昔話~高校の想い出(道上先生のこと:その1)

 実際のところ、男ばかりのむさ苦しいクラスで、担任の道上先生が、いちばん大変な思いをされていたのかもしれないと、今になって思う。

 道上先生は数学担当で、授業は教科書で基本をさっと説明され教科書の問題を解いた後、数研出版社の問題集をひたすら解いてみせるというものだったと記憶している。つまり、予習をしていかなければ、黒板を書き写すだけになってしまうという方式の授業だった。

 よく、百獣の王ライオンは、自分の子供を千尋の谷に突き落とすという、という例えが語られるが、道上先生方式は、谷底から一気に駆け上がって見せて、「ついてこい。ついて来れなきゃ、好きにしてろ。」というものだった。当時、ミスDJリクエストパレードやオールナイトニッポンなどの深夜ラジオも聞きながらのんびりしていた私は、あっという間に置いて行かれることになった。

 そうなってしまうと、自力で勉強しなくては、授業が全く理解できない領域になってしまうので、最後は数学を自分で勉強しなければならなくなった。実は、道上先生方式授業は、やる気を出させることにおいて、相当な意味があったのかもしれない。

 無論、他にもついて行けない奴は出ていたし、某君(特に名を秘す)のように、いつ見ても違う数学の参考書・問題集を買い込んで眺めている奴もいた。彼の問題集は、大抵、最初の因数分解の章あたりで止まっており、また新たな問題集も因数分解の章で見捨てられる運命にあった。

 一方、道上先生は、 やる気のある生徒にはとことん付き合って下さる先生だった。やる気のある生徒には毎日プリントを作成して与え、解答を見てやっていた。道上先生ご自身も、毎朝数学の大学入試問題を何題か解いてから、高校に出勤されていたそうだ。

 先日、道上先生にお会いする機会があり、お話をお伺いしたのだが、今でも毎朝何題か、大学入試問題を解いておられるそうだ。現在は、数学の塾のようなものを開いておられるようだが、見た目と声がもう少し優しければ(先生スミマセン!!)、最高レベルの予備校の講師だって十分務めることができる実力派の先生だろうと思う。

 私の田舎の高校生は、やる気さえあるならば、道上先生の塾を利用しない手はない、と私は思っている。

 実際に私も、一度は、やる気になって先生のプリントを頂くこともやっては見たが、あっという間にプリントが雪だるまのように溜まってしまい、あっさりギブアップしてしまった。私と同学年の生徒で、道上先生のプリント1000本ノック?をほぼ完全にやり遂げた超人的な女の子がいたらしいが、当然のように国立大学に現役合格していったと記憶している。

(続く)

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