日弁連はもっと文句を言うべきだ(その1)

 今日の読売新聞大阪本社版朝刊では、司法修習生の就職難が報じられているらしい。既に弁護士数は、20年前の2倍にまで増加しているが、訴訟件数は大して変わっていない。また、あれほど弁護士の必要性をさけんでいたはずの経済界の弁護士採用が、ごく僅かである以上、弁護士が余っているのだから就職難は当然だ。

 弁護士の需要がない以上、これ以上の増員をする必要性は乏しいはずだ。

 このような主張をすると、必ずと言っていいほど、司法過疎をどうするのだ、自由競争させた方が良いはずだ、という反論が出てくる。

 まず、司法過疎についてであるが、この問題は本来国の責任というべき問題だと思われるが、本当に地域住民の司法過疎が看過できない状況にあるのであれば、地方自治体が弁護士誘致を図るべきだし、図るはずである。医師の偏在も大きな問題とされているが、医師がどうしても必要と考える自治体は医師の誘致を図ったりしているはずだ。どうして弁護士だけが、弁護士の責任で過疎を解消しろといわれなければならないのか、まず私には理解できない。

 地域住民が弁護士の過疎対策を要求した場合、これに弁護士会が応えなければならないのであれば、全く同じ理屈で、無医村の地域住民が医師会に過疎対策を要望した場合、医師会が全国の医師から集めた医師会の費用で医師を派遣しなければならないことになるはずだ。むしろ日々の病気が住民の生活に与える影響が、法律問題以上に深刻であることが多い現実を考えるならば、医師の偏在の方が明らかに問題が大きいはずであるし、したがって医師会の責任がもっと厳しく問われてもおかしくはあるまい。

 医師会の責任が問われないのは、お医者さんにも生活があるから、開業しても生活ができないところにお医者さんが来てくれなくても仕方がない、という当たり前の理屈が理解されているからだろう。日本医師会の事業計画にも、次のように書かれている。「地域医師会との緊密な連携の下、医療財源の確保を前提に、すべての国民への平等で良質なサービスの提供を目指して、地域における保健・医療・福祉を推進し・・・(後略)」(日医雑誌第138巻第2号別冊より抜粋された日本医師会事業計画より)。

 つまり、医療だって財源の確保が前提なのだ。医師だって職業だから生活ができることが大前提であり、これは弁護士だって全く同じである。

 それがこと弁護士になると、上記の当たり前の理屈が何故か忘れ去られてしまい、開業しても生活できるか否か関係なしに、司法過疎は弁護士会の責任だと叫ばれるのは、どう考えてもおかしい。

 更にいえば、ここ10年間、日弁連は会員から過疎対策の費用を集めて、過疎対策を行ってきた。2000年1月から弁護士一人あたり年間12000円、2005年からは弁護士一人あたり年間18000円、2007年からは弁護士一人あたり年間16800円を過疎対策として負担し、過疎偏在地域にひまわり基金法律事務所を設置し、弁護士の定着支援などを行ってきた。ここ3年を考えただけでもおおよそ11.8億円弱を全国の弁護士が負担して過疎対策に充ててきた。文句を言うなら、弁護士会が個々の弁護士に負担させてきた過疎対策費用を代わりに負担してから言ってもらいたいくらいだ。

 ちなみに、大阪弁護士会司法改革推進本部の調査によると、フランスにおいても、弁護士の過疎偏在は解消されていないとの指摘がなされている。司法改革推進本部はフランス並みの弁護士数が必要といっているようだが、そのフランスでも司法過疎が解消されていないということは、結局、弁護士数と司法過疎は関係がないことを裏付ける。つまり、弁護士増員では司法過疎は解決できないことは実は既に明らかになっているといってもいいくらいなのである。

 だから私は、日弁連が司法過疎問題で仮に叩かれた場合は、「司法過疎対策のひとつとして法曹人口増大に反対していませんので、そこのところをお酌み取り下さい」、という弱腰な態度ではなく、もっと怒って欲しいと思っている。

 誰が今まで司法過疎の対策をしてきたのか、その費用はいくらであり、誰が負担してきたのか。日弁連が個々の弁護士から集めた費用で行う対策で不満があるのなら、それ以上の負担を誰に納得させて負担させるのか、司法過疎を非難する相手が負担してくれるのか等、厳しく反論して欲しいと思っている。

(続く)

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