方によれば理念なき権限拡大でなければ認める趣旨と受け取れないこともありません。また、文章の表現だけから両候補の真意を汲み取ることは必ずしも容易ではなく、私の誤解もあるかもしれません。

 今後の両候補の、見解が注目されます。

※この文章は、あくまで両候補の「政策及び意見」として公表されたものをベースに作成したものであり、その後の両候補の言動から私の見解が的はずれになることも十分あり得ます。両候補の最新の主張を是非ご参照下さい。また、この文章が両候補のいずれを支持するものでもないことは先に述べたとおりです。あしからずご了承下さい。 

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