猫の挑発?

 S弁護士は、犬派か猫派かと聞かれると、断然犬派である。

 S弁護士は、犬の、嬉しいときは嬉しい、悲しいときは悲しい、楽しいときは楽しい、というストレートな感情表現、主人に一途、裏表がないところ等が大好きなのである。

 一方、猫に関していえば、何を考えているのか分からない・主人はむしろ自分だと思っていそうである・爪でひっかく・春になると、さかりがついて妙な鳴き声を上げる等という点があまり気にくわない。自分が怖がっているくせに妙に余裕を見せようとするあたりが特にS弁護士の気にくわない点である。

 さて、ある週末の深夜のことである。S弁護士は自動車で行きつけのラーメン屋に行き、夜食のラーメンを食べていた。相手方の弁護士から、矛盾一杯かつ失礼な内容の書面が届いていたので、反論を考えていた。食べながら反論を考えていると、ついつい、あまりの失礼な内容に腹が立ってくる。明日は休日なので事務所に出ないが、反論のことを考えると、どうも気分がよくない。

 弁護士であれば誰しも経験するところであるが、悪意に満ちた文章を読むと心が荒む。その文章に対して反論を考えていると、なおさら心が荒むものだ。心なしかラーメンもいつもより美味くないようである。せっかくの夜食ではあったが、S弁護士はため息をつきながらラーメン屋を出ることになった。

 S弁護士は、心が晴れないまま、下宿近くの駐車場に車を置き、下宿に帰ろうとしていた。すると何かがやってくる。猫だ。全身白い猫だ。

 深夜にもかかわらず白い野良猫が堂々と道の真ん中を、とっとこ・とっとこ駆け足でこちらへ走ってくる。大体1.5車線くらいしかない路地である。こっちはもし車が来たらと思って道の端を歩いているのに、堂々と真ん中を駆け足している。

 欧米では黒猫に前を横切られると縁起が悪いということで、とにかく視野に入る黒猫を追い払う人もいると聞いたことがある。だが、今、こっちへ向かってくるのは白猫だ。縁起の問題は関係ない。

 しかし、普段はそんなことは滅多にないのだが、やはり心は荒んでいたのかもしれない。S弁護士は、ちょっとした、悪戯心で、さっと通せんぼするふりをしてみた。すると、猫も本心ではビクビクもんだったのだろう、一瞬で身を翻し全力疾走で走り去り、近くの駐車場に猫は駆け込んでいった。

 ふっ、チョロイもんだぜ、所詮は猫、通りの真ん中なんか歩くんじゃねえ。これからは、もっと猫らしく端を歩くモンだ。と荒んだ心で猫に毒づきながら、S弁護士は猫の逃げ込んだ駐車場を何の気なしに覗いてみた。

 すると、猫がいた。まごう事なきさっきの白猫である。顔は横を向いており、こっちを無視しているようである。

 腹が立つことに、駐車場のど真ん中に堂々と寝そべっている。わずか5秒ほど前に全力で逃げ去った猫である。それが寝そべる必要もないのに、30分も前から暇つぶしをしていたかのように、手足を大きく伸ばして寝そべっている。しかもこちら横目で見ながら、挑発するかのごとく尻尾で地面をビタン・ビタンと叩いておるではないか。

 そのとき、S弁護士には、聞き耳頭巾もないのに、猫の次のような声が聞こえたという。

 「おや、今頃、通らはるんですか。大分長いことかかりますなぁ。あんさんみたいに、中年太りで足の遅いお方、ちっとも怖いことおまへんで。」

 白猫が余裕を見せたがっているのは分かっている。ポーズだけ余裕を見せても奴は今でも、内心ビクビクしているはずだ。常に横目でこちらを見ていることからも分かる。多分、駐車場に向かって走り出す構えを見せただけで猫は、すっ飛んで逃げるだろう。

 ここで白猫を無視するのは相手の余裕を認めてしまったようで悔しい。しかし、追いかける構えを見せることは、実は、猫の挑発に乗せられたことになるのではないか。

 S弁護士の頭の中で一瞬思考が交錯する。

・・・・・しかし、挑発は乗ってしまった方の負けである。

 ええい、ここは無視してやる。ありがたく思えよ。

 結局S弁護士は、そう思って、その場を歩き去ったのである。しかし後で考えてみると、白猫はそこまで予測してあのような態度を取っていたのではないかとも思えてきた。

 猫の仕掛けた心理的わなに、S弁護士は、まんまと引っかかってしまったようである。

 S弁護士が猫派の人の気持ちが分かるのは、まだ遠い先のことのようである。

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