昔話~高校の想い出(道上先生のこと:その2)

 当時の高校普通科で習う数学は、数Ⅰ・数ⅡB・数Ⅲとなっていた。大学受験で試験科目として課されるのは、共通一次は数Ⅰのみ、数学を課す文系の大学は数Ⅰ・数ⅡBまで、理系の大学は数Ⅰ~数Ⅲまでが、範囲とされていたように思う。そして、高校1年生は数1を学ぶことになっていた。

 私の記憶がはっきりしないのだが、道上先生は多分、高3の1学期くらいまでに数ⅡBと数Ⅲの教科書を終わらせて、あとは問題集を解いてみせてくれたように思う。

 私は、物理は好きだったが数学は今ひとつで、特に数Ⅲで習った、極限の概念がよく分からなかった。無限に増えていくのに、ある一定の数値を超えないことがある、ということが理解できなかったのだ。

 単純に考えれば、とにかく増え続けるのだから、いずれある数値に到達し、到達すればその数値を超えるはずだと思えたのだ。コップに水を注いでいくと、どんなに僅かずつ注いでもいずれ一杯になり、溢れなければおかしい(蒸発は考えない)。そのように考えると、どんなに水を注いでも溢れないという状況があるとはどうしても思えなかった。

 ずいぶん道上先生にも質問し、道上先生も丁寧に教えてくれたが、そのときは納得できなかった。
 

今なら分かる。

 例えとして適切かどうか分からないが、板にくっついたカマボコがあり、どんな薄さにも切れる特殊な包丁があるとする。その包丁で、最初はカマボコの半分、次はカマボコの半分の半分・・・・と無限に切っていけば、それこそカマボコの切れ端は無限の数になり、切れ端の数は永遠に増え続けることができる。しかし、その無限の切れ端を集めてくっつけていけば、限りなく元のカマボコの大きさに近づくものの、元のカマボコの大きさを超えることは決してない。

 どうしてその頃、この簡単な発想の転換ができなかったのかと不思議に思うのだが(ひょっとすると道上先生もカマボコのような例で説明してくれたのかもしれないが、どうしてもコップのイメージから私が抜けられなかったのかもしれない。)、このような劣等生でも(一浪はしたが)なんとか、大学に滑り込む際に、数学が致命傷にならない程度にまでは、道上先生に引き上げていただいたような気がする。

 もっとも、私が合格した年の京大の数学入試問題は、異常に難しく、数学が抜群にできる生徒でないと、大変だったという噂もあった。

 そもそも、数学の入試問題は、難しすぎると文系なのに数学抜群の変わった奴か、私のようなおっちょこちょいの受験生が得をする。数学抜群の受験生は、数学だけで圧倒的な得点差を広げることができるので、他の科目で失敗しても数学の得点でカバーできる。また、私のような数学のおっちょこちょいは、大抵の受験生が数学で失敗するので、数学で得点できなくても他の科目でカバーすれば合格できる可能性が出てくるのである。

 逆転の発想をすれば、自分の不得意科目だけに、受験生のレベルを超えた難問を出す傾向のある大学を受験対象として選択することも、一つの受験対策といえるかもしれない。

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