11月2日付け日経新聞~法務インサイド

 11月2日付、日経新聞朝刊の「法務インサイド」には、「司法試験通っても就職難」との見出しの記事が掲載されていた。

 私の記憶では、大手新聞社が、法科大学院導入前には、弁護士を含む法曹の不足、特に経済界が多数の法曹の輩出を希望しているという趣旨の記事をいやというほど書いていたことを覚えている。特に、日経新聞と朝日新聞はその傾向が強かったように思う。

 その日経新聞が、法曹の増加に伴う就職難を報じているのだから、大分様変わりしてきたな、というのが私の第一印象である。

 しかし、 私は思うのだ。

 本当に経済界が法曹、特に弁護士を雇用したくてたまらなかったのであれば、現在の新人弁護士の就職難は何なのか。「新人弁護士の就職難=弁護士の需要がないということ」ではないのか。しかし、マスコミはこの点について、明確な経済界の態度の豹変を報道してくれない。

 弁護士になる人の数は平成5年くらいまでは、毎年350人くらいだったが、現在では、毎年2000人を超えている。経済界の思惑通りになったのかもしれないが、弁護士が異常な激増状態にあることは、言うまでもないだろう。

 それだけの弁護士需要が本当に経済界、そして日本の社会にあったのだろうか。もし経済界に需要があるというのなら、従前より1年間あたりで増加させた2000-350=1650名ほどの新人弁護士が、毎年、企業に就職できているのだろうか。おそらくそんなことは決してあるまい。

 つまり、弁護士増員が必要だという主張の前提は、既に崩れ去っているというべきだろう。

 例えていえば、人口2000人くらいの小さな町で、ひょんなことから鉄道の駅ができるという話が持ち上がり、将来の人口増を当て込んで駅予定地の近くに、パン屋を開いて、3000人の町の需要に合わせたパンを焼けるように設備(法科大学院)をつくった。ところが、その駅の計画はいつの間にか白紙に戻ってしまったというようなものだ。

 この場合、パン屋は、せっかく設備(法科大学院)があるからといって、3000人の需要に応じたパンを焼き続けるかという問題だ。

 日弁連執行部がパン屋なら、3000人の需要を満たすパンを焼き続けるかもしれない。日弁連執行部のお得意の台詞は、「潜在的需要がある」というものだからだ。

 しかし、「潜在的需要」は現実には存在していない需要だから潜在的というのである。

 本当に需要があるならば、企業も法律事務所も新人弁護士が欲しくてたまらないはずであり、新人弁護士の就職難など決して生じるはずがない。

 先のパン屋の例で、駅の計画はなくなったとしても、なんの具体的見込みもなく、いずれ町の人口が増えるかもしれないと思って、頑張って、3000人の需要を満たすだけのパンをどれだけ焼き続けることができるだろうか。また、そのような状況でパンを焼き続けることが正しい選択といえるのだろうか。見込みが間違っていた(若しくは状況が変わった)のであれば、それに応じて対応していくのが、日弁連のあるべき姿なのではないだろうか。

 どうしてこんな簡単なことが、日弁連執行部に理解できないのか、理解していても行動に移せないのか、本当にわからない。

 誰か教えて下さい。

ps 大阪の有志の先生方とで、「司法アクセス制度の整備と合格者数の適正化を求める趣意書」のファクシミリを10月30日に、全国の弁護士の方にお送りしています。中立な立場で、もちろん、日弁連会長選挙とは全く関係がありません。多数の賛同者の方が集まれば、現日弁連会長、及び次期選挙の日弁連会長候補と目される方々に、多くの弁護士の考えはこうである、配慮せよ、と申し入れる活動を考えています。是非ご協力下さいますよう、お願いいたします。

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