矛盾

 現在裁判が行われている、土浦8人殺傷事件において、報道によると被告人は、「死ぬための手段としての殺人である」と述べ、被害者への思いについて問われると、「ライオンはシマウマを食べるとき、シマウマに何か感じるでしょうか」等と答えたという。

 私は、あまり詳しい事情は知らないし、報道が全てを正しく伝えているとは限らないが、確か前回の公判では、どうも、被告人は、「自分は才能はなく、つまらない毎日を過ごしている。どこにも生きている意味はない」と将来を悲観。「自分の人生を終わらせよう」と死を決意し、「確実に死ぬために、できるだけ多くの人を殺して死刑になろう」と動機を語っている、などと報道されていたはずである。

 「自らが生きる意味」を否定しているのであれば、自殺など直接的に自らの存在を否定する行動を取って然るべきなのに、被告人の攻撃は、自分より弱い他者に向けられている。

  表面上、被告人は自らの価値を否定してはいるが、自分が死刑になりたいがために他者を攻撃するという行動は、自分の価値を完全に否定する前に、他者の価値を否定することだ。言い換えれば他者を抹殺することで自分の存在を確認しているという極めてエゴイスティックな考えだ。「自分には価値がない」という思いと「だから他人にも価値がない(自分の目的のために殺しても良い)」という考えは決してイコールでは結ばれない。

 そこには歪んだ自己防衛、他者よりも自分が優位であるはずだという思いが隠れているように思われる(自らをライオンに例えるところからもその思いは透けて見える)。

 おそらく彼自身だけの問題ではなく、様々な問題が絡み合ってこのような悲惨な結果が生じてしまったのであろうが、彼の思考は決して許されるべき考えではない。

 もし、この事件が少年事件であり、少年との面会の際に少年から「ライオンはシマウマを食べるとき、シマウマに何か感じるでしょうか」と問われたなら、私はこう問い返したかもしれない。

 「自ら生きることに絶望して死を決意したライオンが、シマウマを食べるかい。」

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